信濃の光
支部長の地図認識の図

真説・信濃國地図
(小林千秋監修)

 さあ、みんなで一緒に信濃の國の地理をさがしてみよう!

  1. 信州の中心地・松本
  2. 松本名物サリンの産地
  3. ジェット機が飛べるようになった松本空港
  4. 支部長御出身の地であらせられる堀金村
  5. 神様が渡ってくる諏訪湖の御神渡は、中央線の列車も渡ってくるらしいぞ
  6. ロリコン会場となる白馬村。冬には大阪からスキー客がいっぱいやって来る
  7. 木曽と上高地の間に猿を食べる所があるらしい
  8. 信越線は上田で途切れている。長野に鉄道は通じていない
  9. 上田ではガス爆発したりする
    (上田市民註:オイルタンクの爆発だったよーな気がするのだが)
  10. 軽井沢は上田の東あたりの山の間にあるらしい
  11. 飯田線の先に名古屋があるらしい。(中央西線はどこへ行った?)支部長?
  12. 新潟から西に寄ったあたりの日本海から韓国人がやってくる
  13. インドの近くにインド洋があるらしい
  14. 愛媛県松山市はインドより遠いと思う
  15. 中央線は新幹線とつながっている
  16. 信濃國に入国するのに日本人はビザ・パスポートはいらないと思う
  17. 夏の国人は国籍が関係ないのでOK。冬はダメかも
  18. 中央線に乗らないと信濃には入れない。他にルートはない
  19. 東京〜上野間より東京〜新宿間の方が近い
  20. 東京駅は晴海と繋がっている

 これだけ覚えれば信濃の地理はバッチリ!
 いつでも好きなだけ迷えます。
 やっぱりまだまだ信濃には謎が多い。

フレデリカお腹すいた
信濃の光
落しちまった!
   

編集後記
( 若しくは、言い訳たらたら… )

 まず最初に言っておこう。七頁のは、儂の作品であって意図したものである(嘘コケ)。まあ、いろいろネタを考えてはいたのだが、あの地図を見た途端ぜ〜ぇんぶすっ飛んでしまった。儂、もう頭真っ白、ものすごいインパクトだった。さすがはしぶちょである。ここまで凄まじいものとは思わなんだぞ。長野で生まれて、二歳のとき松本に来てから三十余年、ずっと松本平で暮らしている真正の信州土着民である儂でさえ、

 「そうだったのか〜」

と、コブシ握り締めて西のお山日本アルプス)に力んでしまったくらいである(ちなみに美ヶ原は「東のお山」である)。この地図を頼りに信州を旅したら、それはそれはすばらしい世界が開けることであろう。一度でいいから、特急あずさ号が、えっちらおっちら諏訪湖のド真ん中を渡る勇姿を、この目で見てみたいもんだ。

* * * *

 で、まあ、ついに信濃支部報が日の目を見ることになったわけだが、途中まで原稿集めやら手配していた徳山隊員は、これを見て頭を抱えていることであろう。また、信濃支部の面々の怒った顔が目に浮かぶ。そして、いまこれを読んでいる全国の隊員各位は呆れていることであろう。
 でもいいのだ、やってしまったことはしかたがないのだ。覆水盆に返らず。やったモン勝ちである。現場が一番強いと言ったではないか。「鉄砲玉は前
からだけ飛んでくるんじゃねえぞ」なのだ。任された以上何やっても儂の勝手だもんね。思いっきり自分の趣味でやってしまった。でも、組版なんか結構気を遣っているんだぞ。とはいえ、プロ用のアプリケーションが使えないので、気は遣っても、思った通りにはならんのだが。だれか、もっと使えるDTPソフトを作ってくれんかな。でないと、TeXを標準化してしまうぞ。
 それに、「信濃の光」という紙名はなかなかのセンスであろう(こういうところが、一人よがりのギャグハラおやじといわれる由縁だ)。絶対これにするっ
て、何年も前から決めていたのだ。
 でだ、儂が人外協に入ってからの6年余の間、幾度となく支部報発行の号令だけは飛ばされ、立ち消えてきた。「言うだけなら只」なのだな。だから、号
令だけはかかっても、誰も何もせずにいたのが、ついに実現してしまった。あな恐ろしや。
 ここで、何故に信濃支部報が発行されてしまうという事態に至ったか考察してみたいと思う。
 まず忘年会である。その席で小林支部長によって「信州の地図」が書かれたという。すべてはこれに端を発しているわけだ。そして、「これは面白いか
ら、ぜひ全国の隊員に知ら教めるべきだ」というような話がでたのであろう、推測だが。そこで、徳山隊員が「では、信濃支部報を発行してしまいましょ
う」と請け負っちまったに違いない。酒も入っていたのだろう。
 いままでと比較すると、言い出しッペが違うことわけで、要するに「破目仙人に任せておいたら事態は進展しない」という事実がセキララにさらけ出さ
れてしまったわけだ。
 そして、甲州画報にも「信濃支部報でしぶちょの地図が公表されるであろう…」というようなことが書かれてしまった。ここまでくればやらないわけにいかない。引っ込みがつかなくなってしまった。そして、徳山隊員の手配で原稿が整えられ、儂の手に渡った。問題は、儂がなぁんにもやっていなかったことだ。すでにある原稿を処理してプリントアウトするのは造作もないことであるが(一応はプロである。業務用組版ソフトの開発にまで首を突っ込んでいるのだ)、儂は、自分の原稿をまったく書いていなかった。
 頁数を計算したが、他の人の原稿だけではどうやっても六頁。一人で二頁を埋めるのは無茶である。それだけの文才がない上に、本気で暖めていたネタを忘れてしまったのだ(おまえのせいだぞ、しぶちょ)。
 とにかく、目出度く信濃支部報は発行されることとなった。紆余曲折の道程であったが。結果オーライである。画龍点睛を欠くということもあるが。

* * * *

 フェルマーの定理は証明されるし、六番目のクォークは発見されるし、ネタには事欠かないSF界なのだが、盛り上がらねえのな。
 人外協は、SF作家・谷甲州のファンクラブであることを自覚した活動を進めていきたいものである。

佐野[従軍陶芸家/破目仙人]高久




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