CONTACT Japan 3 異星人設定資料

社会

精神構造、歴史、社会および言語

 地球についてできないように、これらの問題について完全な説明をすることは不可能である。枝別れし統合してはまた枝別れしながら発展していく一筋か二筋の大きな流れのおおまかな描写を、歴史として提示することしかできない。ここでは地球人とコンタクトを行う高度な技術を持った社会を成すにいたった環境や出来事に集中して話をする。地球について同じことをするならば、先人類の遺跡や石器時代の生活についてほんの少しだけ言及し、近東の初期文明を少し見たのち、後の研究や技術の中心となるヨーロッパや中国へと話しを続け、科学的な手法が形成されたことや、発見の時代を迎え、それに産業革命が続いて起こったことによりヨーロッパに焦点を絞り、これらが全世界をどのように変化させたかを手短に示し、アジアの国々が科学技術の最前線にどのようにして加わり、おそらく絶対的な指導的地位に立っていくであろうか、その一方で中世ヨーロッパにおけるラテン語のように、どのようにして英語が世界標準語になっていったかについて示すことになる。これでは地球の歴史や文化の豊かさや複雑さがほとんど示されておらず、また言及された地域と同様に興味深く意義深い他の地域の社会について完全に無視している。しかしこれは避けられないことである。
 精神構造についても同様に過度に単純化しなければならない。我々人類が基本的にどのような精神構造であるのかについて、今日でも合意は得られていない。人類学、社会学、社会生物学の理論などが示唆を与えてくれている。しかしながら、日本の歴史だけとってみても、地位の低い小作農や漁師、深い学識のある神官や僧侶、平安時代の香料を調合する廷臣、源平合戦における侍、徳川将軍時代の侍、近代の実業家、近代の科学者、そして言うまでもなく女性や子供がどれほど似た精神性を持っているのであろう。我々に言えることは、これらの人々は皆、生きたいという願い、性欲、ある種の信仰や哲学、他の人物や組織に対する忠節といった動機と、それ以外のいくつかの特徴を持っているということだけである。しかし、これらの事がらは、時代から時代、人から人でどれほど強く関係しあっているのであろうか。どのようにしてこのような動機が行動に結びついたのであろうか。
 これらの考察を抜きにすると、アネカワンについて次のようなことが言える。
 ここには一つの性しかないため、地球上で男性、女性が担っているすべての役割を等しく考えており、多くの男性のように積極的なものも、多くの女性のように従順なものもほとんどいない。このような者がいても異常だと思われ、社会全体にはほとんど、あるいは全く影響を与えない。地球人よりもアネカワンの方が独立心があるということは正確ではないが、少なくとも彼らは自分自身と同じように考えることを他者に強要することはほとんどない。
 この傾向は彼らが群居しないことによって強められている。彼らの共同体はいつも幾分小さく、多くても2〜3000人であり、共同体どうしは離れている。我々の言葉の意味で言う「都市」のようなものは存在しない。高度な文明により大都市圏が発達したが、これらはすべて、通常よりも接近しあった多数の村が、発達した道路と通信手段によりお互いに固く結び付くことからなっている。「国家」はこのような地域とその後背地がゆるく結びあった同盟関係として起こった。しかしそれは個人が特別な忠節を尽くすべき恒久的なものとは見なされていない。最大の義務はいつも近縁者を含む直接の家族に対するものであり、その共同体に対するものがその次である。
 多くの者が混みあって住んでいるという意味では群居をしていないのにもかかわらず、アネカワンは社会的で好奇心に富み、いつもニュースを聞きたがっている。多くの文化で遠方とのコミュニケーションは、インカ帝国時代のペルーのケチュア族で行われていたような、飛脚によるものである(馬のように乗ることのできる動物はおらず、車両を結びつけて使うことのできる動物が一種いるだけである)。アネカワンは同じ条件では地球人ほど速く走れないが、非常に強い忍耐力を持っている。飛脚はふつう若者がなる。このような奉仕はその年代層の義務である。これはまた教育の一部となっており、飛脚はしばしば「若者文化」を発展させており、飛脚であった者がその役割を終えたあと、なつかしく振り返るものである。
 もちろん、技術の発展にともなって、このシステムはいくつかの地域において段々と取り変わっていった。はじめは手旗信号や日光反射信号機、のちに電信や自動車に、今日では電気信号によってデータだけでなく擬似感覚までも伝達されている。しかし、このシステムの形跡は少なくとも儀式上のものとしては残っている。実際には、電気的な擬似感覚は全感覚を網羅してはいない。フェロモン物質を含む適切な匂いは伝達されていないからである。アネカワンが都市に集中して住まない根本的な理由は、彼らが群居した結果起こるこのような匂いの集中が彼らを惑わし、生殖行動を狂わせると深層心理で感じているからである。このため、彼らは軍隊を持っておらず、また我々の言葉における戦争も起こさない。そのうえ「偉大なる指導者」といった考え方も彼らには馴染みのないものであり、実際考えつきもしないものである。
 これらすべての要因の結果、王国や帝国が興ったことは全くない。しかしこれは理想郷の状態とは言えない。巨大で長い時間が必要な公共事業は、動力つきの機械が利用できるようになったごく近代まで行われることがなかったのだから。地球における古代の専制政治は、その文明が依存する農業生産のために、前エジプト時代には葦の低湿地を開拓し、中東では潅漑を行い、アジアや南米では山を階段式に整備するといった事業を成し遂げてきた。ナユリンのどこにも水道を整備した文明のようなものはなく、多くの地域がわずかな人口をかかえるだけであり、メンフィス、バビロン、西安、クスコであったような、文化的な事業を活気づける巨大な中心地が存在したことはなかった。
 もちろん全ての余分な富が集中し、彼らが適当と思えるようにそれを分配する、古代地球における神王のような者は存在しない。ナユリンの初期の頃から、経済は個々の家族と小さな集団に依存してきた。すなわち、このような単位で物やサービスを作り、取り引きしてきたのである。生産や取り引きは一つの社会の中でも多くの異なった方法で行われている。そこには様々な種類の協業、会社、同業組合、協同組合がある。いくつかの地方では宗教組織が主要な役割を果たし、農業や商業を行っている。
 アネカワンは生来、聖人のようなのではない。地球人ほどの頻度ではないにしろ、死に至るような争いも起こる。時と場合によってはそれが氏族間の確執に至ることもある。ときおりは盗賊団が人々から略奪を行うこともある。一般的には、共同体がこのような問題を取り扱う方法を見つけている(下記、法律に関する記述を参照のこと)。
 しかしながら、最も頻繁に広範囲にわたって起こる反社会的行為は非暴力的なもの、すなわち盗みや詐欺である。ある程度までの嘘やごまかしは、中心となる文明社会を含む多くの社会で罪とは見なされていない。もしあなたが他の誰かを騙すことができたなら、それだけ一層あなたの立場が良くなり、相手の立場が悪くなる。地球で好戦的な強さや勇気が賞賛されるように、ナユリンでは賢さやずるさが賞賛されるのである。
 アネカワンは正義や平等といった観念を持っている。地球人は悪人を殺すことにより悪事をこらしめる戦士を賞賛するが、彼らは相手の裏をかいて敵に災いをもたらす人物を賞賛する。破産しなくてもよさそうな人が破産しそうな時には、厳しい商業習慣よりもひどい行為については道徳的にたしなめられる。
 真実の尊重はこのような状況ではありそうもないように思えるが、誰かを出し抜いた方法を吹聴している一方で、多くの文化では真実を守ることを重んじている。科学もまた、アネカワンにとって扱いにくく、相容れないで、敵対してさえいる自然世界に対し、裏をかく行為のように見える。
利他的な衝動は我々と同じように強い。その表現方法は社会から社会、時代から時代で様々である。地球人もアネカワンも、自分の直接の家族や友人に関するものでなければ、不幸に対して時々は無関心になり、時々は非常に同情的になる。高度技術文明ではこのようなことに同情的になっているが、救いの手は政府の機関よりもボランティア組織から差し伸べられる方が一般的である。
 あらゆる地域において政府は小さい。治安は主に社会的な圧力により維持されている。ある人が富や業績といった理由により共同社会のなかで高い地位に立つといった、一種の社会階級も一般的に存在する。家族すべてが何世代にも渡ってそれを享受する。他の人々は彼らに取り入ろうとする。
 何かの仕事が必要とされたり、望まれたりしたときに、それが2〜3人では扱いきれない場合の一般的な行動パターンとしては、能力を基準にリーダーが合意のもとに選ばれる。その権限はその仕事が行われている間、またはそのリーダーの能力が不十分であり、誰か代わりのものがその地位に座るまで続く。労働者はいろいろな方法で代償をもらうことができる。それは労賃であったり、彼らが作ったものを使用したり処置したりする権利を分かち合うことであったりするが、たいていは皆の利益のためにその仕事を行うことに同意するだけである(地球上でも同じようなことは見られる。例えばアメリカの農村で飼料小屋を建てる時、特にその地域への最初の入植の時などに見られる)。
 徹底的な強制労働もたしかに起こる。自然災害や凶悪なギャングといった危機に対処するために動員されることになり、その必要がなくなった時に動員は終る。貨幣経済では課税は普通であり、集められたいくばくかの基金は、その共同体の中にとどまるよりもむしろ地域の中心政府に行くことが多い。浪費や賄賂は地球と同じように起こる。しかし政府は人々の日常生活を指図することに関して、大したことができるわけではない。
 すべての権威は法から発せられている。コンタクトを行う文明では、ほかの多くの文明と同様に、法の尊重は真実の尊重と同じく、事実上は宗教的なものである。真実(正しい知識)が理解と「大周期(Great Cycle)」への適切な対応のよりどころとなるのと同じように、法は正義や秩序のよりどころとなるのである。しかしながら、守られているのは法の精神ではなく、その字面である。賢い人は、たとえ意識してやっていないにしても、自分がやりたいことをできるようにしたり裁判で勝ったりするために、厳密な法解釈をしたり法の抜け穴を見つけだしたりする。このことについては、地球で行われた場合ほど非難されはしない。
 法は一部は伝統に、一部は立法に由来する。コンタクト文明では、それぞれの地域の成人は考慮されるべき法の改正について議論し、それが望ましく、また彼らの地域でのみ適用される場合には、それを制定するための議会を年に3回か4回ひらく。また、年に一度の「国会」もある。すべての成人がその参加資格を持っているが、ほとんどの人は知り合いの誰かに彼らのために発言をしてもらっている。代表の旅費については寄付されることもされないこともある。
 近代のコミュニケーションとコンピュータにより、全世界的な法律を作ることができるようになった。しかしながら、これは全世界的な関心ごと、すなわち環境保全や疫病に対する協力活動などに限られている。おなじように「国会」はその地域内部の問題だけを扱っている。多くの法律は小地域のもので、地域により少しずつ(ときには大いに)異なっている。法律は地球で普通に見られるものほど詳細ではない。それは命令を与えるものよりもむしろ制限を与えるものである。すなわち、法律は人殺しのようなやってはいけないことを規定しているのであって、しなければならないことについてはほとんど述べられていない。
 この議会は友人と集まったり、商売をしたりする非常に良い機会である。また刑事事件や民事訴訟の審議も行われる。
 コンタクト文明では人々は争議を個人的に解決する。非常に多くの場合、それは仲裁人の助けを借りて行われる。これらの仲裁人はたいていプロであり、その知識や公正さ、賢さを尊敬されている。中国の歴史的な行政長官である Dee Jen-djieh ("Judge Dee") のように、仲裁人は物語や伝説の主人公になることがある。
 もし争議が解決されなければ、その問題は地方議会に持ち込まれる。広範囲に渡る問題の場合は、さらに大きい議会に持ち込まれる。その議会では総意により判決が下される。被害者に有利な判決が下された場合、被害者が加害者からどのような補償をされるかは法律により定められている。事実上の犯罪裁判についても、親戚が殺されたり、強奪や詐取されたりした被害者による民事裁判の形をとる。昔はその刑罰は通常、罰金または何年かあるいは一生にわたる追放であった。今日では収牢および強制労働となり、労働による収益は被害を受けた人に贈られる。
 裁判を実行したり、犯罪者を追跡し逮捕する正式な警察は存在しないが、健康で丈夫な人はいつも、そのような行為をしたがっている。これらの仕事は一般に、鍛錬や実地訓練、必要な時には交戦をすることをも目的として作られたクラブに委ねられる。同じようなクラブは救急活動や人命救助を目的としても組織されている。これらの公共奉仕は名誉を得られるだけではなく、その組織自体における社交や相互援助といった別の機能を持っている。
 地球と同じように、争議や損害といったものの大部分は保険により処理される。
 法律は税金についても定めている。しかし、規定通りの査定額をそのまま払うことは馬鹿げたことだと思われている。税金を無効にしたり、脱税する技術は高度に発達している。彼らはそれを幾分は当たり前のことと思っており、有力で強引な徴税機関を維持することは不可能である。その一方で、あまりにもあからさまなのは巧妙さにかけて間抜けであるため、脱税者として恥とされている。このため、数少ない最低限の仕事をまかなうには充分な額がいつも集められている。結局のところ、軍事的な防衛や戦争のために税金を支払う必要は全くない。
 このような心理やナユリンの大周期を含んだ環境のため、歴史は地球上よりもかなりゆっくりと推移した。地球では、多くの人口とその都市への集中は知性や文化をお互いに刺激することを意味し、また都市でのニーズが、軍隊のニーズも含めて、技術的な発展を導いてきた。これらのことすべてが、ナユリンでは散漫に起こった。さらに地球では周期的な気候大変動に苦しめられることもなかった。(地域的には環境が悪くなったことが幾つかの社会を滅ぼしたことはあるが)。我々の世界では新石器時代への移行が約8000年前、有史時代の始まりが約5000年前、発見の時代と科学的手法の確立が500年前、産業革命からは300年も経っていない。
 ナユリンでは最も古い歴史の記録の断片は20,000年前にさかのぼる。次の章ではその歴史や技術、宗教について昔から現在に至るまでを描写する(名前を含んだ言語も含まれる)。科学技術と全世界的なコミュニケーション手段は地球と同じようにナユリンでも革命的なことであった。さらにそのうえ、ここで述べた古い生活習慣や慣例は実質的に変化して風化しつつあり、新しい習慣に取って代わられつつある。

ナユリンの歴史

 ナユリンの歳差周期は地球年で約10000年、彼らの一年(彼らの太陽、ラヒの周りを主惑星イカロミが公転する時間)では約10750年に相当する。ここで「約」というのは、重力、とりわけ他の三つの大きな月の影響で、その周期がいくぶん変動するからである。今の我々にはこのことは重要ではない。そこで簡単に10000年を周期の値として使い、時間もナユリン年ではなく、地球年で数えることにしよう。
 地面と空気、そして特に水の保温性のために地軸傾斜の変化と環境の変化の間に時間差が生じる。地球では一年で最も暑い時期が夏至の後に、最も寒い時期が冬至の後に来るのと同じように、ナユリンにおける「最悪」及び「最良」の状況は、それぞれ地軸傾斜角の最大期、最小期の後に来る。もちろん、この時間差は時と場所によって様々である。下に示す表は一般的に表現したものである。
 ここで強調したいのは、この説明は単純化しすぎているだけではなく、正しくない場合も多いということである。大きな地軸傾斜は、拡大した極地と熱帯の間で「住み良い」地帯が狭くなることを意味している。しかし、こうした環境に適応し、その時期に居住地域を拡大する生物種も多数おり、それらの種に依存している人々も居住地域をひろげるのである。もちろん、拡大する氷河の上で実際に生息でできるものはほとんどなく、生物の占める領域は全体としては減少する。気候システムもまた安定を欠き、巨大な台風や嵐、雷嵐が全ての緯度で現れる。これらによって「住み良い」地帯も被害を被る。しかし生命は持続する。
 また、地軸傾斜が減少するときにも局所的には環境が悪化することも実際にはある。高緯度地方では氷河の溶解に伴って破滅的な洪水が頻繁に起こり、いたるところで海面が上昇する。知性が進化し始めてからの「大周期」では、相当な数の初期共同体や文明社会までもが、ナユリンの気候が最良になる過程の変化で完全に滅んでしまった。
 しかし、環境がそれほど急激には変化しない場所に位置した好運な地域もあった。それらの地域では季節の変化は「大周期」の影響を受けながら変化していったが、全体的には地球の大部分の地域でと同程度の変化である。このような地域で歴史的に最も重要なものは、ロミリン、ロヨゲヤリン, アハグプリンなどの中央部のベルト状の地域、そしてアベベグリン・ペヤリン諸島の最大の島、サビロ−イケカワ・ペヤ島である。この島の東側半分はヌン・ブフン山脈によって「どん底時代」にヒョ−アネリ・ババソ洋から訪れた大嵐から守られた。
 現在の高度な知性種アネカワンはロヨゲヤリンで進化し、10万年前に登場した。これは、彼らの種族がホモ・サピエンスよりも古いことを意味するが、「大周期」の過酷な環境のため、ナユリン全土に広がるのは遅く、石器時代や金属器の発明に費やした時間は人類よりも長かった。海面が低下して地峡が海上に現れると、彼らのうちの一部は、リューキ・ナユを横断し、山脈を越えてロミ−イボカポリンやオダカリンへ渡っていった。のちの地軸傾斜の小さい時期には、幾度も非常に多数の移住者が、あるものは歩いて、あるものは海を、島から島へと渡っていった。同じように、彼らは原始的な筏や船を発明すると、アハグプリンやアベベグリン・ペヤリンへと植民していった。
 これらは全て先史時代に起きたことである。地球と同様に、文字を持っていなかった時代のアネカワンは遠く離れた時代の祖先を神話化し、あるいは忘れ去っていった。知識も自らの住む地方についてのみに限定され、それぞれの伝統と文化を発達させていった。交易や旅行を通じてより広い地域についての知識が増えていったが、それも多くの地域で「どん底」期の過酷な環境や、その余波によって中断された。そして、既に述べてきたように、いくつもの文化全体が(地球においては、ヨーロッパのマドレーヌ文化や、日本の縄文文化のように)失われてしまった。生き残ったものにおいても文化的な地平線は縮小し、自分たちの向こうに何が横たわっているかという知識は減少した。
 しかしながら、多くの地域において神話や伝説と言った形でのみではあっても、過去の記憶は残り、そうした記憶は古物商がもたらしたエキゾティックな文物(しばしば名前も失われ、それが何かも理解もされなかったが)によって保たれていた。

 年    出来事
0   数え切れない回数の退行のため、知識は技術の改善や世界と天空についての情報の形で少しずつ増加する。ますます多くの地域で、狩猟・食料採集の不足を補う農業がはじめられ、やがて主流となっていく。漁業は常に重要である。とりわけ海岸沿いや大きな潮汐による低湿地(そこでアネカワンは環境にどう対処するかを学ぶ)や、大きな湖(そこではナユリンがイカロミの周りを公転する(8.44地球日)際に、この巨大惑星が相当大きな潮汐を引き起す)では特に重要である。こうしたところでは船や航海術を発達させる誘因と機会があった。ナユリンの場合、操船術の開発は先史時代にまでさかのぼるのである。
6000  リューキ・ナユ とロヨゲヤリン西部との文化的交流。これはシベリア東部とアラスカ西部の間の関係に似ているが、オノカワ海峡はベーリング海峡に比べて広いので接触はシベリア―アラスカ間より少ない。
 現在知られている内で最も初期の文明がロヨゲヤリン西部に発生する。農耕、冶金術、識字階級、そしてアネカワンにとって最初の小さな都市といえる十分にお互いが近接しあった共同体が産まれた。この文明については、埋もれた遺跡や、今日では誰も読むことのできない言語が刻まれた石板や粘土板などの断片を遺すだけである。
初期ロヨゲヤリン文明の影響はロヨゲヤリンでは東へ、リューキ・ナユ では西側へ、さらに山脈を越えて、ロミ−イボカポリンへと広がった。この地域にも小さな初期文明が起こった。
8000   農耕の失敗とオノカワ海峡が渡れなくなったために初期ロヨゲヤリン社会が滅亡する。しかし、この古代文明は完全に忘れ去られることはなく、その地方のアボボグリンという名前にも残っている。
10000  ロミリン中央部のルフナユリンが「どん底時代」にも文明を維持する。
12000  ルフナユリン文明が栄え、広がり、更に発展する。
13000  ルフナユリン文明は、古代バビロニアやエジプトに匹敵し、様々な点ではそれ以上に優れた文明となる。体系的な天文学が発生し、星図が作られ、一年の長さが測定され、惑星やナユリンよりも外側にあるイカロミの他の衛星の運行が確かめられる。
14000  山脈を越えてのリューキ・ナユへの探検によって、ルフナユリン文明としては初めてイカロミが発見され、同時に内側の月とリングも発見される。何度かの探検によりアボボグリンとの交流がはじまる。アボボグリンはこの時にはむしろ時代遅れの存在になっていたが、なお色々な伝統を保ち、さらに天体観測をしていた。アボボグリンのアネカワンは、ナユリンが一つの軌道を回る世界であり、イカロミはさらに主星ラヒの廻りを回っていることを理解するようになってきた。彼らは地軸の歳差運動を発見したが、それが何を意味するかは完全には判っていなかった。
これらの全てが航海術の改善をもたらした。ルフナユリンから西側へ放射状に広がることにより、文明は様々な社会を形成した。最も強力で進歩的なものはオダカリンの大きな湖、イナリ・ババソのまわり、そして北西海岸のアジリナユのものである。これら二つは互いに影響を与えつつ、南西の岸に沿ってアベベグリン・ペヤリンへいたる航路を、気候や潮汐の厳しさをものともせずに求め、海上貿易をリードした。これらの西と南方への影響はほとんどが貿易によるのものであるが、これに刺激を受けてイホカワリンでも文明が勃興した。
15000  風により航路からそれた船乗りたちがウゲリンへ到着する。彼らは首尾良く帰国に成功する。彼らの報告は遠征や植民地建設を引き起こした。オノカワを渡る交通により、情報やアイデアを直接または間接にロヨゲヤリンやアハグプリン全域に行き渡らせる交易場所が作り出された。
17000  しだいに、しかし容赦なく地軸傾斜はこの素晴らしい時代の息の根を止めていった。
 ルフナユリンとイナリ・ババソにあった文明は気候が悪化するにつれて衰え、商業はどんどん小規模になってゆく。その人口はますます小さく、まばらになり、読み書き能力は低下し、概して生活は貧しくなった。ロヨゲヤリンはヨーロッパの暗黒時代に似た様相となっていったが、他よりも長い間持ちこたえた。アハグプリンの損失は少なかった。
 アベベグリン・ペヤリンの文明は版図を広げ、裕福になり、イホカワリン(気候の悪化により数世紀におよぶ長い干ばつにみまわれていた)に、そしてオダカリンへと広がっていった。ウゲリンではナユリンの他の地域との接触が行われなかった。
18000  数千年の間、ウゲリンは孤立した。ウゲリンの人々は知識を失うというよりも、その用途を見つけることをやめてしまった(地球の例でいえば、ローマ帝国が失墜したとき西ヨーロッパにおいて良い道や橋の建造知識が消滅したが、しかし必要な経済学や社会構造は残ったように。それは千年あるいはそれ以上の長きにわたって古い写本の中に葬り去られていた。ナユリンではそれに相当する時間がさらに長きにわたって続いたが、それは単に「大周期」のためだけではなく、アネカワンの性質が彼らを戦争や国家の創設へと傾けさせなかったためでもある)。ウゲリンのアネカワンは、他とはいくぶん異なった独特な社会を進化させていった。
21000  「どん底時代」。アハグプリンは荒れ模様であったが、たいていは温暖だった。北部は熱帯性、南部は極地気候とまったく異なった環境となった。様々なコミュニティーが発達したが、彼らはウフェカワ教という共通の宗教を持つようになった。これはヨーロッパにおいてはキリスト教により、アジアの多くの地域では仏教によって提供された人々を団結させる機能と同種の機能を提供した(ただし地球の宗教が行ったような残虐な戦争は行われていない)。その制度は地球の宗教と同様に、昔の知識の保存や、その知識をより広い範囲に広めるのに有効だった。その神学者たちは文典の研究や、彼らの学説を表現するためにキゾアネワ(正統言語)の研究を献身的におこなった(昔のサンスクリットの諺:神学者は息子の誕生よりも、短い母音をさらに半分の長さにできたことを喜ぶ)。
22000  アハグプリンでの旅行は、いっそう容易で安全になった。貿易は活発になった。島の定住地であるエキン―ロロ・イモガワンは、大きな集積地であり市場であるばかりでなく、思想の交換のための中心地になった。
 ウソキャナユはアハグプリンからの植民者達を受け入れた。これらを通して、ロヨゲヤリンのさらに北の奥地との接触が行われた。
 アゴバソリン・アネカワン(低湿地民族)とババソリン・アネカワン(湖沼民族)の社会は、アハグプリンからの商人に関心をもっていた。
 ケジロガ、ロミリンおよびアベベグリン・ペヤリンにおいてアハグプリンとの間のより一層の旅行や交易がおこなわれ、ニュースがやり取りされた。
 ウゲリンは他の地域の人々に再発見された。相互の影響は、芸術的な、そして知的な復興を活気づける手助けとなった。
23000  「大周期」は上向きの時代にさしかかり、貿易や文明の復興が始まっていた。次の偉大な時代が徐々に訪れつつあった。
 アベベグリン・ペヤリンは良い状態がつづいたが、他の地域とあまり取引を持っておらず、彼らの文化は数世紀のあいだ重要な変化がほとんどなく、横ばいになった。
 アハグプリンは新しい進歩と繁栄の全盛時代を迎えた。アハグプリンはもっとも小さい大陸であるけれども、それはさまざまな地形や地理的条件を持っており、その結果として生物学的にも多様性を持っている。巨大な湖ラユ―ウナカワ・バソ―ロロには、その潮汐やウタリ・ババソに注ぐ長い川、多くの保護された投錨地を提供する海岸線、北の狭い海の十字路の群島があり、そのすべてが操船技術の発展をうながした。
 最後のよき時代の古い文書や製作物は魅力的なものであり、これらはアハグプリン内外からの新鮮なアイデアや、繁栄を増大とともに、イタリアのルネッサンスとは異なった形での文化から生み出された。印刷機のような以前には見受けられなかった発明品が現れた。船は非常によくなった。長く、いくつもの土地を経由する隊商や沿岸航路に依存するよりも、アベベグリン・ペヤリンの富と直接取引するウタリ・ババソ渡航に大きな期待がかけられた。
 これらのすべての出来事が地球の歴史上で一致する改革よりももっとゆっくりと起った。前に述べたように、彼らのもつ特性のため、アネカワンは地球における大都市圏の人口の集中や事業というものをまったく行わず、また、たくさんの資源を自由にし多くの労働者に命令できるどんな支配者も権力者も存在しなかった。この時点に至るまで、進歩は発見と発明、小規模な公共事業が多くの世代の上にすこしずつ積み重なっていったものであった。
24000  探求の時代がはじまった。この時代、アハグプリンのアネカワンにはナユリンのいたる所での生活を改革することになる根本的に新しいアイデアを導きだすものがいた。貿易組合、専門職業ギルドなど、世界中に多くの異なった組合組織があったが、それらはその範囲と活動を常に限定されていた。さらに、どれだけ大きな努力の成果を集めても、大きく広い範囲において事業を起こすことができる十分な資本(単に物資をかき集めるという意味においても)を一世代の間に蓄えることは誰もできなかった。
 新しい社会として、共同所有会社が発明された。それは異なった形態を取ることができ、また異なった目的をかなえることができた。株主には、個人、協会、コミュニティー、宗教団体など、どのようなものでもなれた。彼らの資本または労力を出資することによって、彼らは数千の領民を持ち、その領地から相当額の税収を得ることのできる地球上の領主と同じような事業ができるようになった。事業はしばらくすると王のような規模に、最後には国家や帝国の規模にまで拡大した。株によって(実際には株主に対する責任を負う選ばれたマネージャーによって)投票することは、強制することなしに広く支持された協力体制を生むことが出来た。不満な人々は持ち株を売り払い、グループから脱退することができた。同時に、会社の力は限定されていた。それは純粋に自己防衛手段である場合を除いて、その意志を強制的に押し付けることはできなかった。
 会社が社会の基礎になるには人類でも長い時間がかかった。ましてアハグプリンではいっそうのことである。最初の会社は、現存するルートを拡大し、新たなルートを見いだすことを望む商人冒険家のそれらだった。彼らは、初期におけるアベベグリン・ペヤリンへの直接航海を引き受け、そこからロミリンへ向う航路についてもすぐに引き受けるようになった。自分の利益を再投資することにより、彼らはついには世界をまたにかける船団を建造した。
 ロギリンはこれらの冒険家によって発見され、移民が連れて来られた。ウゲリンの再発見も彼らの業績だった。ロヨゲヤリンとロミリンは商人冒険家達の会社を見習う気になった。
 当然のことながら,これらの会社は進歩した航海術と関連する技術に大きな関心を寄せていた。このため、彼らは研究に融資した。一面では利己的な動機により、また一方では威信、好奇心、さらには利他主義という動機のために、これは奨学金を含むようになる。学問の研究所は、これまでは主に宗教や家族を基礎としていたが、補助金による組織として設立された。しばらくすると、それらの多くが自身が投資したことにより得た利益を財政基盤として、自分自身の権利をもつ会社組織となった。
25000〜
26000
 「科学の改革」は、ガリレオの地球に対する仕事やその本質に匹敵する、基礎科学の姿勢と方法論の開発だった。それを最初にもたらしたアネカワンは、人間が知識面で前進した時と同じ準備がある程度まで整っていた。それはさらなる進歩のために必要な設備を提供するための産業基盤が欠いていたことだった。例えば、正確な海のクロノメーターをつくるためには、最小限の熱反応しかしない合金が必要である。
 世界的な商業が需要を生み出した。世界人口は、「最良の時代」のあいだ増え続け、それにより需要は増大した。ちょうど地球と同じように、蒸気機関は石炭を採掘する手助けとして最初は考案されたが、その後は地上や海上での輸送機関に、そして他の全ての種類の機械に応用されるようになった。物理科学は、技術的問題を解決することを期待され、熱力学や電磁気理論といった領域が発展した。その結果、さらなる科学の進歩を求めていた科学者の助けとなるレベルまでテクノロジーは発展した。
 このテクノロジーの発達は地球でおこったほど速く徹底的なものではなかった。地球において、ほんの2世紀かそこらのうちに、ほとんどの国は産業主義と純粋な科学ばかりでなく、(形ばかりのものもあるが)議会制民主主義とビジネススーツを採用した。気候によってはスーツは快適でも実用的でもないにもかかわらず。
 ナユリンにおいて、進歩を進めるための軍事的競争がなかったばかりでなく、ナショナリズムのようなものもなかった。もっとも大きい会社は、株主とともにナユリンのいたるところで活動したが、彼らは先祖伝来の方法にしたがって生活し続けた。
 科学や産業によって成し遂げられた根本的な変化はそれらの生活様式に明らかに影響を与えた。機械と新しい工場群は、広大な未発達の地域を切り開き、集中的な耕作地や密な居住地とした。もっと古い共同体でも、日常生活は家庭の器具や薬の改良などによって基本的なところから変化した。世界的な旅行や商業活動はすべての社会を外部の影響にさらした。
27000  生化学の研究により、ウナドワ(子供草)の問題が解決され、活性のある成分が人工的に合成された。これについては「宗教と文化」の章で議論する。
27500  宇宙探査が始まる。これは全世界規模の文明によって達成された成果である。ロボットを使ったものや有人のミッションが82エリダニ系じゅうを行き交い、2、3の植民地(ほとんどが地球の南極のもののような、科学的目的のものである)が幾つかの天体に建造される。
 探査プローブが幾つかの近隣恒星に到達し、その発見を送信してくる。軌道上の巨大な干渉望遠鏡群が宇宙の果てについての情報を集め始める。
 一方で、地軸傾斜は確実に大きくなっていく。
28000  ナユリンは、商業と情報の流通によって結びつき、科学と産業を共有するグローバル・ネットワークによって統一される。このとき、ナユリンには20世紀の地球よりも文化の多様性が残っており、また、それら様々な文化は不変なわけではなく、それぞれの違った方向に進化している。
 伝統的な固有の言語はそれぞれの居住地域で使われ続けており、また、どの社会も他を圧倒するほど有力にはならなかったので、国際語を工夫することは有益であった。多くの試みの中から、ウタアネワ(交易言語)とよばれるものが国際語としての地位を確立した。これは「どん底時代」の間アハグプリンで文法学者や神学者の間で使われていた学問的な言語であるキゾアネワ(正統言語)からできたものである。数世紀の内にウタアネワは多彩な表現や、幾つかの方言、それに画期的なことに、活気あふれる文学作品を作り出した。教育を受けた者は皆これを流暢に話し、教育程度が低い者でも社会生活するために十分な程度にはウタアネワを理解し話している。
 しかし環境の転換期が近づきつつあり、ナユリンの大部分をおおう非常に悪い環境変化が始まった。
28300  氷河が極地や高山から前進を始める;熱帯は赤道の外側へ広がる;海面は低下し、さらに激しい雨や雪嵐が荒れ狂うが、地域によっては干ばつに苦しめられる。ウナドワ(子供草)の衰退による動物の個体数の減少が、手に入る食料の減少と並行して起こる。生態系は地球であれば破滅的に崩壊するだろうが、ナユリンでは崩壊にはいたらない。しかし大激変ではある。いくつかの種が死に絶え、その後を埋めるものがないと、その地域の生態系は貧しくなる。アネカワンたちの間でも、多くの地域経済が困難に陥り、すべての伝統的な生き方が変化を強いられる。
 科学者たちは長いあいだ「大周期」のこの最後の局面で何が起きるかを予測してきた。ほとんどの地域では、企業がこれに備えてきた。また共同体や社会はそれとは異なる方法で災害に備えた。しかしこれは簡単なことではない。
 過去に起こったような文化の滅亡は再び起こることはあるまい。ハイテクにより「どん底時代」ですら対処可能である。しかし「何ががベストの方法か」に関しては多くの疑問がある。アネカワンは人類と同じくらいに誤りやすく、近視眼的で利己的である。さらに利益の観点は重要である。長期的に状況を良くするような事業を起こすのに、すぐに得られる利益を目的にすることは滅多にないとは言え、共同体でも企業でもいつまでも投資をつづけることはできない。それには社会を維持して行き、もし出来うるなら生活を改善しつづける事ができるような十分な報酬がなくてはならない。
 だからナユリンは、(抑制はされているが)かなりの混乱状態にある。
 また、宇宙での活動に再び目が向けられてきた。軌道上の太陽エネルギープラントは大きな助けになることが期待されている。このような期待により、純粋科学研究(これは比較的お金がかからない)も支えられている。そして現在ナユリンのSETI研究者たちは、他の知的な種族、太陽系の人類と「コンタクト」しようとしている。

技術文明

 この記述は非常に一般的な内容である。語りきれないほどのバリエーションや例外があり、変化のスピードは速く、その影響は広範囲に渡るようになってきている。

日常生活
 典型的な村落では数百から数千と人口は少ない。昔の村は野原や果樹園に囲まれていた。今日では、機械によって育てられた強化作物により、一部の村の風景は、やや荒れた林や牧草地となっている。
 野原の向こうに隣村が二つか三つ、大都市圏ではそれ以上、あるのが見える。このような集落は非常に広範囲に広がっている。いくつかの村落の集まりが社会的、経済的な単位を構成している。さらに大きなグループは都市となる。高速で信頼性の高いコミュニケーションのおかげで、これらの村落は商業、サービス業、軽工業などに特化していった(重工業は一般的にロボット化されており、人口の多い区域からはいくぶん離れたところや宇宙空間で行われている)。いくつかの大きなビルがあり、高層建築に近いものもある。
 重要な人工物質として「電子プラスチック」がある。これは自分自身を形づけることができ、硬かったり柔らかかったり、透明だったり不透明だったり、均質であったり中空であったり、一色であったり模様であったりといった求められる特性を、使用したソフトウェアによって付与することができる。これは特に窓材などに有用である。
 ハイテク文化のもとにある典型的な家庭は、台所・倉庫・風呂などの隔離された部屋と、どのようにでも使える広いエリアとを持っている。家の基本的な構造は通常の材質で作られるが、余裕のある人なら残りの部分は電子プラスチックで作る。この部分は家族の数と同数のプライベートな寝室にすることもできるし、客人のためにさらに寝室を増やすこともできる。仕事場を隔離することもできるし、再び元に戻すこともできる。また、食卓は食事に合わせてセットすることができるし、食事の時間になるまではしまっておくこともできる。
 多くの家具も融通が効くようにできている。しかし、古い家具も先祖伝来のものとして使い続けるのが普通である。電子プラスチック製や、その他の材料で作られた椅子は暖かい時期には背もたれに穴が空き、動きやすく、また尻尾に風を通しやすくなっている。寒い時期には保温のために、この穴は閉じられるか詰め物をされるかする。いくつかの地域では、アネカワンはクッションだけを腰掛けとして使うことを好む。他の地域では、マットの上や床上で自分のお尻の上に座ることを好む。この地域の机はそれに適した高さとなっている。
 家屋の基本構造は気候や伝統によって変化する。アハグプリンのみを見ても、熱帯では非常に湾曲した屋根と屋根つき通路が特徴であるが、中央部では角張った外形と円柱状の玄関が、寒い南部地方では小さい丸い建物が特徴的である。
 地球人と同じように、アネカワンは最小限の服はいつも身につけている。生殖器のヒダは普通、たしなみとして帯だけででも隠されている。温暖な気候における盛装では体前面の毛のない部分の一部または全部を被う一方、背中は何も着けないままである。上胸部の赤らみを隠すか見せるかは文化によって異なっている。太陽光から身を護るためには、日傘を好むものもいれば、つば広で山のない帽子を好むもの、まれにサンバイザーを好むものもいる。寒い気候ではケープやコートとそれに取り付けられるフードや、または単独で使う帽子が用いられる。特に寒い場合にはマスクが用いられる。必要ならば手袋やミトンがあり、サンダルやスリッパ、靴や様々なタイプの長靴もある。
 さまざまな異なったスタイルの伝統的な衣服があちこちで着られている。異なる気候へと移動したものは、もとの地域の衣服を適応させるか、その地方にあったスタイルに作り替える。快適さや便利さのほか、伝統的な飾りつけも考慮される。南極のフィヨルドでは暖かい衣服が必要である。この衣服は、かつては毛皮であったが今では化学繊維で作られている。本物またはイミテーションの毛皮で装った伝統的な身なりにより、地域や職業、家族の地位などが表される。フィヨルドに住んでいた者が群島に移動すると、彼は群島のスタイルである背中の無いエプロンのような衣服を着ることになる。しかしそこに自分の出身地の身なりの変形である軽い合成繊維による服を付け加えるであろう。多くの伝統的な布は合成繊維による同等物ができているが、天然物質も使われ続けている。
スタイルは固定されたものではなく、伝統と同時に流行にも支配されている。地方でもっとも愛された伝統的な服装でさえも、地軸の傾きの増加による気候変化によるスタイルの変更を余儀なくされているのである。地軸の傾きが大きくなれば、高緯度地方でかつては着られていたタイプの衣服が、赤道近くでも用いられるようになるのである。
 宝石やその他の装飾品はどこでも一般的に用いられる。
 辺鄙な地方を除いて、荷役や牽引に使われた動物の役目は自動車に取って代わられた。個人乗用車には座席が一つか二つしかない。家族その他の集団で旅行するときは、大きい車に乗るのではなく、このような小さい車を何台か使う。車はふつう三輪で、屋根がある物もない物もある。豪華な天蓋つき自動車では、天蓋は電子プラスチックで作られている。事故を予防するためのセンサーやコンピュータ制御がつけられていない車に乗る人の保障は保険会社は行わない。コンピュータ制御は特定の目的地にあるルートを使っていくなどといったことをプログラムするもので、ドライブは人手では行われなくなっている。自家用車のほかにも多くの安いタクシーがある。軽くて近距離の貨物輸送には、コンピュータ制御の無人トラックや無人の鉄道輸送がある。バスや鉄道による人員輸送は行われていない。結果として起こる混雑がアネカワンにとってはあまりにも不快であるからである。
 長距離の移動は空路による。地球の標準的な飛行機にくらべてかなり小さい飛行機だが、運行は快適で便数も多い。個人用の飛行機は一時期非常に流行したが、天候による危険が増大し、飛行の成功率が下がったため、現在では数が減ってしまった。非常に腐りやすいものは飛行機で、腐らないものは船で輸送する。半球間の旅行や貨物輸送は、軌道に乗らないロケットを用いて行われる。軌道への往復便はナユリンの重力井戸に落ち込まない本当の意味での「宇宙船」に物資の供給を行っている。
 これまでに述べた乗り物の大部分は無公害のエンジンによって動力を与えられている。一般的な種類のものは燃料電池中で水素を燃やしている。水素は電解や水から得られ、かなりの量を保持できるフラーレンのクラスレート化合物中に貯蔵される。燃焼によって発生する水以外の物質はナノテクプロセスによって遮断される。エネルギーの最も重要な源は長いあいだ原子力発電所であったが、宇宙空間における太陽光の集光が重要になりつつある。その理由の一つは極ゾーンの広がりにより多くの原子力発電所が危険にさらされ、解体されていったことである。(反応により生じた少量の放射性物質は地殻を通りマントルまで掘り進んだ穴の中に処分された。それが崩壊して安定な同位体となるまで、地殻変動によって再び地表に現れることはないだろう)
 もっとも大きな例外はロケットである。ロケットにおいては噴出する全ての窒素酸化物を遮断することが不可能である。しかしその排出量は雷が自然に合成する量とくらべて微々たるものである。これらのロケットが物資を供給している宇宙船(これは惑星には着陸しない)は、高速のイオンジェットを稼働させるため、原子力動力装置を装備している。たとえば彗星物質の貨物をコロニーに運ぶときなど急ぐ必要のないときには、最もゆっくりで最も経済的な軌道が用いられる。
教育
 ナユリンでの発展がゆっくりだった原因の一つに、大きな教育施設がなかったことがあげられる。散在する小さな共同体からくる若者の数はどの学校でも多くはなかったし、大きな教育機関の存在もなかった。
このような状態は探検の時代に変わりはじめた。印刷技術が発明され、道が整備され、快速艇やしっかりとした郵便組織などが登場しはじめた。株式会社の発達は読み書きできる能力に対する経済的な需要を増加させた。古い教育法人は新しく現われてきた地方学校と協力する部門を設立した。巡回教師は何世紀にもわたって重要であった。
 たとえば数学を教える資格のある人は、一年のうちにその地方の学校から学校へと渡り歩く。彼がその町にいるあいだ、子供たちはその科目に集中する。彼の教える科目だけではなく、その科目のたとえば簿記、天文学、化学などへの応用についても学ぶ。その科目を専攻したいとおもう上級生にはより進んだ学習が与えられる。一般的に学びたいと思うものは遠隔地にいても充分に教育が受けられる。
 好都合なことに地方自治体が教育に熱心になり、中等学校の数が増え、新しい短大や大学も増加していった。今日では家庭用コンピュータとインタラクティブなプログラムが主要な役割を果たしている。共同体が義務教育を行う必要はなくなり、子供をもつ各家庭が行うようになった。
 カリキュラムの内容は地球のものと異なっている。科学はもちろん同じであり、読み書きや文法(外国語を含む、とくにウタアネワという通商語が教育される)が教えられることも地球と同様である。しかしわれわれが人文科学や一般教養と呼ぶものについては全く異なっている。
 ナユリンの長い有史時代はあまり政治的事件が起こっていない。王朝や王の系図、戦争は無かったか、あったとしても歴史の流れにほとんど影響をおよぼしていない。教養のある人は、大きな自然災害とそこからの復興、協会の勃興と衰亡、さまざまな発見の経過、社会構造の変化などについて、正確な年は必要でないが、その流れの前後関係について知っていることを求められる。このような歴史で節となるのは重要な明察を行った人、すなわち地球におけるメディチ家やニュートン、アインシュタインといった人物に相当する人である。このような人の多くが重要な象徴的役割を与えられている。ちょうど湯王がインドから中国に仏典をもたらした多くの人を代表しているのと同じようなものである。
 これらの人物には外交官、判事、仲裁人、語り部、すぐれた道徳家などが含まれる。彼らの名前は歴史的によく知られている。彼らは純粋に歴史上の人物であることを超越し、その分野の保護者としての役割を与えられている。その名前は惑星の名前に用いられている。82エリダニの最も内側の惑星はエブカワ(使者星)、主星のすぐ外側の星はエハアネワ(判事星)、エハアネワの巨大な衛星はオタカワ(仲裁人星)と呼ばれている。4番目の星アネロヨマはアハグプリンで生まれたウフェカワ教の教祖から名付けられている。そして第5惑星ケジアルワはケジロガ(ファーサイド)に住む天文学者で多くの基本的な発見を行った人物の名がつけられている。
 アネカワンの歴史はかなり長いので、文学、芸術、哲学、伝説などの莫大な蓄積がある。教養人は自分の出身地におけるこれらの事柄について詳しく知っており、世界のほかの地方のものについてもある程度の知識があることを求められる。どのくらい知識があるかではなく、それをどのくらい理解しているかを求められているのだ。しかし、その人にとって特別な意味をもつ地域の史詩や、彼らの先祖に関る叙事詩については覚えることもある。これは近代ギリシアでホメーロスの詩の選集を覚えていたり、インドネシアの人がラーマーヤナの詩の一部を知っていたりするのと同様である。
 暗記が好きな人は、それに時間と努力をかけるだけの価値はある。本当に知識の多い人は彼らが物質的な富を得るために努力した場合と同じく尊敬され、影響力をもつ。しかしながら彼らは実際に政務を行うわけではない。それはもっと実務的な人物が行う。彼らもまた教養のある人であるが、決定を行う際には美学や学問といったもの以上の事がらを考慮に入れるのである。
法律と政治形態
 アネカワンは一つの政府をもった国といったものを本当に知らない。せいぜい実際的で平和的な理由から共同体同士がゆるい同盟関係をもつ程度である。法令を発布したり、法案を可決させる統治者や統治組織といったものはない。いまだに発展が遅れた地域ではそうであるが、昔は法律というのは根本的に、もろもろの伝統的な規則やしきたりの集まりのことであった。この原理はハイテク社会となっても生き残っている。長いあいだ法律の主体となっているのはイギリスで使われる意味合いでの「コモン・ロー(慣習法)」である。すなわち、調停や裁判もしくは個々人の間で結ばれた契約の一連の前例や判決に基づくものである。その瑣末な詳細や根本的な原理などはいまだに地域ごとによってかなり違う。学問的な言語であるキゾアネワで使われるエハガポワ(Ehagapowa)という言葉は「互いに同意に達する」と言うことを意味する動詞から派生している。自然法でさえ総意の一種であり、柔軟な動詞形で表現される。「それぞれの事がらが他の全ての事柄をひきつける」のではなく「全ての事がらが互いにひきつけあっている」のだ。
 最初に法律の体系は会議の時にそれを暗誦する役目の専門家によって暗記された。文字が発達するにつれ、法律は明文化されていった。アネカワンは智恵比べ、それも詐欺にちかいような騙しあいを楽しみ、非常に論争好きである(前にも述べたように論争は普通、時には仲裁人を間にたてながら個人的に処理される。片のつかなかったものは地域の、または地方の適切な議事会に訴状を出す)。このため法律は非常に複雑になっていき、きわめて優れているというわけでもなく、過去の特定な事例とつきつけあわすと自己矛盾をおこしている例もみうけられる。知恵のまわる人々はこの状況につけこみ、法の精神にのっとるのではなく法律条文を利用することにより訴訟で勝利をつかむ。今日ではコンピューターがそのような矛盾を見つけるのに役立っている。矛盾が見つかるとそれを解決するための法律が制定される。しかし一部の法律家にはそのようなやり方が良い方法なのかどうか疑問視するむきもある。
 古い時代には村の大人達は定期的にまたは必要に応じてお互いに関心のあることがらについて話し合うために議会をひらいた。例えば道を敷設するのかどうか、珍しくなってきた野生の香料の採取に制限をもうけるかなどについて話し合うためだ。議会では当事者同士では解決できなかった個人的な論争について事情聴取し、合意のもとに判決をくだすことも行った。判決を下された事例の中には我々が犯罪とみなすものも含まれる。詐欺、窃盗、過失致死、殺人などである。権利を侵害された人や遺族は賠償を求めて訴訟をおこす。もし議会が妥当だと思えば賠償を命じる判決を出す。罪人は賠償を支払うか(ことによると労働や奉仕の形で)さもなければ共同体を追放されることになる。
 そのうちこの地域の議会は年に何度か開かれるより大きな地方的議会になった。自分では行くのが困難なため代理人を送る少数の人をのぞけば、その地方の全ての大人がそれに参加することができた。地方議会は問題に判決をくだし、一つの村では取り扱えないたぐいの問題を扱った。
 議会の決定には従うのが一般的だった。地球であったように反抗的な者が武装したならず者を雇い判決を拒むということはできなかった。アネカワンは誰か一人に服従するのが嫌いだからだ。また防火などの任にあたるクラブと同様に、武器の使い方を訓練した法執行団体もある。このようなボランティア組織は色々な共済組合や葬儀費保険組合に似ており、昔や今も地球においてそうであるように互いに助け合ったり、行事や祭や他の社会活動を会員やその家族に提供したりしている。そのような団体は難なく無法者や賊の集団に対処できる。
 ここで強調しておきたいのは、法律は重要だと考えられている公的な事がらや、もし解決がつかなければ共同体に対しダメージをあたえるだろう論争のみを扱うということである。個人的な行為や商売については社会的な圧力(ナユリンのそれは地球のものほど強くなることはほとんどないのだが)にまかせておき、個人的な行為や商売について審理し指図するということはない。アネカワンは個人の大いなる自由を当然のものだと思っている。
 だが一方で広範囲にわたる潅漑水路システムや道路網の建設など、有益なものとなったであろう多くの公的計画は技術や材料的に可能なときでさえ考慮にあがることもなかった。(資産のある法人企業はこのような大規模事業を行うことができる。それが利益になるからだ)また、恵まれない人々に対する公的援助というものもなく、家族や慈善事業がかわりにそれらの人々を支えてきた。もし一つの共同体全体が火事や洪水でダメージをうけたならば、その地方の援助があるだけか、それとも援助自体がまったくないかのどちらかだ。公共図書館、博物館といったようなものはウフェワリンによって建立および維持されてきたが最近になって企業も参入してきている。
 しかし、もう一度繰り返すが、非営利団体というものも沢山ある。金銭的支援が必要な団体は個人または企業からの寄付金でまかなっている。地球人と同じく、物質的な富以外のことに興味をもつ、金持ちで影響力のある人々というものは常にいる。また、援助活動をしたい株主が団結し企業にそれを要求することもできる。さらには非営利組織も利益をあげる企業の株を保有することが可能なのである。
 高度な技術、世界経済、増加する人口、そして増大する不正が問題をひきおこしている。例えば、議会が扱えないような環境問題などがある。管理レベルでの政策協議が必要であり、株主たちは同意するように説得され、共同体はそれを立法とすることが自分達の利益となることを理解する。簡単で明白な例として公害規制があげられる。地球人でもそうであるように先見の明のなさや無知が問題解決の障害となる。しかし、長い目で見ればその結果はこの地球上に起こったものより悪くはない。それは多分、変化がおこる速度や、新しいものごとを受け入れたりする速度が我々よりも遅いため、広い視野で物事を見るチャンスが彼らに与えられたためではないだろうか。高度技術もいろいろな問題を解決した。例えば、公害を除去する方法を発見したり荒廃した地域を健全な状態にもどしたりなどである。
結婚と親族関係
 国家状態や、強い同族意識すらもったことがないため、ナユリン上のどんな社会においても常に家族が中心となってきた。近頃ではこの傾向はいくぶん弱まっている。ハイテクビジネスが生産の場としての家族の役割に取って代わり、助けが必要なときには、医療施設やプロフェッショナルな救援団体から助けの手が差し伸べられる。便利になった旅行やコミュニケーションが人々の世界をひろげ、大規模な共同事業が先祖伝来の共同体とそこでのお互いに緊密に結び合った生活に対するきずなを断ち切った。また新しいきずなも生まれつつある。同僚や支部、組合などに対するきずなである。つまり全住民が共有する相互作用というものはまだ生きているのである。
 以前は別々の家に住む血族同士がきわめて重大な事態には協力しあっていた。今日ではそのようなことは求められず、親族とは仲良くしてもしなくてもいい。親族であるなしにかかわらず、親しい仲間とのあいだの感情的なきずなはきわめて強いものになりうる。伝統的な儀式もつ親族会は、同じように重要であり独自の儀式をもつ組合や職場の親睦会にとってかわられた。人々が第一に忠誠を尽くすのはいまだに配偶者や未成年の子供(核家族においては)であるが、そのほかには社交グループや仕事組織、文化組織などほとんどすべてのものが忠誠の対象となりうる。全体としての共同体が忠誠の対象となるわけではない。ほとんどの人々が市民としてのあるいは社会的な責任をある程度は甘受し、自分の住む地域を愛しているだろうが、人類が自分の民族や街、国に対してよく感じるような賛美や献身などといった感情はアネカワンにはない。
 結婚は人類でもそうであったように、以前は互いの経済的・社会的地位などを考慮して親によってとりきめられるものであった。現在は個々人の選択によるものになっているが、その選択はいまだに実用的な観点にもとづくことが多い。たとえば互いに補うような才能の持ち主二人が結婚するのがベストであるとみなされている。嫌いな人や尊敬できない人と結婚するのは確かに実際的ではないが、アネカワンはロマンチックで心をふるわせるような愛をもとめてさまようようなことはない。アネカワンはそのような恋愛をしないのだ(あきらかにこれは彼らの文学や音楽、その他の芸術に影響をおよぼしている。彼らの偉大な芸術作品群は英雄的行為や知性、賢明さ、自然の絶大な力や神秘をほめたたえたものばかりだ)。
 若い人々のあいだには興味のあることや、スポーツやゲーム、文化的なイベントなどの楽しい経験を共有することによって愛情のきずながめばえる。今日、もっとも優勢な文化ではそのつきあいはセックスも含んだものであり、結婚してない者はウナドワ(子供草)の咲く季節をのぞいては自由に、非難されることなく思いのままに要求をみたすことができる。結婚しているアネカワンはもちろん、いつでもセックスすることができ、ウナドワの咲く季節には子供をつくるつもりがあろうとなかろうと、それがよりいっそう意味を深めた行為になるだけだ(以前は共同体同士の同盟や協力関係はしばしば、それぞれの共同体を代表するメンバーが一時的に性交渉をもつことによって正式に承認された。その結果として生まれた子供や子供達は同盟関係の象徴や具現化とみなされ、それぞれの家で交互に暮らしながら成長する。この風習はもはや孤立しているか伝統中心主義のごくわずかな地域でしか行われていない)。
 結婚式はいまだに習慣としてウナドワの咲くシーズンに、ウナドワの花輪や花冠または花束を結婚の証として身につけ、神の意志のもとにふさわしい地方の神への祈ることによりとりおこなわれる。両性具有であるためアネカワンには「夫の役割」や「妻の役割」といった観念がない。そのカップルにとってベストな役割分担をする。不倫は軽蔑すべきことであり、めったにおこらない。なぜならセックスの衝動はおぼれるようなものではなく、むしろ親としての本能を刺激するようなものであるからだ。どの家庭でも子供達の世話や教育が再優先事項である。
 結婚は二人のパートナーにで行われるとは必ずしも限らない。三人や四人で結婚することもあるし、最初は二人ではじめたペアがあとから他のメンバーを加えることもある。この習慣は、一定水準の生活をすることが今よりももっと大変だった時代に始まった。三人か四人いる親のうち少なくとも一人はどんなときでも子供の面倒を見るために家にいることができるという利点があったからである。現在ではアネカワンは畑で働くより商店や事務所や工場などで働くことが多くなったが、このシステムは実際的なため今だに続いている。近代経済の発達により、かなりの長期にわたり家庭から離れて働かなければならないことがあるし、常習的に夜遅くまで働く人や、社会活動やほかのことに従事する人もいるからだ。アネカワンは本能的に子供達を肉親以外に世話させるのを嫌うし、今日では兄弟やいとこが必ずしも近くに済んでいるとは限らないからだ。
 七人か八人でおこなっている結婚というのは例がない。いくつかの「家系」結婚(line marriage)は古いメンバーが死んだときに新しいメンバーを加えることによって百年かそれ以上ものあいだ続いている。新しいメンバーを加えるときにはメンバー全員の同意がいる。
 子供は成長するにつれ、良いふるまいの基準を教えられる。いたずらはしてもいいが、大目にみられることはない。どんなことでも質問すること、そして自分自身について考えることはおおいに奨励される。なんであれ子供が口にすることには礼儀正しく耳を傾け、答えられる。これがアネカワンの青少年が地球の青少年よりも反抗的でない理由の一つであると思われる。他の理由としては、全世界と交流できるとはいえ、大きめの村でさえも地勢的には小さいことがあげられる。ストリートギャングがうまれる場所がないし、アネカワンは同等の立場で仲間関係をむすぶのが好きなので、リーダーには従わない。若者は大人達が全面的には賛成しかねる独自のファッション、仲間言葉、趣味などを共有する。彼らは仲間うちだけでなく当然のごとく大人にもいたずらをしかけたり、悪ふざけをしたりする。暴力は賢明な行為ではないとみなされる。うそをついたり、誰かのうそを見破ったりすることが賢さの証明となる。
 家族以外の者とのきずなが重んじられていく傾向を社会的腐敗とみなす人もおり、そういった人々は地軸の傾きが増し気候が悪くなるにつれ、社会基盤を強化するために伝統的な価値観にたちかえるべきだと主張している。他の者は沢山の子孫が居ることが単純によろこばしいものと受けとることが出来ない状況では、家族以外の者とのきずなは社会を強化するものだとみなしている。一般に複合家族(核家族の他に近親をふくむもの)が消え去ったにしろ、核家族はいまだによい状態にあるし、社会の基礎となっている。そのような家族では親の一人が個人的または公の宗教活動を指揮するように選ばれる。
宗教
 地球と同じく宗教的信仰と礼拝はナユリンにおける地域や時代によって実にさまざまである。ここでは現在、この星全体に普及している科学技術体系をつくりあげた文明の宗教についてのみ記述する。その起源は有史以前までさかのぼる。その伝統は原始的な神話や儀式から始まり、何世紀にもわたって多くの古典学者や哲学者に影響を与えてきた複雑で難解な体系へと発展していった。
 自然の摂理は1年の季節のうつりかわりや、星が空を移動すること、植物や動物の生命サイクル、水や木、石といった材料の特有の性質などで感じることができる。イカロガ(ニアサイド)ではイカロミの非常に巨大な姿がいつも空に現われていることや、大きな月が自分の軌道を保っていることといった摂理も見られる。
 ナユリンにおいて物事を説明するための最初の試みは、空中で自転し、ナユリンに光を与えているが、ゆっくりと秤動するだけで太陽のように沈むことのないイカロミの巨大な姿に見られる特徴(これは木星における縞模様や大赤班のようなものである)の変化や、近づいては遠ざかり、イカロミの陰に隠れる三つの大きな月に注目することであった。アシギャワとオラカワの二つの月はイカロミにぴったりと寄り添ってみられるが、三つめの月(イジクワ)は太陽とは別の法則に従って沈む。それらはナユリン上で起こっている出来事の原因となっているか、あるいは少なくとも出来事を反映していると思われていた。これらの信仰はそれぞれの月の名前(火星、剣星、氷星)として残っている。
 技術者は物質の扱いにくさについてよく知っている。それは物質の能動的な意思「生命のないものが本質的に持つあまのじゃくな性格」のせいだと考えるものもいる。一方でそれは意思の欠如や不活発さによるものと考えるものもいる。「君がそいつをどのようにしたいかをそいつ自身は分かっていないんだ。」「そいつは何もしたがらない。そいつをまず欺いて、君のしたいようにさせるのが一番簡単な方法だ。」これがウフェワカ教が生まれた文化における一般的な物の考え方であった。その教義が発展するにつれ、ものを作ることに対する「神の意志」が唱えられるようになった。意思のないものを作ることは神の目的の裏をかいている。神の意志は全能ではない。それは非物質のものであるので、意思のない物質が神の意志の働きかけに対し、どのように反映するかを前もって知ることはできない。「意思は提案し、物質は処理する。」
 地球上の多くの古代社会と同じように、季節を祝う儀式という考え、すなわち世界のバランスを保つのに貢献するためには儀式が必要であるという考えはナユリンでも多くの地域で見られた。農作物の発芽や成長がうまくいくように儀式を行い、果物が熟したことや子供草が花咲いたことに祝祭や感謝祭を催す。ロヨゲヤリンではこの行事はだんだんと抽象的でその意味を深く解釈したものとなった。特にロミリンの天文学がロヨゲヤリンに伝わってからはその傾向が顕著となった。種蒔きの儀式は作業場を建てるときや商売をはじめるときの儀式に発展した。季節の移り変わりを基本とした農業年は天文年におきかわり、天文年は商業年のもととなった。祝祭や感謝祭は商業年の終りと、次の年の始まりを祝うものとなった。
 予知することができず、破滅的な事態を引き起こすこともある自然現象が特に「どん底」の時代に起こり、人々はそれから身をまもり、うまく復興する方法を探した。それまでの習慣だけではもちろん不十分であった。改革が必要だと考えられ、発明や発見は神の意思が物事の性質を発見する方法であると見なされるようになった。アネカワンは神の意志が智恵を得るための道具であると考えられたのである。
 多くの伝統的な宗教は自分達の信仰や礼拝の一部または全てを秘密にしたままであった。ウフェワカ教はこれを秘密にせず、参加したいものは誰でも、どの式典にでも参加することができた。物事がどのように振る舞うか、すなわち物質を神の意志から遠ざけている「秘密」についてのあらゆる種類の発見をウフェワカ教は擁護した。そしてこのような発見が、それを知りたがっている人すべてに知らされることを求めた。このような考え方はアネロロワ(全てを告げるもの)の名で知られている帰依者によって非常に説得力豊かに語られていった。教え学ぶことは宗教的な熱意をもって行われていった。
 ウフェワカ教の組織は集団婚で発展していった。これは集団婚の一人か二人のメンバーが教義をいじくりまわしたり、論理化することに専念し、他のメンバーが生活の面倒を見るという形態を取るものであった。彼らは自分の学んだすべての物事を自分の子供たちだけでなく、近所の両親がよこした子供たちにも教える。かれらは当然のごとく本を著すが、可能な限り他の人の本のコピーも手に入れようとする。彼らは改革者としての役割と同時に教育者としての社会的な役割を快く引き受けている。かれらはまた、物理学者としての役割を受け持つこともある。
 これらのグループは修繕をしたり学んだり教えたりはしたいが、家族生活やあらゆる種類の緊密な個人同士のつながりには魅力を感じない人たちを惹きつけた。かれらはここで生活と仕事の場を与えられた。もし利益をあげることのできる道具や技術を考案できれば非常に良いが、できないときは内部の奉仕に従事することになるだろう。このようにして数学、物理、天文学その他の学問分野が維持されている。機械工学、薬学、冶金学その他の実用的な分野も同様に維持されている。
(他の分野としてウフェワリンは文法の研究をはじめた。彼らはキゾアネワ(正統言語)を論理的な表現方法として発明した。これははじめ彼らの哲学を議論するのに用いられたが、のちに科学技術者に用いられるようになった。キゾアネワはのちにウタアネワ(交易言語)に発展した)
 いくつかの組織は非常に大きく発展し、なかには金融や遠距離貿易を行うものもあった。一つの村に少なくとも一つの教会堂が必ずあり、教育を行ったり、医療やそれ以外の援助を行った。また、教会は若者に伝統的な飛脚の役割を教えるところでもあった。
 金融や遠距離貿易の機能を持つことで、ウフェワカ教は組織化と通信の技術を発達させた。その高収益性により、学問の理想や革新、知識を制限なしで普及すること、独自の考えなどを尊重する風潮が生まれた。これにより技術文明が発展するだけでなく、科学的な方法や科学そのものを事業とする純粋科学も発展した。
 その実利主義的な面を横におくと、ウフェワカはそれでも宗教なのである。ウフェワカ教は混合主義であり、接触した他の宗教の考えを進んで吸収しようとした。ウフェワカ教団の支部は季節の祭儀の中心であった。その儀式のために歌や音楽が作られた。裕福な支部ではこのために作曲家や音楽家、歌手を養成したり雇い入れたりした。水力や蒸気、ゼンマイで動く装置(現在では精巧に作られた電子式のものもあるが)は休日式典の一部であった。夕暮れ時になり式典が終ると、彼らは花火の打ち上げで一日を締める。ウナドワ(子供草)が生える短い季節には、あちこちの村の礼拝堂から空に向かって結婚を祝うロケットが打ち上げられる。
 多くの組織と同じく、ウフェワカ教団も新しい方法や考えを生み出さず、古いものをくり返す硬直化の傾向が見られてきた。しかしそれは宗教や経営の面だけであり、科学研究への支援を継続することで、ウフェワカ教は新しい考えを受容せずにはいられないのである。どのような場合にもナユリンでは宗教的な階級といった考えは一切ない。ウフェワカ教は宗教的階層構造を持っていないし、全体が統一されてもいない。小さい村の教会から最大の大学まで、個々の組織が協力しあっているが、それぞれはお互いに独立しあっているのである。
 しかし科学や技術を支援するのはもはやウフェワカ教だけではない。営利団体が金融、商業、工業、その他教育をも含んださまざまな分野でウフェワカ教よりもずっと重要になっているのである。これらの団体は自前の研究所を持ち、宗教団体がいままでに得たものよりもはるかに多い利益と権限を得ているのである。
 第三者の目から見るとナユリンの技術文明は加速化し、より先の段階へ行く変化の時期に来ている。この変化が、衛星の歳差運動による災難をさらに悪化させている。しかしながらこの技術文明が過去のいくつかの文明と同じように滅びんでしまうと考える理由は全くない。神の意志が働いて得た知識で、彼らは十分に困難な問題を乗り越え、文明を維持し、さらに繁栄させていくことができるであろう。

コンタクト

 宇宙飛行は、一部は名声を求め、得られる利益を見込んだ営利団体同士の競争の結果達成された。また一部は非営利の機関や自分達の出資で組合活動をする資金力のあるウフェワカ教団支部の科学者の努力によって達成された。これらの背景には、非常に現実的で差し迫った動機がある。地軸の傾きが増し、悪い時期がすでに始まっており、救いは宇宙からの資源や発見から得られるであろうと期待されているからである。
 すでに彼らは通信衛星や他の衛星、軌道上にある太陽集光装置などからの恩恵を得ている。そこで開発された技術は地上でのさまざまな応用方法が開発されている。ナユリン上では実行が不可能か非常に困難であった新しい工業が他の月や惑星で興されている。遠方にあるコロニーは小さいが、必要とするものはすべて自力でまかなっている。例えば水や有機原料物質などを彗星から採取しているのである。このことがさらなる技術的な発展を導くであろう。これらのことがらにより巨大な軌道望遠鏡ですべての電磁スペクトルを検査するような比較的高価なものをも含む純粋科学が支援されることになるであろう。
 そしていまや地球とのコンタクトが結ばれようとしている。ナユリンでは組織も個人も有用な新しい技術を得ることを望んでいる。おそらく新しい智恵により彼らは変化しつつある社会や気候の状況を乗り越えられるであろうと期待している。かれらはまた、どの程度地球の人々のいうことを信じてよいかを懸念している。ナユリンの文化の多くでは次のように考えられているのである。「真実は貴重なものだから、偶然に出会っただけの他人に分け与えるのはもったいない。」(キプリングの小説「キム」の登場人物の科白から引用)
 ウフェワリンでさえも上手い嘘をつくことに喜びを感じているのである。地球の人々はどうなのであろうか?


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