ポール・アンダースン氏略歴
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ポール・ウィリアム・アンダースンは1926年アメリカ合衆国はペンシルヴァニアに生まれる。1926年とは日本では昭和元年、ドイツが国際連盟への加入を認められるなど、第一次世界大戦後まだ人々に世界平和が信用されていた時である。またゴダード博士がマサチューセッツ州オーバンの農場で液体燃料ロケット打ち上げに初めて成功した年であった。
後に世界的なSF作家になるポール・アンダースンも少年時代にはSFをまったく読まなかったと言う。たまたま手にしたSFがあまりにもひどいできで、それ以来読む気が失せたのだと言う。当時はアメリカでもパルプ雑誌の氾濫で、SF作品も玉石混淆、それらがようやく陶汰されはじめようかと言う時期に相当する。不幸にもポール少年は石の方を手にとってしまったわけである。
当時の彼の興味は北欧やケルト文化であったらしい。じじつ1954年に書かれた「折れた魔剣」はファンタジーであり、歴史の歯車が少し違っていれば世界はSF作家ポール・ア
ンダースンを失う代わりに、ファンタジー作家ポール・アンダースンを得ていたかもしれ無い。
彼がSFに魅せられるようになったのは偶然からであった。高校時代に健康を損ない療養生活を続けている時、またも偶
然SFを手にしたのである。そして今度はそれは玉であったようだ。ポール・アンダースンはそのSFを手始めに、SFという存在にすっかり魅せられていったのである。
ミネソタ大学で物理学を専攻する。こうした正規の科学教育が「アンダースンこそSFの基本型を為す作家」と呼ばれる氏の作風に大きな影響を及ぼしたことは想像に難く無い。早くも大学在学中の1947年にアスタウンディング誌でデヴューする。以後、一般小説や歴史小説も発表するようになる。処女長編は1954年に発表された「脳波(Brain
wave)」である。科学者志望であったが、作家の道を選び半世紀近いキャリアの中で60編以上の長編、200を超える短編を発表し、ヒユーゴー賞七回、ネヴュラ賞三回を受賞している。候補へのノミネートも含めれば常連と言っても過言では無い。
邦訳も多く「脳波」「処女惑星」「地球人よ、警戒せよ」アーヴァタール」「大魔王作戦」などがある。また1955年に「F&SF」誌に発表され氏の代表作の一つである「タイム・パ
トロール(Guardians of Time)」の概念は世界中のSF作家にいまだに大きな影響を与えている。H・G・ウエルズの「タイムマシン」と共に、この「タイムパトロール」の発表により、時間SFという分野の大きな流れは規定されてしまったと言っても過言では無かろう。
1956年にはディクスンとの共著で「ホーカーシリーズ」を発表する。
1959年に発表された「シスター・プラネット」では金星のテラフォーミングが語られている。今日でこそ広く普及しつつあるテラフォーミングの概念を、彼は40年前にすでに作品にまとめているのである。
さらに1967年に発表された「タウ・ゼロ(TAUZERO)」は発表当時から今日までハードSFの最高傑作の一つとして名前があげられることが多い。これ以外にもポール・アンダースン氏の作品・著作は数多い。
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カレン・アンダースン氏略歴
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カレン・アンダースンは1932年ケンタッキー州に生まれる。ポール・アンダースンより6歳年下と言うことになる。この1932年と言う年は、ロスアンゼルス・オリンピックやベネチア映画祭が開催される一方、上海事変や満州国の建国が宣言されるなど世界的動乱を予想させる事件も起きた年でもあった。
15歳のときにワシントン郊外に移り住む。第二次世界大戦は終わったばかりであり、同時にいわゆるアメリカSFの黄金期を迎えようと言う時期でも合った。
政府機関----government mapping serviceなのですが、当時写真解析士官として鳴らしていたティプトリー・ジュニアとひょっとしたら面識くらいあったんじやなかろうか? あくまでも憶測ですが----で勤務したのち、大学で言語学と演劇を学ぶ。ちなみに彼女の学生時代の友人には、科学者でSF作家として有名なロバート・L・フォワードなどがおります。
今回ゲストとしてポール&カレン・アンダースン夫妻をCONTACT
Japan 3
でお迎えするわけですが、カレン・アンダースン氏の参加は単に夫が参加するからではなく、カレン・アンダースン氏自身の意志によるものです。なぜならば彼女は子供の頃から異文化と言う物に非常な関心を抱いていたためで、異星人の文化を合理的に考えて行くと言うCONTACTの趣旨に共鳴したのは、いわば必然と言えましょう。大学時代の言語学の専攻もこうした興味が背景にあったそうです。
文化に対するカレン・アンダースン氏の興味対象は広く、都市伝説などにも関心を持っているだけでなく、日本語や日本文化もその研究対象であると言います。古事記や日本書紀なども読まれたそうで、恥ずかしい話ですが古典文学については日本人の私より造詣が深い。
なお1998年のご夫妻の計画は、
5月 cludes Baycon in San Jose
6月 the Asimov Seminar
10月 World Fantasy in Monterey
11月 Contact Japan 3
ご夫妻は今回のCONTACT Japan 3
の参加が日本への初来日となるそうです。
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寿岳潤(じゅがくじゅん)氏
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京都大学理学部宇宙物理学教室卒。元国立天文台勤務。元東海大学文明研究所教授。光学観測による天文学者として有名です。SETIに興味を持たれ、国際天文連合では宇宙生
物学分科会で指導的役割を果たしてこられました。疑似科学批判にも業績があり、Sceptics
Japan の代表を務められました。
ファーストコンタクトシミュレーション(FCS)へは神戸のCJ2にご参加いただき先生のご講演「SETIからコンタクトへ」は、SETIの歴史から説きおこされたもので情報の伝達方法に関する部分も大変興味深いものでした。
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柴野拓美(しばのたくみ)氏
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東京工業大学機械科卒。SF研究家、作家、翻訳家として有名。それにもましてSFを愛するSFファンとしての姿勢は敬愛に値するものです。翻訳された有名なSF小説は多数で日本のSFファンダム(ファンの世界)を大きく牽引してこられました。世界SF大会への参加と日本への紹介もSF同人誌「宇宙塵」の歴史と共に大きな業績といえましょう。ファーストコンタクトシミュレーション(FCS)へは名古屋でのCJ1にご参加いただき宇宙人側グループのメンバーとしてハードな三日間を楽しんでいただきました。今回は同い年のアンダースン氏とSFよもやま話がはずむことでしょう。またバルチモアで開催されるワールドコンへ出発される前にお願いしてご近況のお手紙をいただいたのでご紹介します。
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柴野氏からのお手紙 |
第3回コンタクト・ジャパン開催おめでとうございます。ご招待ありがとうございました。SFしかわからないわたしですが、久しぶりにお会いできるのを楽しみに出席させていただく予定です。
今回はボール・アンダースン夫妻がゲストだそうで、楽しみも倍増です。ご夫妻はこのところワールドコンでもあまり姿を見かけません(それでも5年前のコンフランシスコでは、日米合同のコンタクトで大迫さんたちといっしょに楽しんでおられましたね)。
そういえば今年の2月には、グレッグ・ベア夫妻が日立市主催のシンポジウムへの招待で来日されました。ペア夫人のアストリッドさんがアンダースン夫妻の娘さんということはどなたもご存じのことと思います。わたしたちは滞在の最終日に小川降さんともどもおつき合いしました。子供のころ横浜にお住まいだったというベア氏は、当時と少しも変らぬ大仏の姿や周囲の丘の眺めに感激ひとしおの様子でした。
昨年は、まず5月にスティーヴン・バクスター夫妻が来日され、偶然のなりゆきで拙宅にも立ち寄られました。7月末には、このところ思索的な作風で評価を得ているエスター・フリーズナーさんが夫君とともに来日。その1週間後に中国の国際SF大会からの帰りに立ち寄ったニュース誌「ローカス」主幹のチャーリィ・ブラウン氏と合わせて歓迎パーティが、やはり小川降さんの呼びかけで催されました。
本職の翻訳は、今年中に出版される予定のJ・P
・ホーガン作品(『造物主の掟』の続編です)を最後に、そろそろ打ち止めにしょうと思っているのですが、そんなわけで、海外のSF仲間との個人的コンタクトのほうは、まだしばらくあれこれつづきそうです。
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(註)
グレッグ・ペア、スティーヴン・バクスター、
エスター・フリーズナー、J・P・ホーガンはSF作家
小川隆氏:翻訳家
ローカス:SF情報誌 |
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