本日、画報が届きました。いつも分厚い画報をありがとうございます。
三月にこちらの郵便番号が変わったおかげか、郵便物がはやく届くようになったようです。
横浜で異臭さわぎがあったようですが、今わたしの会社では、来年はちゃんとあるんだろうかと、不安がってます。
といっても、オウムのせいではなく、円高でどうなるのかということです。
画報83号、こうしゅうえいせい企画用ハガキ受け取りました。
次いで、「遥かなり神々の座」も読み終えました。
いやぁ、夢中で読み終えてしまいました。
丁度免許証の更新手続きに金沢まで行かなければならなかったので、バッグの中に入れていったんですが、地鉄金沢駅から読み始めて帰りのJR松任駅に付いたときには最終ページにたどり着いておりました。
「読み終わったーっっ」という読後感に浸りながら、この文章を書いているのですが、いやぁ、この感覚は久しぶりです。
翻訳だと珍しくない感じですけどねぇ。さすがは甲州作品であります。
本に挟まってくる読者カードも出してしまいました。
最後の設問「御意見・ご要望」には、当然の事ながら「『惑星CB−8』を重版してくれぇぇ」と書いてしまいました。
うっうっ、リストに載っているんだから、出してね早川さん;_;
ところで、譲ります告知をしましたの「火星鉄道一九」ですが、未だ引き取り手は現れません。うちのダンナは余分な本(読まない本)は置かない主義なので、もしかすると廃棄されてしまう可能性もなくはないです。
本当にどなたも必要でないのでしょうか?
引き取り手が現れた時、又廃棄になった時はHPにUPしますので、UPされない限り私の手元に残っていると思って下さい。
それでは。
結婚しても‘お茶汲み少年’中谷育子
筑波宇宙センターの中は、ウチの社員の青い上着だらけでした。
うっひゃーっ。
現在センター内にて新入社員研修中です。J−1ロケットの振動試験現場やら、国際宇宙ステーションの日本のモジュール(JEM)の暴露部が試験のために真空チャンバーにはこび込まれるのを見ては感激し、来年年明けに打ち上げられる衛星(ADEOS)の分厚い衛星運用マニュアルを要約しろと言われてはめまいがし、社内での恐るべき宴会攻勢にあって恐々としている毎日です。
自分が春に入社したこの会社、最近事務所を隊長のお膝元タカノマンションから、つくば市の真ん中のビルに移転したらしく、その上仕事場は上九一色村を思わせる建造物の立ち並ぶ宇宙センター内ばかりとのこと。
仕事の内容といえば、一口に言えばNASDAの使いっぱ、便利屋です。設備の運用管理、衛星のテレメトリデータの分析、部品や素材の試験、宇宙実験用のいきものの飼育培養などなど・・・
しかし、NASDAの肝いりで設立された関連企業の中で唯一、実動部隊(人さらいはしません)を持つ企業だそうで、やたらといろんな分野に手を出し自信満々の企業です。こちらが見ていてはらはらします。
ま、その位でいる方が、自分にも夢が持てていいのですが。
自分の造った衛星を、そのうち飛ばしてみたい、そんな事を考えています。日本宇宙開発が生き残る道は、案外安くて良い衛星づくりにあるのかもしれません。コンピュータだって、気密容器に封入すれば民生用のモノでも案外使えるのでは、そう思うのですが・・・
配属はどこになるのか、不安です。「保守と管理業務」なんて嫌だし、いきなり「いきもの係」というのもナンですし。はあぁ・・・・
> 配属はどこになるのか、不安です。「保守と管理業務」なんて嫌だし、いきな
> り「いきもの係」というのもナンですし。はあぁ・・・・
ふう、こんな風に不安と期待に胸をときめかせていたあの頃はどこへいったのかしら(;_;)
うう、あの頃と精神年齢はかわらないのに、どーしてもう、★年もたってしまったんでしょうね?
仕事をはじめてすぐは、色々苦しいと思いますが、人間そのうちなんでも(恐ろしいことに)なれてしまうので (^_^;) がんばってくださいね。
阪本初代の、
> 激烈な宴会なんて、昔は常にだったけど、最近は数年に一度もないよなぁ。
という書込みを読んで、我が家では、夫婦そろって大笑いをしてしまいました。
そりゃそうだよな、毎週毎週、あんな事やこんな事ばかりして騒いでいたんじゃ、
今の宴会なんかは、春の日の穏やかな午後の日和の中にひっそりと残っている水溜まりほどに穏やかな事でしょうよ・・・。
激烈宴会の中に身をたゆたわせていた天ちゃんでした。
> 私は天羽さんが参加した最初の例会で、そのあまりのことに翌日体調を崩
> して医者に行ったのであった。(例会の帰りに、毎月こんなことが続いた
> ら命が短くなるかもしれない。と話し合った記憶もある)
ほっほっほぉーっ!! この部分だけ読んでいると、まるでぼくが激烈宴会の
中心にいるみたいに思えますが、それはとんでもない誤解ですぞ!
たしかにぼくは騒いだ。それは認めよう。だがしかぁーしっ! ぼくに負けじ
と対抗していた陰山と、ゲリラのように騒ぎをかき混ぜていた阪本初代の存在を
ぼくは忘れていないぞ。ついでに言うと、第2ビルの「百番」で、我々の隣に陣
取っていた結婚式の二次会らしいパーティの存在も忘れてはいけないのではない
でしょうか!
ちなみに、あの日の帰り道。相方に、「毎月こんな宴会が出来るんだったら、
人外協に入ってよかったね」って言った記憶がある。相方は、ぼくの隣で頭を抱
えていたが・・・。
さらに、毎月一回だと思っていた宴会が、毎週一回おこなわれる事になるとは、
その時のぼくには想像も出来なかったのだが・・・。
そんな、毎週の宴会なんて誰も予測してないぞぉ。
誰が悪いんだ、誰が。
私がはじめて参加したDAINA☆CON EXの時の「夏期甲州祭」を激烈の単位として、激烈宴会とは何夏期甲州祭くらいなのでしょう( ‥)/?
#先日の天羽さんからの話が事実なら私も大阪に生まれたかった・・・。
あんねぇ、初代。わしが思うに、毎週の宴会は誰が悪いわけでもなく、あの当時、大阪のメンバーがみんな暇をもてあましていたと言うのが原因じゃないでしょうか? ふふふのふ。
カーリーさん。あの夜に話した事は、事実の半分もつたえていません。
どう? うらやましい? ふふふのふ。(^_^)
最近おとなしい天ちゃんでした。
芸の力だけで隣りテーブルの3組のカップルから女性陣だけを引きつけたという話だけでも信じがたい話なのにそれをさらに二倍するのですか。きっと現実はさらにそれの五割増しに違いない。
別に誰かが悪いって言ってるわけじゃないっすよ。自分もその当事者の一人だ し、面白かったし。でも、なんで毎週なんてことになったんだぁ、って思うじゃ ないか。(最初っからそんなもんだったのかもしれないけども)
ただ、
暇をもてあましていたかなぁ。他人はいざ知らず、毎週宴会なんかしてりゃ、
すくなくとも週末はものすごく忙しかったような気がするんだけど。でも時期が
それなりに幅が有るから、いつかにもよるわな。
仕事ちゃらんぽらんだったからかもしれない。
さらにそれを半額に値切って、8掛けにして、5割引いてもらいましょう。
> 芸の力だけで隣りテーブルの3組のカップルから女性陣だけを引きつけたとい
たんに喧しかっただけとか、珍しかっただけってことはないでしょうか。だっ て、当時は女性に縁が有ったのは、天羽さん(既婚)だけだったはずだから。