日本SF冬の時代論争

黒川[師団付撮影班]憲昭

 平成九年二月九日発行の日本経済新聞読書欄に端を発し、SFマガジンをはじめネット上などで一時期かなり盛り上がりを見せた、日本SFは冬の時代であるかという論争(以降、冬論争と呼ぶ)は現時点(平成十年五月)において一部を除いてほぼ終息を迎えている。
 当初、冬論争がもう少し長引くと想定して「SF論争用語の基礎知識(仮称)」という、これから論争に参加しようとする人のためのガイドマップを作ることを意図していた。だがそもそも「冬論争」自体、センセーションを起こすには足りるが、論題そのものとしては非常に粗雑であり、長期間の論議に耐えうるものでないことは、企画の段階でもう少し慎重に考えれば解ることだった。
 さらに冬論争関連の資料を当たっていく過程で、SFマガジン98年2月号における大森望氏による柴野拓美氏へのインタビューが冬論争の丁寧な解題および総括になっていることを発見するに至って、当初のプランが無意味なものになったことが決定的となった。
 そこで転進して、日本SFが存在する限りこの種の論争は不可避のものであり、ゆえに将来また同様の論争が発生したときの混乱を防ぎ、論争そのものを有意義に楽しめるようにするため、この冬論争を例としてSF論争のメカニズムについて論じてみたいと思う。

 始まりは常に外から。
 SF冬の時代という言葉を使い日本SFについて論じられたのは平成九年が最初ではない。記録をさかのぼってみると、四年前のSFマガジン93年12月号のテレポート欄においてすでに冬の時代の現状分析と打開への提言が述べられている。このことから「SF冬の時代」と言う言葉自体は、日本SF内部では少なくともかなり前から常識となっていたと考えられ、冬論争が始まった当初なにをいまさらと言った空気が日本SF関係者の間に流れたのは想像に難くない。だが問題はそれが日本有数の大新聞によって外部に伝えられて、初めて日本SFファンダム・プロパーによる議論が始まったことだ。ここに日本SF界の閉鎖性と自助努力の欠如が見られるというのは言い過ぎだろうか。
 さらに歴史的に見て共産主義SF論争、ニューウェーブ論争、宇宙の戦士論争などみな海外がその震源地となってそのリアクションとして日本国内で論争が始まっている。どうも日本SF界にも外からの圧力がないとなにも変わらない「日本」の特徴がよく現れているように見えるのだが。(しかし何事にも例外はある。前述のテレポート欄で日本SFを論じたSF作家森岡浩之氏はその後しっかりと結果を出した。盛んに論争を繰り広げてきた人々も願わくば結果を出してほしいものである。)

 SFという符牒を巡って。
 SFにたいして今日泊亜蘭氏は「あんなもん符牒じゃないか」といったそうだ。今風にいうならば「符牒=ラベル・記号」といったところか。さらに安部公房氏は、「怪物X(=SF)」が「ライオン」と名付けられることで「征服可能な単なる野獣」となることを警告している。
 SF論争は最終的にSFという言葉の定義に対する争いに陥りやすいのだが、SF=記号ということさえ押さえておけば、その意味内容の違いについてそれぞれがあまりにもかけ離れた様々な議論が起こることはよくわかる。だがそもそもSFという言葉がはっきりとした定義を持たなかったのはなぜだろうか。
 空想科学小説でなく、サイエンス・ファンタジーでもなく、スペキュレーティブ・フィクションでももちろん無い、だがそれらをすべて含むものそれをSFと呼ぶこと。またそれまでの既成ジャンルの最外縁、もしくはどこにも属さないものの一切合切をSFという言葉で囲い込んでしまう。これが初めて日本にSFを広めようとした人々による暗黙の了解、あるいはもっと積極的に戦略であったのではないだろうか。ちなみにSFマガジン初代編集長福島正実氏はSFを知的なエンターテイメントとしか規定していない。
 これは現実的には厳密な定義を受け入れられるほど作品数が多くなかったというのが実状だった(SFマガジンの創刊号に日本人作家は載っていない)のだろうが、それ以外の戦略的な方法論として意図的に間口を広げることにより多くの小説を集めてジャンルの頂点部分のレベルを向上させる、まだどのような未来が待っているかわからないものへ制約を加えることを嫌ったことが考えられる。またより積極的に、SFが自己を絶えず定義し直しながら膨張してゆこうという理念があり、それを実現できた成長期だったことなどが推測される。
 結果としてSFはあえて自己を定義しないという生存戦略をとり、そしてそれはSFというジャンルを世間に認知させ、作家と作品を増やすという成功を収めた。だがその代償としてSF内に、ホラー、架空戦記など新たなジャンルが発生することによる分離。さらに作品数が増えることによる求心力の低下という問題を抱えることになった。まさに「浸透と拡散」は「雲霧と散消」と隣り合わせにあった。

 見えない中心。
 SFとはなにか。この問いに対して、SF作家、SF評論家、SFファンダムなどからじつに様々な回答がなされている。どの意見もそれなりに首肯出来るものであり、それ故に完璧な回答というものが得られていない。どうやら百人のSF者がいれば百一通りのSF像があるようだ。
 たぶん柴野拓美氏が述べているように、そもそもSFと非SFには明確な境界線などなく、どこかにこれこそSFという芯があってそれにどれだけ近いか遠いかをいっているだけ、つまり「どの程度SF」かを考えるべきだ、というのが一番正解に近い答えではないだろうか。
 考えてみれば、SFほどその作家や読者に対してある種の態度表明を求めるジャンルはほかにない。これは基本的にSFというものが、見えない目標に向かって常に自己を定義し直しながら成長してゆく、自己実現を理想する若者のための文学であるからだろう。そしてその姿が青春というものに重なりあって見えるのは私だけだろうか。

 春に向かって。
 SFの進化は常に科学の進化と歩みをともにしている。科学の分野において構造的に新しいトレンドを生み出せなくなっている状況において、運動に結びつくような新たなSFの定義は今後さらに困難になることが予想される。このような状況下では梅原克文氏のとなえる、「ニューウエイブを排し、ウェルズ・ベルヌの古典へ帰れ」というSFの定義を狭く設定して求心力を高めるための、後退戦術もある程度やむおえないというのもよくわかる。しかし、それでは少し寂しいし、梅原氏のSF観は私の考えるSFというものと違っている。
 私にとっての日本SFとはSF専門誌に発表された作品、もしくはどこかにSFであることを明記してある作品のことだとしたい。これはSFというものの定義が不可能であるとの立場をとるためであり、その媒体や作者の意識のなかで、これはSFであるというものはすべてSFとして認めるべきだ。
 それならば、その作品がSFであってほしいと、願ってもらえるようになるためにはどうすればいいか。簡単であるSFがもっと格好良くなればいいだけだ。もしもあなたがSF者ならば、私もSF者になってみたい、そんな風にいわれるためにも、プロであれアマであれSF者をもって任じる人は、”STYLE”というものをもっと気にしてほしい。冬の時代なんていうから話がむつかしくなるのであって、要はSFなんてダッセーと世間様からいわれてる、というだけのことなんだ。
 人類の未来だとか、宇宙の行く末、科学者の倫理など、こんなふつうに話せば野暮になってしまうような、けれどもとても大切なことを、クールに語ってみせることこそ、SFがもっとも得意とすることだと思う。
 私はそんなSFに今も憧れ続けている。

 最後に。文中、いろいろな人の意見を引用しましたが、その際に間違いあるいは曲解がありましたら、それはすべて私の責任です。




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