8月にSUM PACKと言うのがあった。60〜70人くらいの隊員が参加していたというから、だいたい40〜50%くらい(編補:当時の隊員数は150名弱)の隊員数にあたる。色々と問題があった事は、前回謝罪等々のっているので参加されなかった隊員も御存知だろう。
私は人外協のSUMへの係わりかたについて、気にくわない所が多々あったので夏以降、色々言ってきたのだが、やっとこさ載った謝罪文や状況説明を読んでもいまだに阪本氏をはじめ実行者たちは、なにが良くなかったのか解っていない所があるようだし「運営の現状と課題」もなんかかんちがいしていると思うのでそれについて書く。
私は夏以降、人外協の運営にタッチする気はうせてしまったので(それでも一隊員として発言する権利はあると思うんだが)これはこれからの人外協の運営に対する提言、あるいは捨てゼリフと思って読んでいただきたい。
まず、《SUM PACK90での人外協企画についての謝罪》のへんな所について。手もとに11月号がある人は一度11月号をよみかえして下さい。
最初は「3」の所。 谷甲州を使う企画が無かったことや、谷甲州をほったらかしにしていた事は、作家に対しても失礼だったろうが、それが問題なのではない。
当初、谷甲州の参加費は当日のカンパの中から払う予定であったはずだ。客の払ったカンパの中に参加費が含まれているのなら、客に対してそれに見合ったものを見せる努力をするのが企画というものだろう。宴会とはいえ自主「企画」であり作家の参加費を払うつもりが、自主企画の実行者にあるのならその作家はゲストであり、ゲストと観客とのバランスは上記の方法で均衡が保たれるものだからだ。
この事を岩瀬氏に話した際、「企画時間中に谷甲州がいる時間と、いない時間があるのだから、谷甲州を使った企画を行うのはいない時に来た参加者に対して不公平だ」というすごいコメントをいただいた*が、もしそう考えるならば、最初から宴会のカンパでゲストの参加費を払おうと考える事自体がおかしいのだ。面白い企画を思いつかなくてもオーバーワークで手がまわらなくてもゲストを作る事がどういうものか解っていればすくなくとも谷甲州をほったらかすことなどありえまい。謝罪文にも「自由に話し合えた方がいいのではと思った」とかいてあるが、それこそ金を払っているファンといやでも交流してもらえる様気を配らねばならないからだ。たとえあとから谷甲州に参加費をもらったとしても、結果オーライにすぎない。
次に、今回の様々な問題の中でも最大の問題である「5」の寝部屋の確保について。
確かに過去のイベントで寝る部屋がない事はよくあった。しかしそれらは参加者に寝る部屋をわりふろうとする意志がなかったわけではなく、ただ努力がいたらなかっただけなのだ。
これはSUMのスタッフの問題だが、スタッフの中には当初より「別に寝る部屋がなくても良い」という発想があったとの事だ。 もちろん過去、男部屋女部屋の区分けだけした上で、寝たい人はかってに寝てくれというイベントはあった。
しかし、もしそういう思想で行っていたのなら最初から部屋割りなど必要ないはずだろう。 参加者が部屋に割りふれない程多くなってしまったのなら申し込み順の後ろから、参加者に部屋無しとなることを通告し、交渉すべきことで、各サークルごとに何人か削るようにわりふってしらん顔していいものではない。
次に人外協側からこの問題を見てみると、部屋が無くていいとされてしまった参加者は人外協の隊員であるという理由だけで寝部屋を確保する権利を奪われる事になる。繰り返すが、もし他に方法が無く同一の参加費をはらっている客に格差をつけなければならない事態となれば、申し込み順による以外方法はない。
当然SUM側より「人外協で何人か部屋割り無しにしてくれ」という依頼があったところで突っぱねる外にやりようはないはずだ。開催期日がせまり時間的にどうしようもない状態ならば(私はいやだけれども)「隊員の某にあたってみれば部屋なしでいいというかもしれない」とSUM側に教える事もゆるされるかも知れないが、それ以上の事はできない。なぜなら寝る部屋の有る無しはコンベンションスタッフとそれに金を払った参加者との間の問題でサークルが介入できる事ではないからだ。人外協の企画交渉窓口にすぎない阪本氏に「ここで依頼を断わっても最終的に部屋が不足すればどこかにしわよせがゆくだろうと思い」岩瀬氏とともに勝手に寝部屋無しのリストを作成し提出する権限などない。参加者はサークルの所有物ではないのだ。
以上2点について、気になったので書いておく。謝罪文中の企画の準備不足その他諸々の問題は、まぁ能力不足だからしかたがないとして、自主企画を行う上で実行責任者はいったいどこを向いて行動しなければならないのかをもう一度考えてほしい。
SUM PACKや他のサークルでなく、人外協参加者の方を向いて行動していればこんな問題は起こるまい。 もし起こっていたとしても、力不足ならしかたない。しかし私には今回彼らが人外協の参加者の方を向いて行動していたとは思えないのだが。
さて、ここまで書いてきた《謝罪文のへんな所》をふまえて、こういう問題を二度と起こさないようにできる簡単な機構改革法について述べよう。
人外協の運営の問題点については前回の甲州画報でも書かれているし、会計の問題や会報の編集、制作、発送に係る事務、隊員管理の煩雑さについては過去何度も問題となってきた。 しかしSUMでの問題はこれらオーバーワーク問題とは違い対外的な渉外方法の間違いによって起こっているのだ。どの様なサークルであれサ
ークル内外の人間が、そのサークルに連絡をつけたい、なんらかの企画をもちかけたいと思ったとき、まず連絡をとるのは会長(隊長)であろう。しかしもしその会長が無思慮な人間であれば結果は悲惨なものとなる。なぜなら普通サークルの会長は決裁権ももっている(あるいはあると自分も周りも思っている)からだ。小規模なサークルや創作活動を中心にすえたサークルならこれはあまり大きな問題とはならないが、会員が100を越え、またコンベンション等に積極的に参加するサークルではそうはいかない。
私は阪本氏を隊長職から解任することをみなさんにおすすめする。そして隊長職自体も無くしてしまうことだ。私には謝罪文をよんでも阪本氏が自らの渉外法のどこに問題があったか解っているようには思えないし、また彼を解任して他の誰かを隊長職に座らせても結局似たような事が起こる可能性がある。隊長職をなくしたあとは連絡窓口として一斉決裁権をもたない連絡役を何人かおくと良い。連絡役は内容によって例会で公表するなり、甲州画報に載せるなり(あるいは連絡事項のある人間に自分でさせるなり)すればいい。この方法ではどうしても一ヶ月のタイムラグが生じるがそれより緊急の件案で人外協全体として考えねばならない事態はまず起こらない。コンベンション等の自主企画は人外協としてではなく、もとより有志として行うべきことだし、参加者に対して責任をおうプロジェクトチームを組んで対応すればいい。 もしチームのなり手がいないのならそもそも企画などしないことだ。こうすれば機構上の問題の半分くらいは簡単に解決出来る。
ここに書いている事はいままであちこちのサークルで行なわれていたことだしコンベンションでのプロジェクトチームなどは似たような事を人外協でもやっている。ただ、前回の画報を読んでこういう発想が出ていないようなので書かせていただいた。
さてここから先は、半分は前回掲載された運営の現状と課題の中でなんか変な気がする「サークルとしてのの意志決定」についてと、あと半分は一般的なサークル論である。私の文章中では一番ためになる所だと思うので最後の方に書いてもあんまりキャッチの意味はないが、ここは読んでほしい。
思うに「サークルとしての」意志決定などは必要なのだろうか? 「サークルの意志の存在」というのは対外的にそのサークルが行動する時に出て来るものであろうがこの発想は過去SFファンダムにおいて多くの害をなしてきた。例えば、SF大会を行うとき、スタッフとしての参加問題で「当サークルとしては協力する、しない」という発想のために多くのサークルが分裂や消滅を起こしている。
『SF大会をすれば、まわりみんなの仲が悪くなるからしたくない』という言い伝えが日本各地にみられるのは、もちろんいいかげんな大会運営のせいでもあるが半分くらいは「当サークルとして」だの「当大学としては」だののあやまった集団エゴをふりまわした結果である。今回のSUMでも「人外協として参加する」とか「人外協として部屋無しの人間を何人か出してくれ」という考えかたでひどい目にあっている。会全体で一斉に行動しようなどと思わなくても、たとえば会員募集は各支部ごとに人が欲しければ行えばいいし、会費の値上げは公報をだして批判のみ受けつけ、討議すればいい。現在のスタッフが、オーバーワークで事務がとどこお
ったり、会員管理を行いたくなくなったり、甲州画報を出したくなくなったりすれば、公に画報にのせるなり自分で広報発送するなりしてその事を宣言し、しばらく様子をみればいい。もし全国どこからもかわりにやろう(一緒にやろう)と言う人間があらわれなければ、もうサークルなんてそれまでのものだ。
これらは機構の問題では無くサークル構成員のモラルの問題であるし、会全体の問題ではあるが、隊内的な事項であって、少なくとも機動性のある人外協の意志決定機関など必要としないことであると思う。
人外協はSFサークルであってSFサークルは新興宗教団体でもなければ民間軍事組織でもない。意志の統一などはなからありえない世界だし意志決定など必要ないはずなのだ。もしなにかの間違いで帰属意識が欲しくてサークル活動をしている人がいるのなら右翼団体にでも入ったほうがよかろう。
サークルの効用とは、それが人材センターとしての役割をはたすことにつきると思う。なにかをやりたい人は自分でその中から人を集めて行動すれば良い。行動する人間が一人もいなくなったときは、外からみてそのサークルの寿命はつきたことになるが、それが自然の姿だろう。 もしなんらかの意志決定機関に会の全員がここちよく身をゆだね従ってゆくなら、一時のグや幻と変わらなくなり、意志決定機関が意見分裂したとたんに会は崩壊してしまうだろう。
しりきれとんぼとなってしまったが、人外協ができればいつまでも隊内外を問わない人々に対して活気のある人材センターでありつづける事を願って筆をおく。
ちゃんちゃん。
*
ここでは岩瀬個人として、この引用の仕方では読者が誤解されるかもしれないので、発言の意図を補足させてもらいます。
費用対効果的な考え方をやかましくいうのは、SFコンベンションのような「ムラの宴会」的催しにはなじまないのではないか。つきつめて考えたら、たいていの方法ではなんらかの矛盾ができてしまうがそれはそれで仕方ないではないのではないか、という意図で(その点からしてわたし(岩瀬)と陰山氏では考え方が違うように思います)、その例のつもりで挙げたものです。 別に、甲州先生の企画をしていたら不公平になっていたからしない方がよかったのだ、という意味でいったわけではありません。
蛇足とすれば申し訳ありません。