編集後記
- まいどども、例によってぎりぎりに後記をかいている従軍魔法使いです。
今月はそろそろ「こうしゅうせいせい正」の企画設定が煮詰まり、全員参加企画についてもアンケート葉書を同封しています。(コスト節減のため、古い年賀葉書もまじっていますが、どうかご容赦下さい)また、伝言板に重要な連絡事項が多数ありますのでそちらもご参照ください。伝言板はいつもの位置(最終頁の直前)、またその前には「えいせい正」の企画についての記事が載っていますのでそちらもよろしく。今年の「えいせい」の締切は早いですよ。
締切は5月末日、
全員参加企画締切は3月15日です。
なお、葉書に同時に載っている他のアンケートの締切も、同様とします。
- 話しは突然変わりますが、先日、大山で雪崩の直撃をくらって数百メートル滑落して仲間とはぐれ、食料をひとカケラももっていなかったにも関わらず「ザイルと簡易テントなどがあったから大丈夫だと思い」、74時間かけて自力で沢をくだって生還した人がいた旨、新聞に報道されていました。この人は麗の農家ではっきりした声で「こんばんわ」と挨拶し、出されたインスタントうどんを冷静にゆぅっくりとかみしめて、自分の手足の凍傷の具合いを淡々と語ったそうです。
以前甲州先生が、山岳会の常連である八千メートルクライマーはバケモンのような人々がごろごろしている、と「こうしゅうでんわ」にかいておられたことを思い出してしまいました。
- 先月の後記では1行もかけませんでしたが、11月あたりから時々ここに名前を出している加藤文太郎氏は、そんな日本の登山家の元祖の様なところのある、傑出した昭和初期の登山家なのです。で、どうしてそれが谷甲州と関係があるのかと言うと……詳しい事はいずれ(次の)名古屋支部紙に載せてもらう予定ですので、それまでお待ち下さい。
- ここでは、「CB−8越冬隊」のカトーのモデルだ、ということだけはかいておきます。ついでにいうと、最近中野[日本以外全部沈没]氏が確認した事実によれば、「CB−8越冬隊」に名前のでてくるあと二人の「地球人」、ギュンターとラインハルト兄弟は、これまた実在の登山家メスナー兄弟からきているのだそうです。ついでにいうと、現実のメスナー兄弟も、弟のギュンターが早世しています。ちなみに、メスナー自伝にのっているギュンターの顔は、12月号に武川さんが書かれた「ぎゅんたくろーす」とそっくりでした :-)
- も一つ確認された事実は、「CB−8」という名前そのものが実は山の名前だったということでした :-) しかも、CB−8というのは測量時の記号名で、現地名はなんと「ムルキラ」だそうです。
- 足は完治しました。心配をしてくださった皆さん、ありがとうございました。
- それでは甲州先生のご健筆と皆さんのご健勝とご健筆(:-)締切は近いですよ、なんども書きますけど)をお祈りして、また来月!
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