新春夢の旅

黒川[師団付撮影班]憲昭

 正月気分で仕事をしているて、気が付くと一月も末。二月まであと十日もない。
 そういえば、思わぬところからきた年賀状の返事をまだ書いていないし、あと忘れているといえば、例によって画報の連載だ……。
 MSG隊長から。
「まだ原稿入ってないけど、どないした?」
 というメールを受け取ったのは、タイムスタンプからすると、三日前、もうすぐ四日前のことらしいが、つい一時間ほど前に読んだ気がするのはなぜなのだろう?
 このへんのところをメーリングリストで、皆さんにお聞きしたいのだが“ある特殊な事情”により現在メールの送受信が不可能になっているので、諦めるしかない(督促のメールを見るのが怖くてシカトしているのではないのをご理解いただきたい)。
 しかし、一月は31日、744時間あるはずなのに、なぜこんなに短く感じるのか?
 メールが使えないので、とりあえず隣でABロードをめっくっている友人に聞くと。
「そりゃ、正月三が日は飲んだくれていて記憶がないし、松がとれる15日までは、新年会だなんだでやはり飲み続けているわけだから、時間なんかあっというまに過ぎる」
 なるほど。
 たしかに一般論としては説得力があるが、自分自身それがあてはまるかといえば……。
「じゃあ、そのグラスの中身はなんなんだ?」
 お湯とポッカレモンが少し、それとあとは麦を加工して蒸留したもの。
「一部では麦焼酎とも呼ばれているな」
 そうともいう。
 さらにつっこみが入る前に、友人にどこか旅行へゆく予定があるのかと聞いてみた。
「正月が寝正月だった反省をこめて、今年こそはどこかへゆこうと決めたんだが」
 新年の抱負という奴だね。友人にしてはわりとまともなことだと思うが、なにか問題でもあるのか?
「海外旅行はどこも安いな」
 去年のテロ以来、航空券の価格は超低空飛行を続けている。航空業界にはご愁傷様としかいえないが、旅行者としてはありがたいことこの上ない。
「ハワイがホテル付きで4万円以下。アメリカ本土以外のバリ島、シンガポール、ヨーロッパどこもかも一時に比べれば半分以下だ」
 その分、円安で小遣いは減ってるが、それでもお手頃な価格なのは間違いない。
「でも、あえて飛行機に乗っていこう、と思えるほど良さそうな場所はあまりないな」
 そういえば、友人は飛行機嫌いで、東京から福岡にゆくのには新幹線しか使わないし、北海道にゆくときも真剣に夜行列車を検討していた。
「それにロンドン、ニューヨークとか、他の奴らがみんな行って来たようなところにいって、いまさらゆくのも面白くない」
 まあ、そういう気持ちもわからなくはないな。
「写真を撮って、免税店で土産を買って、帰ってから皆にマカダミアンナッツを配って、はいお終い。そういうのは好きじゃない」
 じゃあ、国内はどうだろう。
 ユニバーサルスタジオ・ジャパン、ディズニー・アット・シー、どこも開業して一年経ってないし、テレビや雑誌での紹介だと案外面白そうだ。
「あんまり映画は見ないんで、ユニバーサルスタジオにはあまり興味が湧かないな。
 どぶねずみについては論外だ」
 友人は二年、いや年が明けたから三年前の東京ディズニーランドで受けたトラウマをまだ引きずっているようだ。まあ、当時本命だった彼女の目の前であれだけ……。
「だまれ。
 そもそもあの時のWデートの相手はお前だったろうが。その時の結婚式に来てくれとかいう話は、いったいどうなったんだ?」
 さあ、まだ正月の酒が抜けていないせいか、過去の記憶をまったく思い出せない。そんなことをいったのは、誰なのだろう?
 そう、話が脱線したが旅行の話だった。
 海外は気乗りしない、国内の有名観光地は嫌、そうなると温泉にいってカニでも喰うのか?
「二時間サスペンスじゃあるまいし、あまり趣味じゃないな」
 断言するのには自信がないが。
 友人はたぶん旅行には向いていない。
「ゆきたい場所がない訳ではないんだが……」
 いったいどこなのか検討もつかないな。
「実をいうと上にゆきたいんだ」
 上? Upside?
「いや、正確にいうと下流のほうが、どうなっているのかみてみたいんだ」
 下流? Downstream?
 上が下流?
 Why?
「なんでいきなり英語になるんだ」
 日本語がよくわからなかったんでね。
「まあ説明は必要だと自分でも思う」
 I think so.
「だからやめろって。
 ところでおれの仕事については知っているな」
 確か、大手の電気機器メーカーで、洗濯機かクーラーかなにかを造っているんだったな。
「今年の六月から、冷蔵庫のラインに入っている」
 ライン? いわゆるベルトコンベアーの側で、流れてくる製品に部品をとりつけていく仕事だな。
「大体そんなところだ。
 冷蔵庫に扉を付ける前に、念のためチェックをするのが、本来の仕事だと思ってくれればいい」
 本来の仕事?
「ベルトコンベアーの側では、組立機械と人間が働いている。うまく仕事が進めば問題はないが」
 なるほど、組立機械の仕事を人間が邪魔をする。
「まあ、たまにはそういうこともあるが。
 人間よりも、機械の方がトラブルの元になることが多いね。もっとも、その機械をセッティングするのが人間だから。どっちともいえるな」
 そんなものか。
 ところでそれが旅行とどう繋がるんだ?
「俺の仕事場は工場の三階だ。
 チェックの終わった半製品はコンベータで四階に揚げられて、扉をつけ、さらに最終チェックを受けた後、一階に降ろして梱包されてから出荷、という段取りになってる」
 つまり、半端な冷蔵庫は友人の目の前で上の階へいって、そこで立派な冷蔵庫になる。
 製造の流れからいうと、上流で細かい部品が組み合わされ、最下流、河口で製品となって出荷される。
つまり友人にとっては上階がラインの下流だ。
 聞いてみれば簡単な話だが、また新たな疑問がでてきた。
「上の階へゆくのは簡単だといいたいんだろう」
 Yes.
「そりゃそうだ。
 人間用のエレベーターもあるし。階段であがっても四十段もないだろう。
 実際、会議室は建物のいちばん上、五階にあって、ほぼ毎日のように、部品メーカーをつるし上げたり、本部からつるし上げられるために通っている」
 ではいったい友人はどこへゆきたいのだろう?  理不尽なつるし上げをくらう気分が、若干わかるような気がしてきた。
「いまの仕事場に入ってから、上のラインではどんな人間が仕事をしているのか、知りたくてしょうがないんだ」
 続けてくれ。
「自分の造っている冷蔵庫が、どういう場所から部品を集められ、どんな人間によって組み立てられ、出荷され、販売店にならび、どこかの家で、どの銘柄の発泡酒を冷やしているのか。知りたいと思うのはおかしいことだろうか」
 I understande.
 ようやく話がわかった。
 つまり友人は社会学的な意味も含めて、自分がどんな場所にいるかを知るため、ベルトコンベアーに乗って旅してみたいというわけだ。
「それだな。
 ラインの最上流から、パレットに乗って、河口までゆけたら最高だ。会う奴ごとに、キャンディーでも渡してやったらさぞかし驚くだろう」
 そりゃそうだ。
 作業中、目の前に友人が流れてきて、よお、とかいいながらキャンディーを持って現れたとしたら。
「きっと伝説になるだろうな。
 しっかり仕事しろよ。
 なんてセリフが後々まで語り継がれることになるんだ。そうなるとあまりめったなこともいえない。なにか気の利いたジョークでも考えておくか」
 だが、ちょっとだけ問題らしきものがある。
「?」
 製造ラインに乗って移動するということは、その間にパイプやら断熱材、扉など冷蔵庫に関わる諸々を、否応無しにとりつけられるということだ。
「!」
 つまり、上流から流れてきた間抜けは、河口で立派な冷蔵庫人間となって出荷されるのだ。
「なんでそれがちょっとした問題なんだ?
 致命的な欠陥じゃないか」
 そうでもないさ。
 冷蔵庫人間として家に帰った友人を見て、たぶん奥さんはこういうだろう。
 まあ、本日四割引だった冷凍食品が、冷凍庫に入らなくて困っていたの。新しいのがきてくれて助かったわ。
「わが家はそこまで冷えこんでいない」
 I hope so.



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