なぜ、苦労して英訳するのか

阪本[初代]雅哉

 なぜ、苦労して英訳するのか。
 答えは簡単
 「日本語を解さない人達は、『谷甲州』を読むことができない」
からです。
 もっとも、私は「さぁ、翻訳するんだぁ」と人を煽ってはいても、自分ではなんにもしていない(できない)ので、実際に翻訳している人からは異論が出るかもしれませんが。

 翻訳という作業は、他人に読んでもらうことを前提としたものです。例にあげられていたローダンでも、自分が読みたいだけならそのまま読めば良いわけで、苦労して翻訳するのは誰かに読ませる、読んでもらいたいからです。
 職業としてではなく(あっても?)翻訳するのは、その作品を誰かに紹介したい、読んでもらいたい。また読ませることで満足感を味わう、自慢したいって気持ちもあるでしょう。それが「国内の誰かに海外の作品を」でも、「海外の誰かに国内の作品を」でもなにも変わるところはないはずです。

 日本SFの市場を国内だけに限る必要はありません、その価値が有るなら世界へ向けて紹介すべきです。
 谷甲州の作品は、海外のSFにも匹敵するものが無い素晴らしいもので、さらに国籍に関係なく受け入れられる作品だと思っています。また世の中には翻訳不可能だったり、翻訳することで良さが失われてしまうものも有りますが、幸いなことにそのどちらでもありません。
 この場合に翻訳して世界に紹介したいと考えるのは当然のことで、紹介することをなぜ疑問に感じるのかその方が不思議なくらいです。ただ、英語を日本語に翻訳する場合でも苦労の多い仕事であり、まして母国語でない英語に翻訳するのは並み大抵の苦労ではないため実行に移されることが滅多に無いのでしょう。
 それと、なぜ英語なのか。中国語やスペイン語、その他の言語じゃないのか。これも簡単です。英語以外に訳そうと言ってくれる人が(今のところ)居ないからであり、さらには英語に翻訳するのがもっとも利益を享受する人が多いだろうからです。
 翻訳の内容や質は、
 「翻訳している人が納得できるなら、それで十分。回りからごちゃごちゃ言う  必要はなにもない」
です。
 もっとも、谷甲州先生本人から「こんなものは発表するんじゃない」って言われたらしかたないです。でも、それ以外にはなにも気にする必要はないでしょう。

 間違いが有っても問題ありません。誰が書こうが誰が翻訳しようが(どれだけ英語や軍事用語に堪能であれ)間違いのひとつやふたつ、それ以上有ったって当然のことです。どれだけ丹念に読んでも、作家本人でなければ意図を間違う可能性は有り得ます。間違っていればそれがわかった時に直せば良いだけです。

 もちろん、なんとか良いできにしようと努力しているときに手伝いが必要であれば、求められた範囲で(能力の有る人が)協力すべきでしょう。



●戻る