CONTACT XI & DINO FEST REPORT 表紙

恐竜を見学するエリダニ人&タウケチ人



 いやあ、全くこんなに充実した2週間というのは久しぶりだ。2年前にコロラドからユタへと恐竜取材旅行に同行したあの夏以来の興奮だった。今回はワールドコンの時とはひと味違うアメリカ旅行で、学会的な大会二つをはしごしたのだ。サンノゼで開かれたファースト・コンタクト・シミュレーションの第11回大会「CONTACT XI」(コンタクトイレブン)に参加する話を金子隆一さんと話していたら、すぐその次の週末にインディアナポリスで第1回の恐竜コンファレンス「DINO FEST」(ダイノフェスト)があることを教えてもらったのだ。SFファンでもあり恐竜ファンでもある筆者が同時期にあるこれらの大会に参加しないわけがない。腹をすかせたわが家の猫のごとく美味しい餌にとびついたわけだ。出発前に、京都の川合康雄さんから充分楽しんでおいでと言われたが、期待の3倍以上は楽しかった。
 最初 CONTACT の西海岸だけのつもりだったから、あわてて旅行社にインディアナポリスまでの往復がいくらアップになるか調べてもらった。返事がなんとあなた! 「たったの1万円…」だったのだ。西海岸から中西部都市までジェットで8時間の往復が約 $100-の追加で実現してしまったのである。これでいかなきゃSFファンがすたるというわけで恐竜学会へ即申し込みをしてOKをとった。「CONTACT XI」は3月18日から20日まで、そして「DINO FEST」は24日から26日までなので、その間にサンフランシスコ近辺の友人とも会うことにする。再会したかったルーカス・プロダクションのネルソン・ホールさんは、ちょうど福岡のジョージ・ルーカス展のため日本へいって川合康雄さんと仕事をするとかで駄目。翻訳家のアンソニィ・ブライアントさんとも結局日本で会うことになった。
 出発前に門倉純一さんからアニメーションのポスターをいただいたので持っていったが、これは CONTACT の事務局長のグレッグ・バー君が大の日本アニメファンなのを知っていたので、何枚か渡すと非常に喜んだ。彼はワシントンDCで日本アニメのTV番組をもっていて、解説デスクのうしろの壁にポスターを飾るのだといっていた。(ポスターは大変好評でしたよ門倉さん。あなたの探しておられるアイテムもアメリカで協力して探してくれることになりました。)

1994年春 大迫 公成  


《CONTACT XI 編》

 それではまず「CONTACT」の大会からお話しましょう。
 CONTACTの企画は、アメリカで10数年前にベイトソン教授が提唱して始まったもので、毎年大会を開き今年1994年で第11回目。ワシントンDCに本部があり、日本側は私が代表となっている。どんな企画かというと……参加者を地球人と異星人のふたつのグループにわけて、近い将来ファースト・コンタクトが行われるという前提で、異星と近未来の地球のふたつの世界を構築する。異星人側は何もないところから惑星系をつくり惑星を設定し生命の発生から進化樹まで創らなければならないし、地球人側は未来史を作っていく作業を要求されることになる。また可能な近未来技術を用いて恒星間空間を飛べる宇宙船も建造しなければならないから決めるべき事項は山ほどあって退屈なんかしている暇はない。また観衆に徹しようとしても不可能で、それは全員が専門分科会に属することになるからなのだ。言い換えればあなたの専門や得意の分野の知識を存分に使える場所がこの企画で、ファースト・コンタクト・シミュレーションという。
 今年の企画で一番面白かったのは、異世界構築の「COTI Mundi」(コティムンディ)だろう。2年前からスタートしていて、ある惑星に高等知性体が進化して宇宙航行技術を持つに到る迄を段階的に作っていく。詳しい英文報告書が作られているから英語に自信のあるかたは読んでみられるといいけれど、実に詳しく設定が行われている。恒星は「82エリダニ」という地球から20.9光年の星で、その第3惑星「ムンディ」がエイリアンの生まれる母惑星になる。もちろんこの惑星は仮定にすぎない。しかし既に生命の代謝系や進化系統樹などから小動物に植物も各種作られている。今大会では空を飛ぶ生物が作り出された。解剖学的な設定から繁殖の方法までをチームで考えだし、スケッチとプラスチック粘土のモデルも作った。将来は地球人と交信または遭遇する知的生命体へと進化するのか、またはもっと別の生物が宇宙航行技術までに到るのか、それは今後のお楽しみだ。その他の主な企画としては以下のようなものがあった。もっとも時差ボケのためになんとしても眠く、ふとみると一緒に参加している中村 孝氏も寝ている。「もうあかん」とふたりとも部屋へ引き上げて寝たこともあった。とにかく英語と眠気との闘いだった。
 今回はシンポジウムが充実していて科学者、作家、そしてアーチストが研究を発表して出席者と討議をするのだが今回は3日間で7つもあり質疑応答も活発だった。私はほとんどこのシンポジウムのホールにいたが、これは同じ所で COTI Mundi などの発表があり、このホールに居ると便利だったせいもある。またワークショップも開かれていて、コンピューターを使いアーチストと科学者それに参加者が協力して、未来の太陽系をシミュレーションで出してみようという企画だ。この部屋へ行く時間は残念ながらとれなかった。
CONTACT XI 参加者との記念写真 著名なひとがかなり参加していた。コンフランシスコ*1で会い顔を知っているSFファンも大勢来ていた。海外はイギリスからも来ていた。SF作家のポール・アンダーソン氏やルディ・ラッカー氏が企画のパネルや分科会に加わっている。「日本に行ったときは楽しかったよ」とラッカー氏は言っていた。OMNI誌編集長のキース・ファレル氏に紹介してもらったのも収穫だった。かのエレン・ダトロー女史のボスだということで、彼女によろしくと頼む。「彼女のボスになりたいかい? それはまぁ大変な仕事だよ。」と冗談を言っていた。彼は秋に《CONTACT Japan 1》の大会に来るといっていた*2。その他アーチストでは、ベス・エイヴリー女史、ジョエル・ヘーゲン氏(ゼノパレオントロジスト:異星古生物学者としてサイファイチャンネルTVにも出たしOMNI誌でも特集があった)が出席。そしてイルカの研究で有名なジョン・リリー博士も参加していた(結構お年でした)。科学者ではNASAエームズ研究所の人達がかなり参加していたのは印象的だった。
 印象に残ったものをピックアップしてみる。

大会前日《3月17日(木)》
 サンフランシスコ空港から18人乗りのプロペラ機で眼下の景色を楽しみながら約15分でサンノゼ国際空港到着。ホテルへ電話しシャトルバスを頼む。チェックインしたあと中村氏とロビーでうろうろしていると、CONTACT委員長のフナロ氏と出会う。小柄な新妻と一緒だ。すぐにポール・アンダーソン夫妻も到着。親友のグレッグも現れるうちに知った顔が揃って雰囲気が盛り上がってきた。イルカ学者のリリー博士も紹介される。ホテルは瀟洒なロビーが落ち着いていい感じのたたずまいで外観からはちょっとわからない。

1日目《3月18日(金)》
 昨年と同じくおかわりOKのフレッシュ・オレンジジュースはやはり感激ものだ。ここはカリフォルニアなんだなあと認識してしまう。
 朝からシンポジウムがあり、殆どメインのホールに居座る予感がする。合間にCOTIなどの企画部屋をのぞいてみようと思ったが、甘かった。「シンポジウム1」(ヒトであるということは何を意味しているのか?)、「シンポジウム2」(太陽系外知的生命体探査)さらに「シンポジウム3」(ヴァーチャル・リアリティ)と続き、同時にワークショップがある。「1」ではフナロ氏の、『人間と動物そしてエイリアンと機械それぞれを定義するものは何か』という話が面白かった。ルディ・ラッカー氏もパネルにならんでいて、活発に発言していた。「VR(ヴァーチャル・リアリティ)」の報告では、南極で火星調査のシミュレーションを行ったNASAエームズ研究所のキャロル・ストーカー博士の報告が興味深かった。VRを使い遠隔操作で調査ロボットを動かして実験をやったそうで、多分日本の某雑誌「テラフォーミング」特集に紹介されたクリス・マッケイ博士と同行したのだろうと思う。その後、異星古生物学者ジョエル・ヘーゲン氏の『CGを使った火星のVR用モデル画像作成の手順発表』も実に興味があった。彼は発足当初からエイリアンなどのアートを引き受けている人だ。10月の日本大会にも非常に関心を抱いている。

2日目《3月19日(土)》
 朝一番に私の出番である。つまり日本でのCONTACTの活躍と、今年10月の日本大会「CONTACT Japan 1」開催の報告をすることになっていたのだ。金沢での日本SF大会「i−CON」のFCSのビデオも流した。中村氏の助けもあって心強かった。COTI Mundi で生み出された生物たち
 次に同じホールで「COTI Mundi 」の報告があった。前述のイギリスのフォッグ氏だ。(この人も日本の雑誌のテラフォーミング特集にインタビュー記事が載っている。他の論文も私の手元にある。)
「セラトライドン」という3脚の生物(3本足の水上生物から進化した。この惑星の動物は基本的に3本脚のようだ)に続いて、空を飛ぶ生物が創造されている。3日間にしてはモデルを作ったり解剖学的な構想も練って大したものだ。その後は「シンポジウム4」(コンタクトそれは我々にとって何なのか? またなんの為に我々はそれに参加しているのか?)、「シンポジウム5」(インターテレストリアルとエクストラテレストリアル)そして「シンポジウム6」(Solsys:太陽系シミュレーション)があったが、また突発的に眠くなる。夜は夕食会(25ドルの切符を買うバンケットと呼ばれるもの)がありポール・アンダーソン氏が講演をしてスタンディングアプローズを受けた。まあ部屋へ戻ってからもパソコン通信をするものだから、時差ボケがなおらないのも無理はないのだが。

3日目《3月20日(日)》
 最終日だ。朝はCOTI Mundi の報告があり、今回のまとめである。特に、空を飛ぶ生物の生殖と幼体について、19日に決めたことを発表した。生物の解剖学的な構造も決めて説得力があるし、粘土のモデルとスケッチもあったので表現力は抜群である。授精のメカニズムから出産(?)のシステムや幼体を地上に降ろす方法など、討論の末の結論が披露された。この企画が今回最も面白く、私たちもチームの部屋へいった甲斐があったというものである。そのあと「シンポジウム7」(前を見つめて)があり、OMNI編集長のキース・ファレル氏などが話をした。
 最終日の夜は、ポール・アンダーソン夫妻、そして事務局のグレッグとエリン、私たち日本人二人の計6人でベトナム料理を食べに行った。サンノゼ市の一部にはベトナム人たちがベトナムタウンを作っているのである。席上、源氏物語や恐竜、猫の話など話題が飛び交ったのもSFワールドならではだった。食事といえば昼メシなどはレストランへ行く必要がなかった。つまり総勢100人くらいのこの規模でも、ホスピタリティ・ルーム(=コンスイート)があり、スナック、お菓子、果物、ビールにソーダ類はタダであり実に助かったのだ。それからホテルと言えば、通常一泊200ドルのホテルが80ドルを切りしかも朝食付なんて信じられない。コンベンション・レートといってアメリカのホテルは協力しちゃう。今回のCONTACTは非常にSF的な感覚が昨年に比べると強く、それだけ楽しかった。なにかサイエンスの大会なのにSFのローカルコンベンションに来ているような気がしてならなかった。

INTERMISSION

21日(月) サンフランシスコへ
 友人女性ふたりに会い、それからサンフランシスコ空港のヒルトンに一泊して、22日早朝にデンバーへ飛ぶ。SFでの収穫はクラシックSF映画のビデオとジャズのCDを買ったくらいだ。しかしユナイテッド航空のプレミアカードの威力は絶大で、中村氏とサンフランシスコへ来る便がアップ代無償でコノイシュアー(=ビジネス)クラスになったのを初め水戸黄門様の印籠なみの力があり、このヒルトンも135ドルが半分に、この時点では未来になるがデンバーで泊まったシェラトンも115ドルが半分になった。そのあとアメリカ国内便もいい席を選んでくれるサービスぶりで、本当に助かった。オークランドベイブリッジを通りサンフランシスコへ夜入ったので、素晴らしい夜景を見ることができたのは幸運だった。
 ホテルで面白かったのは……ヒルトンの私の部屋が7階なので一階でエレベーターにのり、7Fを押してしばらくして扉があいた。前を見ると確かに7階と壁にあったので疑いなく廊下を進み部屋に入った。しばらく友人たちとアカデミー授賞式をTVでみたあと彼女達が帰っていったと思ったら、すぐ外から窓を叩く音がする。何かと驚いてみると彼女達がすぐ外で笑いころげているではないか。カーテンの外を見ると7階でなく地上である。つまりエレベーターは扉を開閉したけれど全く動いておらず、同じ1階に7階の番号のついた部屋があったのだ。次の朝、明るいところで良くみるとホテルは2階建だ。しかし何であんな変なことをするんだろう。小松左京さんのSFみたいだ。7階までの空間が2階分に押し込まれていたとしか思えなかった。

22日(火)
 サンフランシスコを朝8時の便で発った。天気が良かったおかげで雪のロッキー山脈はまことに雄大な景観をみせてくれた。まだ冬山のたたずまいを1万メートルの上空からたっぷりと眺めることができたが、その景色が1時間ぐらい飛んでもかわらないのはすごい。高所にあるのでワンマイル・シティと呼ばれるデンバーのある大平原にジェットがさしかかると、上空に2本の飛行機雲が流れている。そいつの影が平原をぐーんと横切っていま横断してきたロッキー山脈までのびている。こんな雄大な景色はひさしぶりであった。ぐんぐんと高度をさげその影をつっきるとデンバーの空港である。昔の映画で見たときは真冬の空港で爆弾で故障したジェットが必死で着陸したのだった。着いた22日は意外なくらい暖かくほっとする。アメリカ自然史博物館のティラノサウルス骨格標本
 シェラトンへ荷物をおく間も惜しんでタクシーに飛び乗りすぐ近くのデンバー自然史博物館へ行く。約15分くらいで6ドル余りだった。入口にはジョン・ガーシュ描くところのロバート・バッカー博士の説に従ったあの有名な絵が掲げられ、その前にほぼそれに近いポーズをとったティランノサウルスが展示されていた。いやすごい迫力である。巨大な牙と爪が上から迫ってくるようだ。しかし尻尾は余分な骨をくっつけた例の54椎のままである*3。フォッシル・ラボ(化石研究室)で学研の恐竜学最前線などを見せて、展示恐竜の情報を教えてもらい、その後館内をぶらつく。肝心のステゴサウルスやアパトサウルスはラボで再組立中のため充分見れなかった。だから一階の恐竜ホールはガランとしていた。スタートレック展やネクストジェネレーションの上映もやっていたが、子供達ばっかりで入りそびれてしまう。売店で恐竜発掘地の地図やおみやげのアクセサリーを買った。夕方タクシーを呼んでホテルへ帰った。知合いのユナイテッド航空のキャビンクルーに連絡しようかと思ったが、結構デンバーからは遠距離のようなので諦め、ひとりホテルのレストランでプライムリブを食べる。しかしなんで食費がこんなに安いのか? いや我が祖国が高すぎるんやと自分をなだめるのだった。ひとりだったがとなりのテーブルのカップルがSFの話を初めて聞き耳をたてる。少しだけ話したが、アメリカ人はひとなつっこいので声をかけやすい。そうそうこのホテルも2階建てなのに私の部屋は4階の番号で2階だった。ああややこしい。

23日(水)
 デンバーを昼に出発。ジェットはまっすぐインディアナポリスを目指す。眼下はえんえんと続く穀倉地帯で、これもいくら飛んでも風景が変わらない。ものすごくリアルだが日本人の眼には信じ難い光景だ。時差がデンバーと2時間もあるので到着したら既に夕方であった。電話をしたらシャトルがホテルから迎えにきたが、運転しているのが少年だと思ったら女性である。客は私ひとりだし20分ぐらいの道中はずっと話をする。カリフォルニア出身だけど中西部に来て今は午後から深夜までホテルのシャトルバンの運転手をしている。彼女の家は湖の側で猫を飼っているし、庭にはガチョウまでいるといっていた。ウォーターベッドで猫が寝るそうだが、爪をたてても大丈夫なんだろうかと余計な心配をするとこなんか、私も日本人である。ホテル近くで美味しいという中国レストランを教えてもらう。ここへは後日金子さん、中野さん、オーストラリアのロング博士と昼食にいった。金子隆一さんとスタッフの中野美鹿さんが午後10時前の飛行機で到着のはずだ。それで私がロビーへいってみようとしていたところへ電話があり空港のバゲージクレームのところにいるという。すぐに前述のデビーという運転手に言って、一緒に空港までピックアップにいく。このときも彼女といろいろ話をした。無事金子さんたちと出会いホテルで遅い夕食につきあってベッドについたのは午前1時ころだった。明日は恐竜学会の初日だ。

*1 昨年(93年)サンフランシスコで開催された世界SF大会。
*2 OMNI編集長は『行きます』と明言しておられたそうである。同時期に日本に来られる用事が在るとかで、名古屋の CONTACT Japan 1に取材に来る可能性は決して少なくない!!(^^)。ただ、ギョーカイ人にとっては半年後は途方も無い未来の話^_^;らしいので、本紙編集時点に於いてはただいま再確認中。
*3 ティランノサウルスの復元における誤りと近年の訂正は恐竜ファンには有名。関心の湧いた方には、金子隆一氏の著作(『覇者・恐竜の進化戦略』早川ノンフィクション文庫の第1章など)をお薦めしておきます。

《DINO FEST 編》

1日目 24日(木)
 朝ホテルの廊下で出会ったディビッド・ジョーンズという年配の恐竜研究家と知合いになった。朝食を一緒にとるうちに、恐竜の爪のプラスターモデルをくれるという。直接のキャストだといっていた。もちろん金子さんが受け取ったが、この人は我々を気にいってくれたと見えて、後でバリオニクスの前足の爪のプラスターモデルもくれたりした。バリオニクスは金子さんの好きな恐竜だけに、すばらしい贈物だった。この爪は分厚く長く頑丈なもので、武器というよりは孔ほりの道具みたいな感じだ。会場はホテルの道路向いにあるアメリカインディアン博物館の横を進み、公園を抜けるとインディアナ大学の構内のいくつかの建物が会場であった。ホテルからゆっくり歩いて15分くらい。大学は工事中だったが広い構内に建物が点在していて素晴らしい。ホテルまであり、しかもホテルにはバーとレストランまであるのは驚きだった。これから3日間恐竜学者の発表が、朝から夕刻まで30分刻みで続くのだ。
 ノート片手に席に着く。金子氏はテープレコーダーを準備していた。以下はその各レクチャーまたは発表のメモの内容だ。聞いていたときはよかったが、後でメモをみると何を書いたのか私本人でもわからないのがあった。
 これから各発表の紹介になる。私のメモに基づいて書いていくので、居眠りしていたり英語がわからなかったところはタイトルのみというお粗末さま。DINO FEST PROGRAM BOOK CAVER

Dinosaur precursors (Nicholas Hotton III)
 動物の体重と形状の分類をグラフにとってみても全動物の80%は比較的小さな生き物である。恐竜が大きいのは例外的なのだ。ティランノサウルスの足の関節の構造を研究してみると前後の動きはスムーズだがサイドつまり横方向へのスイングはうまく出来ないので大きく横蹴りはできなかっただろう。つまりバッカー博士の復元の様な激しい闘争は無理だった。

Deinonychus:The Ultimate Killing Machine (John Ostrom)
 ディノニクスの話。ティランノサウルスの手の骨の構造はそれほど自由性がなかった。また獲物を抱え込むこともしなかったと思われる。その点ディノニクスは腕が長くしかもプレデター(捕食者)として獲物をしっかり掴んで抱え込むことができた。彼らは殺すために設計された自動的なキリングマシンであった。またその尻尾は強力な初期モーメントを維持できるようになっていてバランスをとっていた。ちょうど綱渡りのバランス棒のようにである。むちの様な尻尾だった。

What the Fossil Record of Dinosaurs Tells Us (Peter Dodson)
 Calvin and Hobbs の漫画の様に Dinosaur WEE-WEE がいたら、またそれが仮にトリケラトプスとしたら、片足を挙げておしっこしたかもしれない。(会場爆笑)あとミクロパキセファロサウルス Micropachycephalosaurus の話もあった。(筆者注: Calvin and Hobbs というのはロスアンジェルスタイムス連載の漫画。少年と虎のぬいぐるみのお話。少年が空想癖があってしばしば恐竜も登場する。)

The Place of Dinosaurs in the History of Life (Dale Russel)
 カナダから参加した学者。恐竜の進化は chaotic ではなかった。恐竜のサイズは気候と関係があったという説だった。

Subject t.b.a (John Horner)
 有名なマイアサウラの営巣と卵の発見者。このレクチャーは標準の話が多かったように思う。後日の劇場での講演の方が面白かった。

Dinosaur Habitats and Habits (Donald Wolberg)
 ニューメキシコ州の白亜紀地層での発掘の報告。この話は結構いろいろな書物に報告されている。

Chinese and Canadian Dinosaurs(Philip Currle)
 このひとも有名な恐竜学者だ。日本でも紹介されている中国の恐竜の話など。今年6月から始まる大阪での大恐竜博の話もでた。

Australian and Polar Dinosaur (John Long)
 オーストラリアの古生代の魚のスライドを見せてくれた。この人とは友人になって現在 INTERNET で連絡をとっている。オーストラリアの魚と恐竜の研究第一人者である。

Dinosaur Egg CAT Scans (Andy Leitch)
 スライドとフィルムを見たがみごとに恐竜の卵の中の胎児がとらえられていた。ところで肉食恐竜の卵は細長く草食の場合まるいのは知ってますが。もちろん代表的な例の話ですが。

Tyrannosaur Teeth (James Farlow)
 あまりメモありません。肉食恐竜の歯の説明があった。先端のフラットな部分の説明があったはずですがメモにはなんにも書いていません。また大気中のCO2の増加についてのレクチャーがあった。

Tyrannosaurus Sex (Peter Larson)
 1990年夏にサウスダコタのブラックヒル研究所(Larson博士の働いている所)により発見された例の巨大なスー*4の話とティランノサウルスの性別特定の話。これとスーのひ骨の骨折にまつわるストーリィは、学研から出版されている恐竜学最前線4号に詳しい。未読のかたはぜひお読みください。

Dinosaur Morphing (Jody Smith)
 CGを使って恐竜の形態を調べているという報告でした。それ以上のメモはなし。

Subject t.b.a (Diane Gabriel)
 居眠りしていたのかなんにもノートに書いていません。(ああなさけない)

Dinosaur DNA (Raul Cane and Mary Higby Schweityzer)
 DNAを求める方法を琥珀と化石そのものとからについてふたりの学者が各々発表した。これこそ最も花形の絶滅DNA計画の最新レポートだった。この詳しい内容は前述の恐竜学最前線の3号に金子隆一さんの詳しい報告がある。
(1)Raul Cane
 琥珀から細胞組織を取り出す。どれくらいDNAは琥珀の中で保存されるのだろうか? 数多あるDNAの中で恐竜のそれを特定できるだろうか? 65百万年もたっているのだ、ジュラシックパークのやり方(approach)で恐竜のDNAを手に入れられるのか?
(2)Mary Higby
 化石からDNAを求める場合について話す。化石は壊れやすくbriddleで粉になってしまう。hydroxyapatite might bind DNA and takes it out of solution, thus preventing breaking. ハイドロオキアシアパタイトがDNAをくっつけておいて溶液から取り出しその結果壊れるのを防いでくれるかもしれない。ティランノサウルスの trabecular bone を電子顕微鏡でみたスライド(1900倍)を見せてくれた。DNA探査には細胞の核をみつけないと意味がない。鉄と結び付いているものを液クロなどを使い分析して最後にDNAを解読する。これらの分子を"Extinct Biomolecules"絶滅生物分子と呼んでいる。

Dinosaur Physiology (Gregory Paul)
 専門的で難しかった。は虫類から始まって講義があった。tachyaerobic とか Muscles have “Leaky” membranes. とか sluggish animals とか耳に飛び込んできたがあまり判らなかった。このあたりは英語のヒヤリング能力を超えて古生物学の知識が必要だ。

Dinosaur Breathing (Richard Hengst)
 アパトサウルスなどの酸素呼吸キャパシティについてとか話があったが、メモはあまりありません。

Thermal Physiology of Dinosaurs & Oxygen Isotopes (Reese Barrick)
 温血性についてのレポート。メモはあるのですが居眠りしたとみえて自分でも何を書いているのかわかりません(笑)。

Modern Reptiles: Analoques of Dinosaur Physiology (Frank Paladine)
 全くメモがありません。

2日目 25日(木)
 金子さんたちと朝まっすぐ昨日のホールへいったが、誰も居ない。さんざ捜しまわって大学図書館の地下ホールとわかったとき、最初のレクチャーは終わっていた。(図書館のビルに恐竜や古代の魚、恐竜の卵など化石を展示していた。)この図書館は公開されていて一般の人でもコンピューター端末で検索が出来るようになっていたので、金子さんと何度も遊ばせてもらった。地下にBORDERという本屋が臨時に開いていて、前から欲しかった THE DINOSAURIA などの本を買いこむことができたのは嬉しかったなあ。

How to Fight Dinosaur Abuse (Don Lessem)
 当日の朝みんなで場所を捜しまわっていて聞きのがした発表。だいたい察しはつく。

Commercial Expeditions (Japeth Boyce)
 皮膚化石の発見史。恐竜の皮膚ミイラ化石発見のエピソード(例の砂漠の洞窟で2体みつけ、ひとつはニューヨークに、もうひとつはフランクフルトの博物館にあるもの)。商業主義としての恐竜モノは批判されながらも商売になるし依然として繁盛している。そして限られた面積の発掘地が科学者に開放されている。現在は飛行機からfaxが送れる時代であり情報は政治的な境界をこえるようになってきている。周知の様に化石が海外へ流出している。一般の人にとって恐竜は常にロマンスでありマジックである。商業ベースで考えると、セメント採掘場で化石がみつかってもそれをそのまま売るのと粉砕してセメントとして売るのを考えると、利益面で差がないとしたら、化石を売るのをたやすく批判できないのではないだろうか。化石自体が資源として考えられるからである。という内容だった。

History of Dinosaur Reconstruction (Don Mikulic)
 恐竜化石復元のスライド映写。特に新しいものはない。

Dinosaur Studies in the Pre-K Through Junior High Curriculum (Dinah Zike)
 中学生の教育に携わっている彼女が熱弁をふるった。なかなか面白かった。恐竜を教育に用いた環境アセスメントに有効なものとして捉えているのだった。このひととは帰路サンフランシスコまで同じ便だった。

 このあと大学構内のホテルで夕食会があった。前菜やサラダは恐竜が棲息していたときに存在していて現在も一般的な野菜や花を使っていた。メインディッシュはいうまでもなくいま大きな課題となっている鳥:チキンだった。ケーキは表面が氷河時代を思わせる、白いクリーム何層かのケーキはK−T層のイリジウム*5入りとか。凝った献立のあとオストロム教授やインド系の美女学者の講演がいくつかあった。私のテーブルはとなりがミネソタ自然史博物館のマネージャーのパティさんだった。ここは3年前に行ったところなので話が弾んだ。CONTACTのプログラムブックを贈呈した。このあと夕刻から市内の劇場を借り切って特別講演があるのだ。小さいがなかなかクラシックないい劇場だった。名前はマダム・ウォーカー劇場だった。

【Madame Walker Theater】

25日の夜に劇場で行われた特別講演の内容だ。

Tiny Dinosaur (George Callison)
 恐竜学は生物学、地理学であって人文学や考古学ではない。プレカンブリア紀は非常に異常な視点をもつ時代である。特にバージェス頁岩の動物たち。ハルキゲニアは口と排出孔が相互に使えた。つまりいれたりだしたり(場内爆笑)。にせ化石の話も面白かった。バージェス頁岩の動物たちについてはグールド著「ワンダフル・ライフ」に詳しい。

Dinosaurs in Mongoria (Don Wolberg)
 スピルバーグと「ジュラシックパーク」のメーキングそれに彼の恐竜化石命名のエピソードなどを話した。それから The Hunt for Chinese Dinosaurs というタイトルのビデオを上映した。ゴビ砂漠での恐竜化石発掘であるが、典型的な砂砂漠だったので化石は砂を刷毛ではらうだけで取り出せる。最高温度は華氏120度まで上がる。ここでもっともすごい化石がいっぱい発見されたなどの内容で聞いている内にそんな所でも行きたいと思った。この講演は Rovert Bakker 博士が出席しなかったので急遽行われたものだが彼は気まぐれでよく出席しないことがあるとかで予想して準備してあったらしい。博士の散髪に時間がかかりすぎたためと冗談をいっていた。

Museums and Commercial Collectors (Craig Black)
 骨の怪我や病変による変形などの説明があった。スライドで興味深かった。脊椎の融合スライドやブリッジなどのスライドとその説明があった。関節の皿が保護現象をおこした変形のスライドもあった。研究にはCATSCANを使用しているそうだ。

Research Expenditions (John Horner)
 博士から最初に質問あり。「ジュラシックパーク見た人?」挙手多数。
 「それでは信じる人は?」ゼロだった。(場内爆笑)
 ニューヨークの自然史博物館のティランノサウルスの話。相手の化石にはティランノサウルスの牙の跡がある。ティラノの前脚は短く両方を身体の前で合わせることもできなかったと思われる。この事実はプレデターであるためには重要なことである。ティラノはトリケラトプスを蹴ることはできたであろう。しかし私(ホーナー博士)はティランノサウルスがトリケラトプスを捕まえることができたとは思えない。前脚をみるとディノニクスのそれは長くしかも上腕骨と尺骨の比率は尺骨の方が長いのである。プレデターには共通してこういう特長があると博士は言っていた。続いて博士の発掘地の話になった。1平方メートルに30本もの骨が埋まっているとか長さ4マイルぐらいの発掘地で60体もの化石を発掘したという、日本の恐竜化石発掘状況を知っているものにはうらやましい話だった。もちろんマイアサウラの話もあった。
 あとはアフリカのセレンゲティ保護区の話もあった。それからどうやらティランノサウルスはスカベンジング(屍肉喰い)もやっていただろうということだった。

3日目 26日(金)
 これが最終日だ。こんなに充実しているコンファレンスも珍しい。ワールドコンと同じくあっという間にもうおしまいなんだ。来年もやるらしいので楽しみにしよう。

Dinosaur Affictions (Bruce Rothchild)
 午前8時からで時間が早いので意図的にパスした。もう朝はかなりバテ気味なのだった。DINO FEST 図解解説より、

The Dinosaur Growth Place (Claudia Barreto)
 これも同じくパスした。

The Oldest Collagen (Noreen Tuross)
 コラーゲンに含まれる炭素や窒素の同位体の割合と、他の物質例えばアミノ酸との関係グラフを作り、そこから化石動物と現存動物を比較しその差を知って役立てる。いまコラーゲン中のデルタ13Cの量を縦軸にアミノ酸を横軸にとると、現存の鯨はグラフの上の方だが、7万年前の化石になっている鯨では下の方になる。この炭素の同位体は BIOGENEC CARBONATE という。

Dinosaur Bone Histology (Anusuya Chinsamy)
 この人はインド人の美女の恐竜学者である。熱のはいった講演だった。恐竜は今は化石だがかつて生きて躍動していた動物だった。骨のテトラサイクリンを調べる。骨には bone rings(骨輪?)がある。早い成長の時とゆっくり成長した時があるのでその差により骨には一種の年輪ができる。これによりその動物の経年を知り、それは骨の年齢を知ることでもある。骨にはいろいろな空洞があり、そこを血管や神経や液が通り、骨は生きていて成長を続ける。この骨の化学的成分を調べた。まず大型の竜脚目の恐竜の骨を調べた。1981年、83年そして90年のプロジェクトである。メソゾイックから26サンプルその他の年代から19サンプルを使用した。横軸に年月を縦軸に成長の度合をとると、メソゾイックの恐竜は成長がとまらないがマソスポンディルスという恐竜は7から8年で成長が横ばいとなる。人間は18から20年でとまる。骨の成長または構造には、ラテリアンパターンとマメリアンパターンというふたつの特徴がある。恐竜はひとつの特別なパターンまたはカテゴリーを占有すべきでないと思う。これから骨のリングを見てみると、Dinosauria(恐竜の系統ツリー)上で左に恐竜をとると中間の南米で見つかった鳥形の恐竜とは共通するが、右端にいる現存の鳥類は骨リングを持たずに共通点がないので、博士は、鳥は恐竜の直系の子孫ではないと断言していた。

Reconstructing Dinosaur Nervous Systems (Emily Giffin)
 最初に鳥の神経繊維標本のスライドを見せた。脳と身体の大きさの関係グラフの説明があった。縦軸に脳、横軸に身体の重量をとるとほ乳類はグラフの上、は虫類は下側にくる。次に恐竜で同じ比率をとると肉食恐竜はグラフの左下側、中間形はグラフのまん中そして草食恐竜は右上方になる。次にティランノサウルスのスカルとか脳室のカストモデルをスライドで示した。そのとき注目するのは脊髄がとおる孔である。この脊髄のサイズを計測する。縦軸は神経孔サイズと横軸に脊髄のサイズをとってグラフにすると左側はイグアナなどは虫類、まん中は chamaeleo?? 右側は Ophisauru といっていた。(もひとつ名前がわからなかった:大迫)

The Function of Dinosaur Morphology (Catherine Forster)
 それほど新しい話はなかった。ある恐竜のもつ放熱板とかフリルの役目とかだった。

On the Elusive Trail of Dinosaur Dung (Karen Chin)
 さいしょから unchi のスライドで今回もっとも受けたレクチャーだと思う。笑顔がいい明るい感じの、恐竜業界でも話題の女性だ。
 排出された未消化の食物の化石を調べることで非常に色々なことがわかる。これはコーポライトまたはコープライトと呼ばれる化石で過去のトレースといえるだろう。各種の標本が保存されている。しかしどの恐竜がどの dung(英語でウンチのこと)を創ったのかだけは特定できない。化石から魚の骨や鱗がみつかることもある。しかし独特の形状で作成者(!)がわかることもある。螺旋状になっているものは dugfish(だったと思います:大迫)である。また各種の魚の棲息の証拠がコーポライト内に発見されている。モンタナではアルバータサウルスのものも見つかった。ネバダではかなり年代の若いコーポライトが見つかっている。また甲虫の破片がみつかったことなどで当時の生態環境の確証が得られた。白亜紀の「糞転がし虫」は土中の自分の巣に縦に何か所も dung を貯蔵したのでそれが縦につながった化石となり恐竜の dung needle と呼ばれる物がみつかっている。

The Dinosaur Plant World (Peter Crane)
 銀杏などを例にとり裸子植物と被子植物の説明だった。つまり恐竜時代の植物だ。

The Scientific Romance with Amber (David Grimaldi)
  特にメモありません。きっと居眠りしていたんだなあ。

Dinosaur Breath: The Mesozoic Atmosphere from Amber (Diane Bellis)
 この講演はなく代わりにオーストラリアのジョン・ロング博士の古代の魚の説明があった。

Gargo Fishes (John Long/Australia)
 スライドが面白かった。オーストラリアに棲息していた魚の化石だ。しかし巨大な甲殻をもったおそろしい歯をそなえた魚で、こんなのとは遭遇したくない。この魚の本がもうすぐ出版されると博士から聞いた。来年には一度日本へくるそうなので楽しみだ。大会の後は電子メールで交信をしている。金子さんの紹介のおかげで友人になることができたのが嬉しい。

 午後大学のビルの屋上にある植物園を見に行ったので講演をいくつかパスした。何故なら恐竜絶滅説に関する講演ばかりだったからである。絶滅DNAを昆虫で研究しているペレグリノ博士が私たちに同行したが、彼の処女出版したSF「Flying To Valvoballa」のストーリーを聞いたりSF映画の話をした。こちらの大会でもSFの話ができるとは予想もしなかったが、もちろんSFファンである金子さんは除外しての予想である。(上記のSFは後日送ってくれた)。前述のOMNI編集長のファレル氏も同博士とは既知の間柄であったし。そういえばOMNIも恐竜特集を出している。この日は雨がぱらつくあいにくの天気であった。

The Catastrophic Extinction of Dinosaurs (Peter Sheenan)
 パスした。

The Search for an Extinction Event (Rodney Feldmann)
 パスした。

Evidence (Or Lack of It) for a Cretaceous Impact (Charles Officer)
 パスした。

Common Patterns of Mass Extinctions: What Do They Tell Us About the Future? (Erle Kauffman)
 パスした。

What Can the Fossil Record Tell Us About Extinction? (William Zinsmeister)
 パスした。

T.B.A(J.Keith Rigby)
 これは聞いた。イリジウムで有名なK−T境界層の話から始まっていろいろな話だが、珍しいことはなかった。

The Case for Catastrophism (Dale Russell)
 後期白亜紀恐竜の分類などから破滅の話だった。何故ドラマチックな内容を絶滅に求めるのか? という提議は印象に残った。

 これで講演は終わったのだが、閉会宣言を聞いても参加者は去り難く、ホールの外で三々五々話をする。金子さんは恐竜学者たちに執筆の依頼と写真をとっていた。私は友人になった恐竜学者や古生物学者それに研究家や恐竜ファンと再会を約する。何人かは後で家にあった専門書などで有名なひとだとわかってびっくりすることもあった。大学のホテルのバーでオーストラリアのロング博士などと別れを惜しむ。ロング博士とは後日パソコン通信で交信出来るようになったのがうれしい。彼の発行している恐竜誌を読めるようになったのもアメリカまでいった甲斐があったというものだ。

 この夜はニューヨークからきた昆虫学者で絶滅DNAの研究をしている前述のチャールズ・ペリグリノ博士と一緒に、インディアナポリスのダウンタウンへブルースジャズを聞きにいったが、映画『ブルースブラザース』そこのけの熱気にあてられて私たちは早々と引き上げてきた。このひとは前記の研究では有名であるが、話をしてみるとSF作家でもあり、後日処女出版を送ってくれたのは有難かった。部屋へ戻り私はTVでSF映画を見ながらパッキングをして早朝の出発に備える。明りを消すときは「2001年宇宙の旅」が始まったところだったが諦めてスイッチを切った。翌朝は7時の飛行機に乗るため5時起きなのだった。

27日(日)
 暗いうちに起きてチェックアウトする。中野美鹿さんが見送りにロビーに来てくれた。ロビーにあるコーヒーを飲んで出発だ。私一人のためにロングボディのリムジンを頼んであるのだ。大きな車に客は私ひとりで空港までたったの7ドルだった。数日前に泊まったデンバーに近づくと真っ白である。雪がふってこの日は気温が零下になったとか。運がよかった。さらに帰り道は雲ばかりで景色は全然見えなかったからだ。デンバーとサンフランシスコで飛行機を乗り継いで大阪へ帰り着いたのは予定より40分も早い28日の午後4時20分だった。ジェット気流の速度が春になって落ちていたのだろうか。帰国して日本は既に春の気配が濃厚になっていたのが印象的だった。

*4 《スー》は現存する最大のティランノサウルス化石の愛称。発掘場所が地権の境界線付近にあったため、所有権をめぐって訴訟沙汰になり、一時FBIに押収されていた。
*5 K−T層のイリジウム 恐竜が絶滅した頃の地層のイリジウム同位体比率が異常であることが発見されたのをきっかけに、恐竜絶滅要因の論議が一時沸騰した。巨大隕石衝突説が再び注目を集めたのはイリジウム同位体異常と恐竜絶滅をもたらした気象変動を同時に説明できるから。現在では、マントル対流の周期要因によって火山活動が活発化し、イリジウム異常と気象変動をもたらしたという説の方がやや有力らしい。

コレ、予算デオチナイカ?

谷甲州FC
青年人外協力隊海外支部紙
<月刊甲州画報>臨時増刊号
『CONTACT & DINO FESTレポート』

甲紀15年6月19日発行
著者 大迫公成
資料・写真提供 大迫公成・中村孝
表紙・裏表紙イラスト 落合香月
責任編集 岩瀬史明
Web 作成 阪本雅哉

 この原稿は1994年に開催されたCONTACT XI と DINO FEST レポートで、
94年6月に甲州画報の臨時増刊号として発行されました。




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