私はいかにしてスタッフされたか

五藤[航空宇宙軍補佐心得]三樹

プロロ−グ

 夏が来ないうちに秋がやって来たような日の続くころ、訳あって時刊新聞社の社長を退いた僕の所へダイナコンスタッフK氏がやって来たのはそんなころだった。
「五藤さん、なんでも時刊新聞の社長をおやめになったそうで」
「いや、まあ思うところがあって。」
「ということはダイナコンのスタッフの手伝いをしていただけるわけですね」
 時刊新聞社には「社員はコンベンションのスタッフを兼任できない」という不文律がある。会長の御前さんがハマナコン開催時に一旦時刊新聞から籍をはずじたものそれが理由である。僕の場合、逆にこれを理由にしてスタッフになるのを断ってきたのであるが、さすがに今回このては使いにくい。
「ええ、お手伝い位ならさせていただきますが...。」
 僕が社交辞令半分そういった瞬間だった。K氏は素早く立ち上がると周囲にいた数人のダイナコンスタッフを見回すと叫んだ。
「いまの手伝うと言ったの、聞いたな!」
「聴きました」
「僕も聴きました」
「わたしもです」
 呆気にとられる僕に向かってK氏は満面に笑顔をたたえてこういうのであった。
「五藤さん、これであなたもダイナコンスタッフですよ」

「広報統括」

 これがダイナコンスタッフ内において与えられた僕の最初の役職である。広報統括、偉そうに聞こえる役職名だがいったいなにをすればよいのかまるで分からない。だいたいコンベンションはエゾコン以来であるからまあそんなに初心者というわけではない、いや時刊新聞社社長としてそれなりコンベンション実行委員会の中のことも知らない訳ではないのだが、逆にいえばだからこそスタッフはやりたくなかったが、とにかく広報統括と言われてもなにをやればよいのか全くわからない。
「いや、簡単なことですよ」とK氏。
「企画局で企画を練ります。事務局では運営に必要な事務処理をします。」
「はあ」
「プログレスレポ−トはまた別にお願いしてありますから五藤さんにはその間の連絡調整を行って頂ければ大丈夫ですから。」
 なにがどう大丈夫なのかは分からないが、とにかく納得されられてしまうのであ
った。
 このK氏、人に物をたのむのが上手い。一種の才能だと思うのだが、前回も口車に乗せられて彼の結婚コンベンション、それに結婚宴会の幹事を引き受けさせられてしまったのである。それも宴会のほうは大阪梅田で行われた宴会である。なぜ岐阜に住んでる僕が大阪でひらく宴会の幹事をしなければならないのか?疑問はつのる一方であるが、これはまあ済んだ話であるので割愛する。

 かくしてダイナコンスタッフとしての日々が始まった。広報といえば宣伝、SFマガジンへのイベント告知には掲載されそうとのことである。これは僕が広報統括になったときにはもう処理済であった。するとあとは即時性の高い通信へのアップ、そして口コミである。かくして参加申込書と参加料領収書をもっての全国行脚(というほど大したものでは無いが)が始まったのである。
 まずは大阪。
「すいません、あのダイナコンの申込書と領収書もってきたんですけど」
「なんで予めいっとかんの。それやったらお金もってきたのに」
「すんません」
「それやったら手数料節約できたのに」
 勿論ダイナコンの営業のためだけに大阪へ行ったわけでは無いので念のため。
 松本でのニフティのオフにも領収書をもっていった。この時はゲスト交渉もかねてである。実際、すくなく見積もって今回の参加者の5%はこうして僕が領収書を切った人のはずである。
 つぎはニフティ−での宣伝である。とはいうもののどういう煽り文句でいったものか。
「それは、危機感を煽るんだって」友人に相談すると、こういう返事が返ってきた。
「今年のダイコン、ぎりぎりになって申し込んで人数オ−バ−で行けんかった人が沢山いたやんか」
「そうなの?」
「なに寝惚けたこと言っとんの。そらかや、はよ申し込まんと締め切りますよって宣伝して、そうしたら、行こかやめよかどっちにしよかなって人が、あぁはよ申し込まんとあかんのやなぁって申し込んでしまうやんか。」
「そういうもんかなぁ」
「そういうもんやって」
 かくしてニフティサ−ブでの宣伝の方針が決まった。今だから言えることだが、この段階でダイナコンの申込者数は当初の予定を大幅に下回るものだったのである。
 こうした地道な努力が実ったのか、あるいは去年一年間お休みをした参加者が力を付けたのか、九月末、参加者は突然やって来た。
「あの、また五人ほど参加申込と参加費集めて来たんですけど。」
「五藤君、ほかにまだ申込者、居るか?」
「あと、2〜3人…」
「先週末に一気に100通近い参加申込が来て、これ以上来ると大名古屋温泉のキャパ越えそうなんや」

 人集めが一段落ついた僕のところへまたしてもK氏からの電話がはいった。
「五藤さん、実はですね、娘が生まれまして」
「無事お生まれになりましたか。おめでとうございます」
「そこで、私もダイナコンにかかりっきりというわけにはいかなくなりまして」
「まぁ、なにかとお忙しいでしょうねえ」
「という訳で五藤さん、あなたに自主企画統括をやって頂きたい」
「はぁ!」
 まさに寝耳に水とはこのことである。自主企画統括だって?いったいなにを言っているんだ。
「もうフォ−マットはできていますから。いやいや、たいしたことないです」
「そんなこと言ってもですねぇ」
「いやいや五藤さんなら簡単ですから」
 なら自分でやれよと、喉元まででかかったのであるが、これが出来ないがために今の僕があるようなものである。
 かくして今度は自主企画担当者への電話連絡業務が始まった。今回のダイナコン、例年と比べてやたらと企画の数が多い。それもその半数が大会実行委員会主催のゲスト企画である。そうするとどうしてもゲスト企画を優先させなければならないから自主企画の開催時間は後ろへずれこむ。
「もしもし、ダイナコン実行委員会、自主企画担当の五藤と申しますが、この間送らせて頂いた自主企画確認のお手紙、届きましたでしょうか」
「あれねぇ、もうちょっと早い時間にならないの?」
「ええ、御不満はごもっともですが、何分企画数が多いものですから、あの時間にならないとどうしても枠があけられないんですよ、どうもすみません」
「えぇ、こんな時間なの!」
「すみません、この時間しか開かないんです。」
 なんかすっかり謝るのが板についてしまったような気がするのは僕だけであろうか。

 これを読んでいる方の中にはダイナコンに参加された方も多いと思う。
 参加して頂いた皆様、楽しんで頂けたでしょうか。自分としてはそんなに大失敗の大会ではなかったと思うのだが、こればかりは参加者の一人一人の決める問題なので、僕に言うべきことはあまりない。いずれにせよ、大会当日の事については僕は多くを語るつもりはない。

エピロ−グ

 かくしてダイナコンはおわった。僕のスタッフとしての仕事も終わりだ。あとは残務処理を片づけるだけである。
 ほっとしている僕を呼ぶ声が……。
「五藤さん、五藤さん。」
「はい、なんでしょう」
「あなたは来年行われるFCSコンのスタッフに任命されました。」
「・・・・」

<つづく>

*なお、この文章は、事実を元に構成されたフィクションです。




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