CONTACT 2000 Report


2000年3月3日
 CONTACT  2000の朝は早い。エイムズリサーチセンターで講演が始まるのが朝8時、ホテルからバスに乗らねばならないのが7時から7時30分。レストランは6時からなので、我々は朝5時15分に起床する。大井実行委員長は良く眠れたそうだが、私は時差ぼけのため就寝中は少しも眠れず――この表現は矛盾しているな――起床時間から眠たくなる。ちなみに今日のプログラムは、

8-6 EXPLORING ARTIFICIAL INTELLIGENCE - Michael Sims & Chris McKay
Marvin Minsky - Relevance of Society of Minds
John Searle - Philosophical Realism: Nature of Consciousness
Bill Clancey - Higher Order of Consciousness
Jim Funaro - The Human Partnership: Machines R Us
Panel with Minsky, Searle, Clancey, Funaro and Raybeck led by Chris McKay
Greg Benford - Insights from Inventing Machine Civilizations
Pat Hayes - Recognizing Extraterrestrial Cyborgs
Doug Lenat - Common Sense as a Universal Principle of Intelligence
Seth Shostak -How Might We Find Machine Civilizations?
Panel of Benford, Hayes, Lenat, Shostak, Tough led by Michael Sims
7:30-9:30 BANQUET - Octavia Butler

というかなり濃い内容だ。それを眠たい頭で聞くというのは……。
 ともかく朝食を済ませるべくレストランに向かう。食事をしているとポール・アンダスン夫妻と会う。ご夫妻はCONTACT Japan 3が楽しい大会であったことやCONTACT Japan 4が成功することを望むとおっしゃってくださいました。しかし、朝食の時だったので英文の案内は渡せませんでした。ちなみにこのホテル日本人の客も多いのか、朝食にはご飯が用意されていました。
 食事を済ませ、朝7時にロビーに行くと、すでにエイムズ研究所に向かう人達が待機している。CONTACTへの受け付けはそこでごくあっさりと完了し、名前を張られた封筒を渡されて終わり。受け付けが終わると我々はバンを指示されて、それに乗れという。それは特別バスでして、外国人はまとめてそれで移動。然るべき手続きを別にすませる為のものでした。バスには日本人の我々以外は、イギリス人とニュージーランド、オーストラリア、カナダの人々。
 このバスの中でわかったこと。こういうバスの中では知らない人間とは口をきこうともしない人と、英会話の実力があろうがなかろうが初対面から3分後には隣りの人間に話しかけるような口から先に生まれたような奴の二種類の人間がいるということ。ちなみに私がどちれであったかは御想像にお任せします。
 講演が行われたのはエイムズリサーチセンターのMoffett Training and Conference Centerという施設。ABCのTVクルーらしい人達がすでに撮影の準備をしていました。おそらくローカルニュースでこの公演内容は放送されるのでしょう。
 なにしろ一日講演なので特に印象に残ったものをピックアップしてみましょう。
 まずMarvin Minsky博士のRelevance of Society of Mindsから。Marvin Minsky博士の名前は少なくとも人工知能を研究している人間で知らない者はいないだろう。一般に人工知能というものが科学の対象として正式に取り上げられるようになったのは、1956年夏にダートマスカレッジで行われたダートマスセミナーだと言われている。Marvin Minsky博士はこのダートマスセミナーの四人の主催者の一人であるといえば、これ以上の説明は不要だろう。だがあえてつけ加えれば、2001年宇宙の旅に登場する人工知能HAL9000を開発した科学者がMarvin Minsky博士ということになっているとも言われている。
 「瞳の輝き」などという安易な表現は使いたくないところではあるが、Marvin Minsky博士に限って言えばこれがもっとも強く受けた印象だろう。人工知能の世界では伝説の人物とさえ言えそうなこの大科学者は、ダートマスセミナーから44年たった今日でも未だ衰えぬ知的好奇心を瞳にたたえていたのである。寿岳博士などでも感じたのだが、これは一流の科学者に共通する特徴なのかもしれない。
 講演の内容は言語による意味の理解と思考に関するものが主だった。言語には構造と機能という二つの側面があり、人間が言語の意味を理解する時、それらの構造と機能の関連を自分の知識の中で関連づける。そういう話がなされていたと思う。
 おそらくこういう講演には慣れているのか、博士の説明は私でさえ理解できた――スライドが多かったせいもありますけど――ほど平易なものであった。この講演に限らず、プレゼンテーションの技術というものは、研究の業績に負けず劣らず評価されているのでは無かろうかと思いましたね。
 次の講演がJohn Searle博士。人工知能の話ではチューリングテストというのが有名ですが、それに関連して「中国語の部屋」という話を聞いたことがないだろうか?簡単に言えば部屋があって、そこに中国語をまったく理解しない人間が入っている。彼はただ中国語の記号に対してどう対応すれば良いかのマニュアルだけをもっている。部屋に中国語をかいた紙がさしいれられたら、彼はマニュアルに従ってその記号に対応する処理をする。この時、この「中国語の部屋」は中国語を理解したといえるのか?この思考実験を提唱したのがこのJohn Searle博士でありました。
 ただ残念ながら博士の英語は早口で、しかもスライドを一切使わず、なおかつ非常に抽象的な議論をしているため何を話しているか残念ながら良く理解できませんでした。ただどうも量子論と自由意志の問題を述べていたようで、質疑応答でもっとも質問が多かったのも博士でした。博士の立場は自由意志に量子論を持ちこむことに否定的なのですが――つまり自由意志の否定ともとれる――このため質問が多かったようでした。
 まぁ、こんな調子で午前中は終わる。じつはこの時日本時間は深夜。時差ぼけは抜けておらず眠たくてしようがない。それでもとりあえず施設内で食事をする。
我々はもっとも近い場所、マクドナルドのハンバーガーショップに行ったのだが……遠い。地図ではすぐそこなのだがNASAの施設は広いのである。昼休みにビジターセンターに行ってお土産でも買って行こうとした我々の目論見は時間の次元と距離の次元の不一致により挫折したのであった。
 プログラムでは午前の最後はパネルディスカッションだったのだが、時間が押していたので中止。午後一番はGreg Benford博士。
 Greg Benfordとは何者かといえば、あの「光の潮流」などで知られているSF作家Gregory Benfordの双子の兄。「タイムスケープ」に登場する物理学を学ぶ妙に細かいことを質問する双子の大学院生のモデルが彼らだそうです。
 内容的には「光の潮流」の世界にでてくる有機体生命と対立する機械文明の設定の理論面の説明を受けているような気がしました。人間と異星人との意思の疎通をはかる場合に人工知能にロゼッタストーンの働きをさせることが期待できる。また人工知性体の方が宇宙文明を構築するには有利だろうという内容が語られていました。
 余談ながら人工知能に異星人の常識を学ばせて、人類が意思の疎通をはかるというアイデアは私も短編で使ったので多少うれしく思いました。
 この後も幾つも講演が続く。概ね人間の知性の成り立ちというよりは、コンピューターに知性を持たせるにあたっての問題点を論ずるものが多かった。最初にMarvin Minsky博士が語った構造と機能それらの関連づけの問題などです。
 最後の講演がSeth Shostak博士。この人の講演はどうもアメリカ人にはわかる危ないギャグを飛ばしまくっていたようで、笑いは一番多かった。むろん内容は真面目なものだった。
 講演の主な内容は、SETIとはやや異なり、異星人文明の活動の痕跡はどのように観測されるか、またどこを観測すべきかという内容である。
 場所としてはラグランジェポイントとダイソン殻などがあげられていた。ダイソン殻からの赤外線を観測するというのは、フリーマン・ダイソン博士自身も述べていたが、興味深いのは日本の寿岳先生のグループもこの観測をしていたと言及されていたことでしょうか。
 宇宙船の活動を観測するという話もありました。レーザーセイルを加速するレーザー光線の観測などについてです。宇宙船の噴射炎については化学反応ロケットは観測不能。可能だとしたら核融合かあるいは物質・反物質反応だろうとのこと。恒星間ロケットの場合、単なる噴射ではなく速度のはやさと位置を移動するという不自然な航跡から発見できるはずだという。また減速時に生じるはずのラジオウエーブもその存在を知るための重要な情報となるはずとの内容でした。
しかし、つくづく語学力の必要性を痛感させられる内容でした、はい。

2000年3月4日
 CONTACT 2000の朝は早い……が昨日よりはゆっくり休めましたか。しかしながら現地時間の朝の5時には目が覚めるなど、時差ぼけは依然として続く。今回のCONTACT最大の障害となる。とりあえず朝食を済ませて企画に向かう。
 今日の企画はEDUCATION FOR FUTUREというCONTACTを高校の教材として利用した人達の実戦報告から始まる。企画前にCONTACTのスタッフでパネラーでもある日系人のタモリイサムさんに話しかけられる。第一声は「英語のほうは大丈夫ですか?」という質問。このとき以外にも何回も聞かれたんだなこれが。
 タモリさんは日系三世で福岡出身らしい。どうも日本語表記では「田守巧」さんとなるらしい。彼自身は名前の出自について田守は「ライスフィールド・ガーディアン」と理解していたようなのだが、「巧」がよくわからない。我々はそっちの英語表現のほうがよくわからないのだが、とりあえず「ライト・スタッフ」ということで妥協が成立する。彼は高校の美術の先生でもあり、主に美術面で惑星や異星人のビジュアル化の指導などを行っていたようです。
 朝一番ということで聴衆の数は50名弱ほどだろうか。参加者の三割近くが高校の教師であるという。話の内容は実践過程での苦労――物理的・時間的・予算的云々――などだが、英語力とは別に理解しがたい面があった。つまりアメリカの高校制度や教育システムを理解していないと、話が現場での実践に関するものだけに具体的なことが良くわからない。
 このことはコンタクト全般に言えることかもしれない。つまりじっさいのコンタクトに当てはめて考えてみると異なる文化の言語構造の解析は可能であろうし、名詞などの単語の意味についての理解も不可能では無いだろう。しかし、それらの社会背景を理解していなければ「言葉の表すもの」は理解できるものの「言葉の意味」は理解できない。このことは本質的な点で「ファーストコンタクトでは言葉の意味を本質的に理解することはできない」という結論が導き出せるかもしれない。本質を理解するには文化の理解が不可欠でそれは「ファーストコンタクト」段階では必ずとは言わないまでも、まず期待できないでしょうから。この辺の話は前日のミンスキー博士らの人工知能の講演と共通する要素が多分に感じられます。
 パネルに関しては先のタモリさんなど高校の先生方が生徒を交えて、どのような面を自分が担当したのかなどの報告が為された。注目すべき点はたとえばタモリさんが美術の教師であるというように必ずしも指導する教員が物理や天体などの分野に限られていない点です。パネラーとして参加していた高校生――男女一人ずつだが発言は女生徒が中心だった――もカリキュラムが大変エキサイティングなものだったと語っていました。彼らの様子からも基本は科学教育にありながらも、COTIなどの教育プログラムが総合教育プログラムであるという印象を受けました。
 パネラーも想像力や情操教育という側面を何回も口にしておりました。思うに、これはCOTIのプログラムがアメリカにおけるある種の教育理念と一致している部分が多いからではなかろうか。こうした教育面への応用は、CONTACT Japanがどちらかと言えばシミュレーションに重点を置いている点と対照的な部分でしょう。
 しかし、なんというか円周率を3にしてしまおうというような日本の教育行政と比べたとき、日米の格差は大きいように感じます。オーストラリアでのCOTI実践の報告も行われたわけなのですが、下手をすると日本は科学教育の面で世界から大幅に遅れをとってしまうかもしれません。
 パネルではこの他にも大学でのCOTIプログラムの紹介なども行われましたが、これらについては後述します。この他にフェミニズムに関するパネルがあり――パネラーや聴衆が自分の少女時代の体験なども交えて議論は活発だったが、内容に付いては理解できませんでした――とりあえず午前の部は終了。
さて、サンノゼで正午というのは日本では朝の5時に相当する。であるからして、正午から2時にかけてはともかく眠い。眠いから昼食もとらずに眠る。気がつくと午後のプログラムを聞き逃していた。
 夕食を食べていると、ポール・アンダースンさんが現れる。珍しいことに一人。奥さんは?と思っているとカレンさんは次の企画の準備。SCIENCE IN ARTというタイトルだけではよくわからない企画を担当なさったいたわけです。まぁ、これに限らずCONTACTにおけるカレン・アンダーソンさんの存在位置はかなり大きなものがあります。ポール・アンダーソン夫人ではなく、カレン・アンダーソンですでに押しも押されもしないポジションにいらっしゃるようです。
  それでこの企画はおそらくCONTACT Japanにもしかすると最も欠けているかも知れない要素、芸能企画なんですね。自作ビデオの上映から次は、歌って踊れるSETIのエキスパートH.Paul.Shuch氏によるギター弾き語り。ギター抱えて「水素の波長域で電波を受信する〜ぅ」みたいことを熱唱するわけです。絶頂期のなぎらけんいちでさえ、SETIは歌わなかった。しかもH.Paul.Shuch氏はどうもSETIのギター曲を何曲も持ちネタにしているようです。
  しかし圧巻はカレン・アンダースンによるCONTACT替歌集。アメリカのポピュラー歌謡か何か知りませんが、ともかく内容がCONTACTでして、「マイクロウエーブで交信よ〜ぉ」みたいな歌をみんなで熱唱するんですね。ちなみにCONTACTの替歌は本になった替歌集が存在するらしいのですが、入手には成功しませんでした。
  この芸能企画が終わると――実は終わってなどいなかったというか、乗ってる聴衆がそのまま残って大盛り上がりをしていたらしい――となりの部屋でSOLSYS DEMONSTRATIONが始まりました。
  これは二つのCollegeによるCOTI企画の実演を発表するというもの。昼間の教育企画の発表会のようなものらしい。最初のグループは、かなり気合いが入っていた。今回の設定はこの日のために二週間で作り上げた物だという。内容は地球から火星に移住するという過程の考察。このグループ、メンバー全員が揃いのトレーナーを着用し、プレゼン用の資料もパソコンに用意し、発表者の指示に従いスクリーンにパソコンの画面が表示されるようになっていた。彼らに限らずパワーポイントのような機材が今回は多く見られましたね。
  最初にグループのリーダーらしい女性が全体の背景などを説明し、順次それらについて担当者が解説してゆくという体裁をとっていた。メンバーの半分近くは女性だったと思う。CONTACTを教育プログラムとして用いることの利点に、女子にも科学技術に関する興味関心を引き出すというのが午前のプログラムにありましたが、少なくともこのグループに関する限り、その効果は確かめられたと言えそうです。余談ながら知的な女性は美しく見えることを再確認。
 火星に行くにあたって軌道の設定や宇宙船の構造は当たり前ですが、このグループはそれに留まらず火星での安全保障や危機管理、経済的発展などにも言及していました。個々の解説には掘り下げが足りないと感じる面も無いわけでもないのですが――それでも一式を2週間で完成させたのは凄い――それでも興味深い考察もあり、大変水準の高いものでした。
  この企画で特に感じたのはCONTACTとは直接の関係は無いのでしょうが、彼らのプレゼンテーション技能の高さですね。いつの時点でどういう訓練を受けてきたのかしりませんが、下手な奴というのがいない。またグループの役割分担も円滑に行っていたようで――質疑応答は各担当者が行った。ただリーダーである女性の仕切りのうまさも記しておかねばなるまい――そうした面での教育効果もあるようです。結局、全体で2時間近い発表だったのですが、そうした長さを感じさせなかったことでも、その発表水準の高さがご理解いただけると思います。

(林譲治)

2000年3月4日
 参加初日の夜にBanquetが開かれた。
 Ames研究所から身も心もくたくたになって帰ってたが、休む暇もなく会場へ向かわねばならなかった。日本から持ってきた品々を渡そうとスタッフルームに寄ってみる。恰幅のいい女性二人が出迎えてくれて、「これが我々のCONTACT Japan 4 のパンフレットだ。ここに置かせてくれ」というと「いっつま〜べらす!」と手に取って喜んでくださった。なんとも気恥ずかしい。そして「これが1998年の我々のカンファレンスのアフターレポートだ。スタッフに差し上げる」と5冊ほど持ってきていた冊子を手渡すと、再び「ま〜べらす!」の嵐。ステッカーも渡し終えて、これで一つ仕事が終わったとカーリーさんと二人でほっと一息着く。
 Banquet会場はホテルの1階の3広間をぶちぬいて用意されていた。9人掛けの丸テーブルが10脚ほど設置されて、席はまだ半分ほどしか埋まっていない。部屋に忘れたデジカメを私が取りに戻っている間に先に入ったカーリーさんを探すと、入り口に一番近いテーブルに座っていた。その隣に座ってあたりの様子を窺ってみると、すでにアルコールを手に持っている人がいる。入口の外に設けられたバーで飲みたい人が自分で買うシステムらしい。私は時差で本調子ではないのでお酒はよしておくことにする。カーリーさんは最初からアルコールには無関心のようだ。そういえばこの旅を通してカーリーさんはアルコールを一切口にしなかった。
 基調講演があるはずなのだかまったく始まる様子はなく、カーリーさんとどういうだんどりなんでしょうね、と話ながらとにかく待つ。周囲のテーブルでは歓談に興じているのだが、我々は借りてきた猫のようだ。カーリーさんが隣の女性に話し掛けると、彼女はカルフォルニア在住でCONTACTには初めての参加らしいということが判る。定番のお天気の話をする。我々が到着した昨日は雨模様だったが、今日は雲一つない快晴でしたねと話すと、彼女はこの季節はそんな天気ですよと言っていた。しかも週末には雨になる可能性が高いらしい。その女性の隣に遅れてやってきた若い女性はオークランドの大学生だと言っていた。彼女も初めての参加のようで、見るからに胸躍らせている感じがする。
 カレンさんが実行委員長のJim Funaroを連れて我々のテーブルにやって来て、我々を紹介してくれた。Jimが後で参加者に我々を紹介するから、呼んだら立って挨拶をしてくれと言っている「らしい」。私はCJ4の紹介をしたいのですが、と言ったが発音が悪いようで上手く通じず、カレンさんが助け船をだしてくれる。Jimは「OK」と言って去っていった。私はこれで役目は果たせそうなので安心した。
 トイレに立って戻ってみると、みなが食事を取るために列をつくって並んでいた。カーリーさんはすでに列の中ごろにいる。私も最後尾に着くと、スタッフのCandy Loweさん達と一緒になった。つたない英語でSFが好きか、誰が好きか、といった話をする。Candyさんやスタッフは自分たちでSFを書くサークルに入っているらしい。私が彼女達の小説を日本語に訳してみたいといったら、喜んでくれた。あなたは今まで出版物の翻訳をしたことがあるの、と切り返されて、いえいえ私はただのビジネスマンです、でも時々欧米のSFを訳して読んでますと慌てて訂正した。カーリーさんが日本の作家だと話すと、それはすごいと喜んでいた。日本ではあまり欧米のアンソロジーが翻訳されないというと、アメリカSFの生き字引という人を紹介しましょうとCandyさんに別のテーブルに連れていかれた(その時、わたしはSFの辞書を作っている人だと聞き違えていた)。東洋系のBradford Lyauという方の席まで行き、Candyさんが事情を説明してくれると彼は快くBanquetの後で話をしましょうと言ってくれた。突然の展開でうれしいやら困ったやら複雑な気持ちだ。
 バイキング形式の食べ物を皿に採り終えて、Candyさんにまた後でと挨拶して席に着く。ところで食事の味の方はというと、私には肉の旨味が理解できないのだろう。こちらの肉料理はあまり味がしない。サーモンのクリーム煮もあったが、これもちょっと味が違う。これがアメリカンテイストなのだととにかく腹に納めるだけだった。
 このころになってようやく音響機材の準備がはじまる。ここでもAmes研究所の時と同じようにかなり手間取っているように見える。しかし、これもボランティアのスタッフがやっているのだからそれほど目くじらを立てることもないのだろう。誰も文句を言う人はいない。そして歓談の時間が流れてゆく。
 音響のスタッフも含めて大体の食事が終わったころ、実行委員長のJimが前に出てきて、Octavia Butlerの紹介をした。彼女は背の高いがっしりとした黒人女性で、ハスキーな声で基調講演をはじめた。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ジェームズ・ティプトリー賞を受賞しているということなのだが、私もカーリーさんも該当作を思いだせない。「オクタヴィア」はどこがで聞いたことがありますねという程度だった。講演の内容はファースト・コンタクトのことを話しているのは判るのだが、詳しいことは聞き取れない。昼間と同じく私には悲しい現実と直面する時間だった。
 基調講演が終わるとJimが再び前にでて、スタッフやゲストの紹介をはじめた。スタッフやAmesで講演をした方々、そして明日発表会を行うHamilton CollegeとCabrillo Collegeと続き、我々CONTACT JAPANの順番が来た。「日本からはるばる来た同志を紹介します」という「ような」紹介を受け我々が立つと、今まで以上の大きな拍手が会場にあふれる。みなに挨拶をしながら、私の胸は熱くなった。ここにいたってようやく「来てよかった」という気持ちになったのだった。その後、JimがCJ4のパンフレットを壇上で掲げてみなに紹介をしてくれた。日本でもCONTACTを継続的にやっているというのが参加者には驚きのようで、この後あちこちで声をかけられるようになった。「そういえば前に日本の大会に参加した」というような流れてポールさんが紹介されて前に出てくる。ここから先はかなりフランクになって、どんどんCONTACTの重鎮の方々が前に出てきて簡単に話をしていくという状態になったかと思うと、カレンさんが出てきてJimに「お誕生日おめでとう!」と言うとHappy Birthdayを歌いはじめた。参加者のみんなも席を立って大合唱となり、Jimは大変うれしそうに笑っていた。そういえばさっきスタッフルームに特大の長方形のケーキがあったねとカーリーさんと話したが、CONTACTは来年も同じ頃に開催されるはず。ひょっとして毎回誕生日のお祝いをしているのだろうか。場がうちとけた頃合いをはかったようにギターを持ったPaul Shuch氏が前に出てきて、「Jimに捧げる歌」を歌いはじめた。さびの部分が「彼は宇宙人とコンタクトするう〜」というような歌でみんなの爆笑をとっていた。このPaulは翌日のSCIENCE IN ARTでもおもしろい歌をうなっていた。こういう芸能の部分があるということが本家CONTACTの懐の深さを感じさせる。
 最後は本当に宴会のようになって、たっぷりと予定時間をオーバーしてBanquetは終了した。
 この後、私はLyau氏としばらくの間話をしたのだが、これはまたの機会にということでBanquetの報告を終わります。

2000年3月4日
  午後のパネルディスカッションは見ることがかなわなかった。私とカーリーさんは次の企画に参加するべく急いで会場に向かう。時間は若干過ぎていたが、まだ会場はパネルディスカッションの後片付けをのんびりとしていた。
 さて、14:30-16:00の主題はそのものずばり「CONTACT」。進行はHamilton College教授のDoug Raybeck氏であります。
 Raybeck氏は背が高くどこにいても目に付く人で、すこし猫背ぎみに発表する姿は堂にいっている。ありがたいことにOHPを使用してくれた。テーマは表題のとおりETIとのコミュニケーションの問題。人類の言語や生物学上の性質は全くバックボーンの異なるETIとのコミュニケーションに埋めがたい溝を作るのではないか。それを回避するには人類-ETIの双方に存在しているであろうコンピュータ同士で相互の理解を確立できるだろう、という内容だった(と思う)。
 次のShuch氏はいつもニコニコ、半袖のTシャツ姿で小柄なのに大変なバイタリティを感じる。彼のテーマを要約すれば「あなたの裏庭でCONTACT!」。1996年に始まったProject Argusは小型の電波望遠鏡(直径5m以下ぐらいか?)をどんどん増やしていって、仮想的に巨大な電波望遠鏡をつくろうというもの。目標は5000個で、これであちこちに巨大電波望遠鏡ができることになる。あなたも是非参加しましょう、とやおらギターを取りだして「マイクロウェ〜ブで受信する〜う」と歌いだす。この方、いろいろな賞をとっている著名なエンジニアであるらしいのですが、このネジの緩み方はあこがれてしまいました。見習いたい。
 最後のTough氏は打って変わって渋い方。イタリア系の俳優といっても通じそう。発表のスタイルも渋くて、OHPに肩ひじをのせてとつとつとこれまた渋い声で語ってくれました。はっきり言って私には聞き取れませんでした、すみません。でもその時に配られた彼のパンフレットには、Contactへの手法が書かれていました。例えば、ETIの探査機はすでに太陽系に飛来しているかも知れない。その兆候がないか調べよう。ETIが我々の遠隔通信をモニタしているとしたら、それらのメディアを使ってETIとの会話をはじめることができるのでないか、といった内容でした。
 午前中とは違って会場は一杯で、質疑応答も活発でした。ここで質問の一つでもできるようになりたいと、いつの日か再び参加することを誓う私でした。

(大井俊朗)



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