SUM-PACK'90
人外協企画についての謝罪

阪本[隊長]雅哉

 8月の18、19日におこなわれたSUM−PACK ’90 における企画などの反省会が9月の大阪例会の席上でおこなわれました。
 その席上で色々な問題点や疑問点について指摘を受けました。

1.なぜSUM−PACK ’90 はおこなわれたのか。また人外協は協賛した(と考えられる態度をとった−例えば甲州画報上での参加者募集)のか。

 SUM−PACKは、TOKON9で宿泊できるキャパシティが足りないとか合宿での企画がまったく行なえないなどの情報があったため、TOKON9に参加する人外協隊員で独自で別に宿泊をしようという話があった。(このときTOKON9に参加されるであろう谷甲州、石飛卓美先生などもお誘いして一緒にという考えもあった)
 その後、支援機関の内田氏が宿泊場所として本郷館をおさえていたので支援機構やTADなどとで合同で合宿することになった。この頃からSUMーPACK(名前が付いたのもこの頃?)は身内の宴会からイベントへ変化していたが、我々は身内の宴会という意識がかなり大きく最後まで残っていた。
 そういった状況のなかで、依頼があったので甲州画報上にSUM−PACK ’90 の宣伝や参加者募集もおこなった。
 事実SUM−PACKでは人外協、支援機関、TADに優先的参加枠をかなり大きく確保する。一般参加者の募集らしい募集をあまりおこなわない(ただしSFM、SFA誌上での公募が一度あった)など身内のイベント的な要素はかなり大きかった。

2.企画の準備が不十分であり、当日の企画が充分におこなえなかった。またそのため特定の人にかなり大きな迷惑をかける結果になってしまった。

 もともと、大例会では企画というよりも人外協の隊員を中心に(その他も人も)宴会をやるつもりであったのだがそのことが不徹底であった。
 また当日の状況に対する私の予測が甘かったために、さらに準備も不徹底であったために迷惑をかけてしまった。当日も充分な注意が足りなかったため仕事をしてくれていた人に対する配慮ができず迷惑をかけてしまった。
 企画の準備に関しての不手際はすべて私の思慮が足りなかったためであり、反省している。

3.谷先生にわざわざ参加いただきながら、谷先生にお願いする企画が用意されていなかった。また当日、相手をする人がいず礼を失することになってしまった。

 谷先生には、昼間のTOKON9においても企画をお願いしていることでもありまたとりたてて企画を用意しなくても宴会の席で一緒にお話でもする機会があれば、特に普段、谷先生に会う機会のあまり無い隊員(東京近郊以外にすんでいるひと)も自由に話し合えた方がいいのではないかと考え企画は用意しなかった。ただ、谷先生を囲む雰囲気づくりを怠っていたのはまずかったと思う。
 この決定について大阪支部の例会の席上でなんどか話したが反対がなかったため少なくとも大阪支部の(例会に参加された)隊員は納得しているもの思ってる。筋からすれば大阪支部以外にも企画内容について広報し意見を求めるべきことだが、それは怠っていた。
 少なくともゲストとして参加いただいたのであれば担当者を決める必用があったのだが、事前にまったく思いがいたらなかった。これは私を含めて隊員の一部に谷先生の寛容さに甘えてしまっており、悪い意味での狎れが生じてしまっていたためであるかもしれない。
 今後こういった事態が発生しないように充分注意したい。

4.企画のための部屋の割り当てが直前に(プログレスが到着した時点で判明)変更されており企画のための部屋がきちんと確保されていない事態になるところであった。

 事前に何度か実行委員会側と部屋の割り当てについて話をし確認していた内容が直前になって(なんの連絡もなく)変更されていた。これは委員会の独断によっておこなわれた行為であり予測は不可能であった。
 事実が判明した時点で、実行委員会に電話で連絡し変更(もとの予定通りに)してもらった。

5.一部の隊員に宿泊部屋(寝るための部屋)が確保されないという状況があり。
  またそのためのリストが作成された。

 SUM−PACKの数日前(4の部屋割りについて変更を依頼した日)に実行委員から、部屋が不足したため隊員のなかで何人か企画部屋(大例会を行なう部屋)に寝部屋を割り振って(企画中は寝られないため、実質上寝部屋が無くなる)も良いかとの依頼わせがあった。
 部屋が用意されないことは決して望ましいことではないが、私の経験では寝部屋が足りなかったり、まったく用意されていなかったりまた主催者の思惟によって特定の参加者に部屋が無いなどのコンベンションが多かった(というより完全に部屋が用意されていた方が少ない)こともあり、このとき10〜15人程度ならば、宿泊のための部屋がなくても納得してくれるであろうと考え、またここで依頼を断っても最終的には部屋が不足すればどこかにしわ寄せがいくであろうと思い承認した。
 その後、岩瀬氏から連絡があったさいに(本当に10人以上もいるのかの確認も含め)懇意の人のなかから納得してくれるであろう思う人をピックアップしリスト
を作成した。このリストは岩瀬氏から実行委員長に送られ、そのときにリスト外の人については必ず部屋が確保されるように要望し領承を得た。
 当日、実際の部屋割りがどのようにおこなわれてのかは確認していない。
 このときの了承やリストの作成においても一方的に判断しまたリストに上げた人にリスト作成後においてでも連絡するべきなのを怠ったのは非常に重大な過失であったと反省している。
 事前に聞いていた話では、当初は全員に部屋を割り振る予定であったらしいのでこういった依頼は人外協だけにあったと思っていたが実際には他の参加団体にも同様の要望があったらしい。これは予想以上に参加者が増えたことと、企画の数が多かったことが直接の原因であったと思う。

6.反省会の席上で不穏当な発言があった。

 反省会の席上で5の内容について話しているさいに、宿泊場所が誰の分にかかわらず、完全に確保されていない状況もありえるはずであり(5で上げたように過去の経験から)仕方がないのではないかといった発言の中で(正確な表現は覚えていないが)

 「(プログレスなどに)参加者の泊るところがあるとは書かれていない」

と発言したようだが不注意であった。
 後から考えると、スタッフの参加者に対する責任はたいしたものではないしそうであってもまずいとは思わない、という風に受取られかねない発言で、みずから隊員を参加者として勧誘した人間の言葉として大変無責任でまことに不注意であり、まずかったと反省している。

状況説明とその問題点

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 冒頭の[謝罪文]に戸惑っている隊員は多いかもしれません。またSUM−PACK ’90(以下SUMと略称)に参加していない方は自分とは関係ないと思うかも知れません。しかしこれは必ずしもSUM参加者だけの問題ではなかったように思われます。青年人外協力隊というファンサークルの運営の転機とすべきことだと思われるので、敢えて甲州画報の紙面をつかっている次第です。
 以下、状況説明を順を追って述べていきます。

1.人外協とSUMの関係
 SUMはさる8月18日夕から19日朝にかけておこなわれた合宿形式のSFイベントです。そのきっかけは、(同日にあった)1990年度日本SF大会に合宿形式が存在しないことから、その代替的なものをしないかということだったようですが、少なくとも正式に実行委員会が発足してからは、日本SF大会とは関わりのない、(たまたま同日にあるだけの)合宿イベントだということになっています。
 SUMの実行委員会は、組織としては人外協とはまったく別です。スタッフは大多数(全部?)人外協東京支部員ですが、東京支部とそっくり重なっているわけでなく、運営も別個です。したがって人外協は、SUM参加者が多数存在するファンサークル、つまり参加者とイベント運営者の関係であるわけです。人外協の隊長はじめ大阪の隊員はSUMの運営には関わっていません。また、ここで取り上げられている主題は、SUMの運営についてではなく、人外協のSUM参加企画であることも確認しておきたいとおもいます。

2.人外協とSUMの関係についての広報と誤報
 ただしここでいっておかなければならないのは、人外協とSUMの関係が事実上の共催ではないか、という誤解を招く広報が存在したことです。それは本年の甲州画報2月号15Pです。以下は本文3行目〜5行目の再録です。
『……SUM−PACK ’90なるイベントは、人外協及び、その周辺の参加者を募り行う夏期甲州強化合宿である。よって、各隊員万難を排し参集するよう、隊長としてここに強く要請するものである。(1行空き)というわけで、ぶっちゃけた話、昨年春、生駒で開かれた「春季甲州祭」の拡大再生産バージョンです。(ただし今回は人外協だけでなく他2,3のサークルとの事実上の共催です)……』
 また、この号以後の記事は、SUMスタッフからの記事提供という形で、参加申込み締切の告知や募集状況・申込み状況の通知を毎月のように載せています。
 共催という言葉は共同責任や運営への関与を意味するわけで、その点、隊長の認識は曖昧であったようです。人外協が運営に口を挟む立場にあったように受取られるこれらの広報についてのきちんとした訂正や解説は今日まで掲載されていませんでした。

3.人外協におけるSUM企画について
 SUMスタッフの要請をうけて、人外協としてSUMにおいて企画をすることが決ったのは3月ごろのようです。この決定は少なくとも大阪支部例会では図られ、同意を得ています。また、この後の支部例会でもSUMについての話し合いはもたれています。が、結果から見て、SUM企画の状況説明は不十分なものだったようです。たとえば、隊長には、3月の時点ですでに、今回のSUMでは企画らしい企画はできそうにないという認識があったようですが、それは支部例会の参加者にも徹底されていなかったようです。また後述する当日の状況からしても、煮詰めておくべき準備や分担が非常に不十分だったようです。

4.SUMプログレスレポート記事について
 SUMのプログレスレポート1〜3の企画案内にはすべて、[大例会]の企画として『[人外協宴会][日本全国人外協あいさつ][海兵隊ごっこ][スーダラ節を踊る][企画成仏][次の企画を考える][甲州は間違っている][はないちもんめ][みんなでハンカチ落とし]etc.』というのが挙げられています。隊長の曰く「名前からして企画とはいえない企画だとわかってもらえると思っていた」しかし人外協はしばしば企画になりそうにないことを本当にやってきていますから……これらについては結局、何の準備・手配もなされていません。

5.SUM直前の主な出来事
 順を追って述べていきます。
8月12日 大阪支部例会。TOKON9関係の打ち合せ、「こうしゅうえいせい 煮」の完成作業(目次などの貼込み)とともにSUM関係のことも話にのぼる。
  SUM関係でこの席上で決ったことは、お茶会の部屋の責任者(米田)とゲー ムの部屋の責任者(森村)の確認(この二人は大阪メンバーとしては数少ないT OKONに参加しないSUM参加者だったのでSUM企画開始時刻6時までに入 ることを依頼される)、大例会の予算確認、その唯一の収入源である当日カンパ 金額の決定(五百円)。宴会部屋の世話役、カンパの集金・管理係、SUMディ
 ーラーズルームの担当者、ミス・ヴァレリアコンテストの司会者は決められなかった(結局事前決定はなされなかった)。
8月13日〜
  SUMプログレスレポート3が到着しはじめる。発表されている時間割がきい ていたものと大きく変えられていたことに気付いた米田隊員が、隊長、森村、岩 瀬、陰山隊員に連絡をとる。
8月14日?15日?
  隊長がSUMスタッフに連絡をとり、問題のある箇所(企画部屋や時間)を変 更してもらう。その時、「寝部屋が足りないので企画部屋を寝部屋扱いにする  (事実上寝部屋がなくなる)人を人外協から10〜15人だしてほしい」という 要請をうけ、隊長、これを了承する。
8月15日
  SUMスタッフに、寝部屋無しでも納得して貰えそうな人のリストを作成し、わたす。リストの電話送付は岩瀬隊員。米田隊員、これを聞いた隊員から苦情を 寄せられたのですでに苦情が寄せられている事と当日の苦情に人外協では対処しきれないとのことわりをSUMスタッフにいれる。

6.SUM当日の主な出来事
 これも順を追って述べていきます。
18日PM6時前後
 宴会(大例会)開始。参加者もけっこう集まってくる。人外協企画のスタッフで いたのは森村、岡村、岡田、米田隊員。うち、森村隊員はゲーム部屋の担当者、 岡村、岡田隊員にはファンジンブースの番。米田隊員は宴会の仕切。カンパを集める係がいない。カンパをもらった時に渡すシールの行方もわからないという中、非隊員の某氏にカンパ係を手伝ってもらう。
PM7時すぎ
 SF大会の参加者及び、甲州、石飛、大場先生到着。
 隊長が到着してようやく宴会資材の所在をいちおう確認することができる。
PM8時前
 それまで甲州先生と話していた笹本先生が企画のため別室へ移動。人外協大阪の主だったメンバーは人外協企画「アクエリアス計画」の準備やら隊員の荷物行方 不明事故の処置やらで駆回っている。
 甲州先生は相手をする人間がいないまま、ひとりでほっておかれていた。
PM8時半ごろ
 アクエリアス計画の参加者は別室に移動。そのしばらく後、甲州先生、自室へ引上げ、就寝。
PM11時頃
 米田隊員、「12時からの石飛さんの企画のまえにヴァレリアコンテストをおわらせなかればならないので人集めをしてほしい」と隊長の依頼をうけ磯崎隊員と 人集めをする。満員の見物人(20〜30人)のブーイングでコンテストを始め るが、そのときはじめて司会者がいないことが判明。結局、カンパ係をしていた 非隊員の某氏に司会をしてもらう事になり、カンパが集められなかった。
PM12時頃
 石飛先生の企画に人が出払ったので残っていた人々で片付けをする。
 以後、うだうだと宴会が続く。なおPM6時からAM4時頃までカンパの集金及び管理はお茶会担当であるはずの米田隊員と非隊員の某氏の二人が担当し続ける。

7.問題点
 この状況に対し、次のような問題点が提起され、それに対するものとして、冒頭の隊長の一文が草されたわけです。以下、提起された問題点を列挙していきます。

8.最後に
 提起された問題をうけて、9月、10月と話し合いがもたれました。隊長からは謝罪と反省がだされ、人外協の組織や運営方法自体に、これらの問題の根がありそうだということで、今月(11月)の大阪支部例会でも真面目な論議が続くことになります。
 以下の紙面に、現在の人外協の運営状況の概略記事をのせますので、それも参考になさってください。
 人外協が発足して2年半。急速にメンバーが拡大してすでに160名の大所帯ですが、運営については旧態依然、なしくずしとその場しのぎのままではいかない時期になってしまいました。脳天気で無茶苦茶でいい加減な馬鹿騒ぎを続けるため、より充実した楽しみを得るためには、かえって締めるべきところを締めなければならないでしょう。
 どうか皆さん、これらについて考え、支部のあるところでは支部で話し合ってください。そして意見・感想を寄せてください。よろしくお願いします。




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