参加者の感想

「FCSの経験」
 楽しい時間をありがとうございました。とても知的な大人向けエンターテインメントだと思いました。はまってしまうと寝食も忘れそうですね。
 決めなくてはならないことが多いため、どうしても話のテンポが早くなり、最初だとついて行きにくい点もありますが、慣れれば問題はないと思います。
 まだコメントするだけの経験がなく第一印象だけでしかものを言えませんが、またやってみたいと思いました。進化や生態学の専門家集団としての博物館としてはワールドビルドをもう少し経験してみたいですね。

(田原直樹さん@兵庫県立人と自然の博物館)

「初めて‘コンタクト’して」
 「コンタクト」と聞いて、コンタクトレンズのこととしか思い浮かばない、「語る以前」次元の人間である。「様々な業種の人々が宇宙人と遭遇するためにはどのような方法が良いのかをシミュレーションする」(今となっては、その情報すら正しかったのか定かではない)という前情報だけで、「“人間万歳セミナー”に使えそう」である(この情報も同じく)とのこと、見学という軽い気持ちで天文台へ上がってきた。
 聴けば、アメリカから輸入されて早10年、という歴史ある団体が大マジメに取り組んでいるシミュレーションゲームであるという。集まったメンバーも‘オタク’と一言で言ってしまえばそうなのだが、単なるオタクというにはくくれない個性的な顔ぶれである。アタマの中がクエスチョンマークの大津波、一つ理解できたのが「どうやらこれは“見学”などという甘い考えでは帰られない」騙された!「とにかくやってみましょう」有無を言わさず、ともあれワークショップは始まった。
 今回は最初に設定があり、議事進行役や書記等の役割も CONTACT Japan メンバーが請け負っており、ただ意見を言う、ということだった。しかしながら、理系の概念から程遠い思考サイクルのため、どう振ってみても考えが出ようハズがない。いや、アイディアが出るとしても理論的に整合性がないため、自分の中でおしこんでしまう。「ハードあってのソフト」文系社会科学系の人間の出る幕無しである。そういった意味で今回は専門家の存在から、思考の自由度・幅が狭く、割ときっちりした無難な設定になってしまったのではないだろうか。理論的にはムチャクチャでも自由な発想から予想外の展開へ至る、といった面白みに欠けたように感じられる。
 最初このコンタクトの主旨を聞いたとき、カウンセリングの「ロールプレイ」や、「構成的エンカウンターグループ」のワークショップに似ている、と感じた。ファシリテーター(司会進行・設定調整役)がメンバーの力量をおし測りながらグループ活動をリードしていくのだが、初心者が多いほどファシリテーターの力量も問われる。今回はメンバーも多く、専門家がほとんどであったため、「非構成エンカウンター」に限りなく近い構成だったのではないだろうか。当初の設定が同じでも、違ったメンバーであれば、当たり前だが、展開はまた違ったものになっただろう。そういう意味では、今回はかなり特殊であったのかもしれない。
 いざ、コンタクトに至る諸過程の作業は、地球人であり、日本人同志であるが故にか、相手チームの考えていることが理解できてしまう、また時差によるメンバーの心の動きがまさに対人コミュニケーションの法則にのっとったとも言うべき様相を呈していくのは興味深かった。しかし、この「理解できる」というのは、「(相手が)どうくるかわからない」というドキドキ感がこういったシミュレーションゲームの醍醐味であれば、ワタシにとってはある意味つまらないことだった。しかし、これは思ってはいけないことかもしれない。コンタクトの主旨は、伝え合う、コンタクトする、という意思の下に行われるシミュレーションであると理解している。友好的にコミュニケーションする、という積極的な姿勢がある限り、情報を主体的に「伝える/受け取る」行為が必須である。どうも、映画や小説の影響からか、それとも異なるものに対する防衛本能からか、“異星人”に対して好戦的な心理が働いてしまうようだ。まずそのイメージを払拭しないことには、主旨に沿った議論は難しいだろう。わずか半日という短い時間での体験であったが、ワタシの中で解決できない疑問をいくつかもたらした。これまで、対人関係、言葉のやり取り等にはフツーの人より敏感でいるつもりだったが、以上に対人コミュニケーション、人間のやりとり全てを意識するようになった。
 それは、円滑で友好的、理想とする人間関係・社会情勢はありうるのか?という疑問からである。地球における人類に至っては、不可能ではないが、状況によって可能だが、範囲は限りなく狭く、恒常的なものではない、と認識している。現実国際情勢から隣人に至るまで、平和を求めているにも関わらず争いを起こさずにいられない人間を、ワタシを含めて知っている。より高い知性や経済が発達した世界ではそれがあり得るのか、それともこの地球上の人類には平和のDNAが組み込まれていないだろうか?生物的な特徴なのか、社会システムがもたらすものなのか、これは専門家の意見を伺わないことには、しばらくワタシの地球人ウォッチは終わりそうにない。仮に(何をもって平和・理想とするか、その議論はここでは伏せるが)、この地球上の人類にとって平和なコミュニティやコミュニケーションの構築が不可能だとしても、それを求め望んでいることは事実なのだから、努力によっては可能であろう。「学習」によって、悪しき習性は修正されていくのではないだろうか。
  CONTACT Japan の主旨で惹かれるのは、子どもたちへの教育プログラムとしての可能性である。現在、学校では総合学習のプログラムの中で、子ども達は人権について、自分たちの生活について考えている。これまでワタシは生涯学習の分野で0歳の乳幼児から80代の高齢者まで、老若男女と接してきて、様々な学習プログラムを提供してきた。お楽しみ的な内容から、グッとマジメな内容まで、それぞれ違うが一貫して「自分自身を認め、他人を尊重する」というメッセージを伝えつづけてきた。伝わっているのかどうかは疑問であり、送り手の不備もあろうが、受け手の感性も必要だ。その感性というのは、哀しいかな、加齢と共に衰える傾向にある、というのがワタシのこれまで接してきた人々に限って言える。もちろん個人差はあるが、これまで培われた価値観や社会通念の影響から逃れられない。その点、子どもはまだまだ柔らかく、良しにつけ、悪しきにつけ、影響を受けやすい。となれば、やはり好ましい影響をもたらしていくのが、オトナの役割ではないだろうか。オトナと接していて、これまでの学習や体験が彼らを成していると感じればこそ、よりよい体験や積み重ねの重要さを痛感する。この CONTACT Japan の手法は、楽しみながら子ども達が他者を理解し、より良いコミュニケーションを図る学習の機会ともなるし、また知的好奇心を促し、新たな分野への学習意欲と広がるだろう。コンタクトを体験することで、より良い人間関係の構築、またより高い知性をもった子ども達が成人し、社会活動の基盤を成す時、また地球上の情勢は変化を遂げるのではないだろうか。アメリカでの内容や、その点についてのお話を伺えなかったのはとても残念なのだが、資料等拝見し、またワタシ自身がこのコンタクト体験を重ね、また地域の実状をリサーチしながらメンバーの方々、また関係者との協議から日本、またこの地域のニーズに即したプログラム開発を検討していきたい。
 こうして書き進めていても、このコンタクト体験がワタシの中で未消化なのがよくわかる。それだけ、多くの可能性・発展性がある手法なのだと思う。きっと、メンバーの方の考えとワタシの想いにはかなりのズレがあると思うが、ズレはズレとして、そのズレを認め合い、どう共棲していくのか、また発展させていくのか、それを考えていくのがまた一つの“コンタクト”ではないかと考える。異星人は異星間にあらず、この地球上、袖擦り合う仲にも存在している。こういったロールプレイ、シミュレーションを通じて、来るべき“コンタクト”の日に、地球の人類として異星人に恥じない知的交流を図るため、改めて自分自身を振り返り、まず隣人とのコミュニケーションについて考える機会を与えていただいたことに感謝する。物理的なことは全く解からない、参加できないので、そういった側面からでも使えるよ、というセールストークを切り口に、あまり難しく考えず、まずやってみて、感じてみて、と言うことしか出来ない、というのがホンネだが。ワタシにとってははっきり言って、分野外だと思う。参加して、「疲れる」「わからない」というのがこれまたホンネだ。しかしながら、また参加してみたい。それがコワイ。

(兵庫県 キシモトヒデコさん)

「FCSの感想」
 大変楽しませていただきありがとうございました。
 時間に限りがあったのでしかたがないのですが、設定(ワールドビルド)にもっと時間をかけられれば、もっと面白くなっていたと残念に思います。
 やはり人類同士がやっているため、どうしても共通の思考というものがあり、それがコンタクトを容易なものにしている感じを受けました。(例えば素数×素数のマトリックスで情報を送るとか)これを無くすためにはワールドビルドの段階で徹底的に異星人の文化を構築する必要がありますが、結構大変な作業なのでしょうね。
 次に教育普及という観点からの感想です。最近、思考能力の不足している人が多いと聞いたことがあります。自分で考えて、判断して、行動するのではなく人に言われたことをやる。これは一方通行の学校教育に問題があると考えています。コンタクトは子供が食いつきそうなテーマですし、自分で考えるという学校教育に欠けている部分を補える気がします。
 また、子供には上記のような人類共通のバックボーンがまだないので、大人には思いもよらない発想をしてくれるのではないかと期待しています。


(1) 宇宙人に歌を送ってはいけない。
 言ったのは、実は私でした。さらに混乱させてしまいました。失礼しました。ちょっと弁解をさせて下さい。
 西はりま天文台で、宇宙人をテーマとしたパネルディスカッションがあった時に、あるピアニストが、和音はSETIに有効であるとの趣旨の発言をしました。詳細は忘れてしまったので、後で自分なりに勉強した解釈を述べさせてもらうと、例えば
 C1(ド)は、261.63Hz (波で言うと第1倍振動)
 G(ソ)は、392.00Hz
 C2(ド)は、523.25Hz (波で言うと第2倍振動)
 C1とGは、1.5倍、波で言うと1.5波長倍、C1とC2は、2倍(オクターブ)、波で言うと2波長倍になります。このような音の組み合わせ、つまり和音は、宇宙普遍なので数学的な記述が重要なSETIには有効であるというわけです。例えば素数を音(振動数)で表現する方法もあったと思います。
 ところが今回は、そういった事を省略して(忘れて)、ただたんに「歌」を送ればいい、となった事が失敗につながりました。
 1/fゆらぎ(癒しの効果)を、と科学は究極の遊びであると表現するに相応しい内容だったと思う。私は CONTACT Japan を論理ゲームと呼んで顰蹙を買ったことがあるが、 CONTACT Japan をより多くの人たちに普及していくために、私はシミュレーションより敢えて「ゲーム」と呼びたい。科学への好奇心、自然への探求心、そしてゲーム感覚で取り組める気軽さ・・・・そこに CONTACT Japan の CONTACT Japan たる価値が潜んでいるような気がする。
 初めての体験であったので、要領を得ない部分もあったが、敢えて言えば、知的レベルの違いや年齢層(子供と大人)を超えて、うまく成り立つのかという疑問が残る。それをこなそうと思えば十分な準備と配慮が必要なのではないかと思った。
 いずれにしてもかつて無かった共同参画型論理ゲーム、理科離れ、自然科学離れはこんなところから阻むことができそうである。科学教育法に一石を投じる新しい試みだと思う。
(2) 論理的な思考で行うものですので、とても楽しかったです。
(3) 西はりま天文台では、2m望遠鏡を建設しています。完成したらOSETI(光学的SETI)もしてみたいと感じました。


 想像する、創造する・・・コンタクトジャパンに参加して思うことは、頭は常に柔らかくなくっちゃあ、楽しくないってこと。みんなで知恵をしぼって考えたはずのことが、会が進行するうちに、思いがけない方向へ進んでしまう意外性。そして最後に、自分たちの意図することが、こうも違って受けとめられたのかと分かったときの驚き。宇宙人との対話は、楽しさと恐ろしさがありました。
 我々の周りの身近な「宇宙人」というのは、例えば異民族であったり異性であったりするのでしょうね。一つの事柄にも様々なものの見方、信ずるものがあり、相互理解はなかなか大変です。柔軟な頭と対応と十分な会話。先ずは我が家の宇宙人とのコンタクトに努めましょう。
 楽しい時間をありがとうございました。しかし、個性豊かな参加者の面々からいろいろなアイデアを引き出し、それを一つにまとめていく・・・進行役の方のご苦労を思うと、やはり恐ろしい?


 科学と言えば、知識と応用技術の集大成が主だと思われがちな現状にあって、観察(これもシミュレーションではありますが、やりとりされた通信内容と観測データ)と論理を以て問題を解決するプロセスの重要性をうったえる CONTACT Japan は非常に意義のあるものだと感じた。
 机を囲んで、それぞれの人が意見と考えを出し合うときには、肩書きや権威などは関係ない。ましてや知識ひけらかし型の優秀さが、新しい問題の解決や意志決定の主役ではない、と知らしめるのは痛快ですらある。 CONTACT Japan はシミュレーションの背景設定に様々な知識を要求してくるが、実際の活動に必須ではない。要は慎重な観測結果の吟味と、それに基づく論理的な思考が大切なのであり、それこそが科学なのである。
 ホンモノの科学を体験できるプログラムとして、この活動は大変興味深い。対象者や時間的な条件に応じて、プログラム内容を工夫する余地がかなりあると思うが、それは研究課題が多く残されているということでもある。その効用を考えれば、非常に追求し甲斐のある分野だと思う。


(1)事前の印象
 事前に、以前のときのもの( CONTACT Japan 3と CONTACT Japan 4でしたか)をまとめた冊子をある程度読んでいました。たとえば、アンダーソンが作った資料などを見て、宇宙人の設定をするのは、かなりの労力が必要なように思っていました。
 資料を読んだ範囲では、ワールドビルドの部分に特にさまざまな分野の知識と、それらを組み合わせて考えていくことが必要とされているように考えていました。また、宇宙人の身になって考えてみることで、他の人の身になって考えることが必要とされるし、最近言われている『異文化コミュニケーション』に関連したことも必要とされるだろう。また、実際にやってみることで、そういった能力を伸ばすことにもなるだろうといったことを考えていました。
 それから、実際に直接のコンタクトをしてみたいということで、いろいろ設定を変えてみたりしたとのことでしたので、コンタクトしてからが特におもしろいのかなと考えておりました。それで、当日始まるまでの間に何人かの方に、こういったことをお聞きしたりしました。
(2)やってみてわかったこと
 歴史的な経緯といったことは、以前のものをまとめたときに飛ばしてしまっていた(?)ためか、当日はじめてお聞きしたはずです。文化系の分野から始まったというお話は、SFや天文の知識をかなり必要とする内容のように思っていましたので、少々意外でした。ただ、総合的な内容を含んでいますので、確かに有り得ることとは思います。
 また、基本的な設定はあったとしても、具体的に進めていく段階でも、論理的に考えていくことや、その宇宙人になりきることなどが必要とされること、さらに自分が考えたことを自分たちのグループの中で説明し、その蓋然性を検討し、採用していく段階で、表現し伝えていくようなことが必要とされていることが実感できました。
 それから、実際にやってみることでわかってくることもあることがわかりました。たとえば、今回起こったような音楽を送ろうとする試みがあることで、音楽や音に関連したことを深く考えてみるきっかけになりました。事前に資料を見てわかっていたことも多いのですが、こういったことは実際にやってみなければわからなかったことの一つです。
 そして、実際に進行させるためには、ある程度「えいやっ」と決めて進めていくことも必要になることもわかりました。議長やスーパーバイザ─の役は何度か経験することが必要なように思えます。
 残念ながら、時間的な制約もあり、実際にコンタクトするところまでは進まなかったため自分自身で比較してみることはできませんでしたが、みなさんのお話ではコンタクト以前も非常におもしろいとのことで、実際に宇宙人の設定を考えていくところや、通信をしている段階でもかなりおもしろいことを体験することができました。
(3)子ども向けの開発など
 アメリカでの小中学校(でしたか?)での実施例があるとのことでしたので、一つはそちらの資料を見てみたいです。
 交流会の場で出ていたアイディアは、検討してやってみる価値があるでしょう。できれば、西はりまのメニューの一つとしても実施したいと考えます。ただ、一度まとめたものを作って、改めて検討してみることが必要でしょう。かなり思いきってエッセンスを抜き出すことや、進行の仕方を考えておく必要もあるかもしれません。
(4)天文学的見地から
 天文関連について特にコメントをとのご要望でしたが、山田竜也氏が以前から参加しておられるので、かなりのものはすでに検討されているのではていかと思います。ここではいくつか考えられる課題を挙げてみます。
 まず可能性のレベルについて整理しておきますと、すぐにわかるものとしては、
  ・原理的に有り得ないこと
  ・原理的には有り得るが、現在の地球では実現していないこと
ということがあるわけですが、この間にもいくつかの段階があって、たとえオーバーテクノロジーがあったとしても、原理的に有り得ないことの前に、実際にはあまり考えられないことというものがあります。たとえば、SFの中ではちょっとした惑星サイズぐらいの大きさの超巨大宇宙戦艦のようなものが登場する場合があるわけですが、これは小説としてはおもしろい場合もあるでしょうが、実現性はそれほど高くないと思います。
 それで、今回の進行中に、相手の星を観測するようなときに、天文学的に有り得ることかといったことも尋ねられて、そのときには現在の地球での技術では無理だけれども原理的に有り得ないようなことではないということをお答えしたのですが、より詳しくは、分解能・集光力の面で必要な望遠鏡のサイズはどれぐらいになるのかを実際に検討する必要があると考えます。たとえば、もし必要な望遠鏡の口径が地球のサイズぐらいになってくるようであれば、そういった観測はかなりむずかしいものと考えざるを得なくなってくるでしょう。
 他にも明るい恒星のそばにある惑星を観測するといった状況を考えると、その恒星を隠す必要があるわけですが、その隠すもののサイズはどれぐらいで、どれぐらいの精度で位置を設定し固定して隠す必要があるのかといったことも問題になってくるでしょう。
 いくつかのものに関しては、このような天文学と関連した技術の面について、数字を実際に評価しておく必要があると思います。
 ただ、コンタクトをおもしろく実施していくためにどうしても必要なものもあるでしょうから、このような検討と、コンタクトで使うかどうかは、よほど実現性が低いものをのぞいて、いちおう別のものと考える方が良いのではないでしょうか。
 他に、あるいはすでにご存じかもしれませんが、実際にコンタクトが起こった場合について、国際天文学連合(IAU )に文書があるようです。こちらは、以前コンタクトに参加しておられた寿岳氏がお詳しいのではないかと思います。
(5)音楽を送ることに関連して
 反省会の場で音楽を送ることに関連したコメントを最初にしたのは私でしたので、少し考えてみたことをまとめておきます。
 私個人の意見としては、宇宙人に対して音楽を送ってはいけないということはないと思います。
 ただ、先日の送り方には大きくは2つの問題があったと思っています。
 一つはどのようにして送れば、ちゃんと音楽だと考えて聞いてもらえるかという手順をしっかりと踏む必要があるということ。先日は、音楽かどうかわかるような情報はありませんでした。受取った側は音でコミュニケーションしている種族という設定になっていたので、一つの可能性として音にしてみることはしたであろうが、音楽だと確信は持てなかっただろうということで、進行させていきました。
 もう一つは、コンタクトシミュレーションをやる上での問題で、よく知られた音楽が送られてくると、その音楽が私たちに呼びさますさまざまな情報も伝わってしまうということです。私は、過去のコンタクトの資料の中で、○×や?のような地球でよく使われている記号を使うと、私たちにはそれで意味が伝わってしまうのですが、宇宙人がそれを見て本当に伝わるのか、ちゃんと伝わるように定義するには、どのようにすれば良いのかといったことが議論になっていたことも事前に見て、知っていましたが、既存の地球の音楽を送ることは、それと同種の問題を起こしそうに思います。音楽であれば、けっこう微妙な事柄も地球人同士、とくに日本人同士であれば伝わってしまうわけですが、それで本当にコンタクトのシミュレーションになっているのかどうかということです。もちろん、当日はなるべくその宇宙人ならばどうするかといったことを考えましたが、伝わらない情報を見逃して伝わったと考えてしまっていないかどうか、本来伝わっているような情報を過剰に排除していないかどうか、といった判断がむずかしくなりました。
 『本当の宇宙人』に対してであれば、上記のようなことはまったく気にしないで、さまざまな音楽を地球上の文化の一つとして送ってみても良いでしょう。ただし、それを聞いて地球人と同じように、特に快・不快の情報まで受取ってもらえるかどうかについては、以下のようにいくつかの疑問があります。
 地球上で民族音楽のようなもので和音などがどのようになっているかについては、できれば専門の方にお話をうかがいたいところですが、ジャズの場合に西洋音楽の和音の論理に収まらない音の重なりを使っていることは、反省会後の交流会でコメントしたとおりです。他にも、リズムを重視した音楽文化で、ほぼリズムのみから快・不快を感じているような場合には、どのような和音を使っているかにはほぼ無関係に情報を受け取ってしまい、意図したことが伝わらない可能性もあるでしょう。
 なお、過去の資料を見ていると、音声関係器官がそれほど発達していなくて、コミュニケーションの手段としての音声はごく親密な間柄をのぞいてあまり使っていないといった設定もありました。このような宇宙人に対しては、音楽を快・不快と感じる以前に、音で情報を送ることそのものに不快感を示す可能性もあるかと思われます。ただ、音の情報は、外部からやってくる重要な情報の一つですので、特に音を受ける器官の方が未発達であれば、そのような生物がその星での生存競争に生き残ることができるのか、といった疑問もあると思います。
 しかしながら、たとえコンタクトの対象となりうるような生物の多くが、音声関係器官がある程度は発達しているとしても、音楽が文化として発達しているかどうか、さらに地球の音楽を快く思うかどうかは、また別の問題ではないかと思います。自分たちの星以外に生物を探してみることは、まずその星の科学技術の結果として宇宙をどのようなものと捉えるか、そして文化全体との関連で他の宇宙生命に対してどのような興味を持つかによると思いますが、これは音楽文化と直接の関連はないのではないでしょうか。
 それから音楽をかけてそれに聞き入るということは、音から危険を察知するという手段を自分から放棄しているわけですから、生存競争のような面から考えると非常に危険な状態です。地球上でも、音でお互いに連絡することや神のようなものを呼び出すための音などと比べると、鑑賞する音楽はかなり安全が確保されたあとでなければ発達しなかったように思います。ですから、音で周囲の状況を知るという手段がなくなることに関してすごくナーバスな宇宙人とか、周囲にいる自分たちの仲間と音によるコミュニケーションをとることができなくなることを嫌う宇宙人といったものは、有り得ない話ではないような気がします。

(西はりま天文台の皆さんの感想から)