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超人類への道〜明るい寝たきり生活の提案〜  松田卓也

 こういう提案をしたのは私が初めてではなくて、これから紹介したいんですが、きわめて著名な学者が言っております。私はこれからそれを敷延しようという立場なわけです。
 「宇宙・肉体・悪魔」という本があります。これを書かれたのはJ.D.バナール、あるいはバーナルと発音するんですかね。1901〜1971に生きていた人で、ケンブリッジ大学を卒業してロンドン大学の教授だった著名な物理学者で、主に]線解析の研究をしている。彼の弟子からノーベル賞学者もたくさん出ています。戦時中にはオペレーションズ・リサーチの研究をされて、思想的には世界平和会議の議長をやっておられたりして、まあマルクス主義者だと思うんですが。
 有名な本としては「歴史としての科学」「科学の社会的機能」などがあって、この人は科学者としても著名なんですが、科学と平和の問題についても真剣に考えられた人です。この人が1929年、27歳の時に書いた「宇宙・肉体・悪魔−−理性的精神の敵について」という本があります。これは日本語では鎮目恭夫訳でみすず書房から1972年に出ておるんですが、私はこの本をその当時買って読んで、非常に衝撃的であったんです。
 先ほどある分科会に出ておって、宇宙開発について議論しておったんですが、そういうふうなこと、あるいは更に進んだことが徹底的に、すでに1929年に議論しておるんです。その後いっぱい出ているSFとかに書かれていること-−もちろんこの本を読んで書いたのかどうかは知りません。これは小冊子だから、誰も読んでいないのかもしれませんが−−のほとんどが書かれておる。私はこれを読んで、この本の現代的敷延ということについて考えてみようと思ったわけです。
 実は今ほとんど原稿ができあがっておる本があります。岩波からそのうちに出る「21世紀問題群ブックス」ってのがあって、その中の「正負のユートピア」という本です。このタイトルは私がつけたわけじやなくて編集者が勝手に決めて持ってきて書いてくれと言う。何を書いていいかわからんじやないか、と思ったんですが、人類の未来のプラス面とマイナス面であろうということだと勝手に判断してそういう観点から書こうと思ったんです。
 人類の未来にはいろんな考え方があるでしょうが、私は「アルカディア・ユートピア・ディストピア」という概念を提唱したい。これも私が言ったわけじやなくて例えばユートピアはトマス・モアが言っておるわけですが。
 「アルカディア」というのはギリシャ時代の理想郷という意味で、牧神パンが住んでおったところ。要するに「昔はよかった」という考え方ですね。理想郷は昔にある。しかしながら私はこの考え方には必ずしも賛成できない。「昔はよかった」という考え方の典型的な言い方は「今頃の若いものは」ということなんですね。例えば「ら抜き言葉」なんてものがある(外国人の方にはわからないでしょうが)。それはよくないことだ、といわゆる良識的な知識人が述べておる。しかしながら、じゃあ、ら抜き言葉がよくないとしたら、どんな言葉が良いのか。今の言葉よりはちょっと前の言葉の方がよかった−−という論理をつきつめていけば、今の言葉よりは江戸時代の言葉、江戸時代よりは戦国時代の言葉、あるいは鎌倉、弥生、縄文の方がいいという理屈になる。昔はよかった、という人の言う「昔」は「ひと昔」であって「ふた昔」ではないんです。
 ということは、実はバナールも言っている。
 ですから、過去を溯ってよしとしてもしょうがない。
 じゃあ、未来がよし、とする−−未来に理想社会があると考えるのがトマス・モアのユートピアですね。でも、未来が良い方向に行くとは限らないのであって、未来に暗いイメージを抱くことも可能です。これをディストピアと呼ぶことにしましょう。
 映画でも、「2001年宇宙の旅」なんかは未来にユートピア的なものを求めておるんですが、「ブレードランナー」はディストピア的な未来ですね。あるいは「ターミネーター」では21世紀は機械の支配する世界であって人間と戦う。SF映画ではたいていディストピアなんです。あまり明るくない。
 しかし、バナールは理性というものを徹底的に信じて−−科学技術の亡者みたいな人なんですが−−どのような明るい未来がありうるかを考えた。
 「宇宙・肉体・悪魔」というからにはまず「宇宙」がある。
 常識的なことではあるだろうけど、人類は宇宙進出するだろうとバナールは言います。今では常識的ですが、1929年に書かれたということを考えてください。
 ロケットによる宇宙進出であるとバナールは言っています。ロケットという概念自体はバナールが初めてというわけじやない。その前にツィオルコフスキーとかゴダードとかいう人が20世紀の始めに言っているんだから、当時としても珍しくはなかったかもしれない。
 しかし面白いことにはバナールは例えばイオンロケットを提案したりしているんですね。さすがに物理学者だと思います。他にも太陽光圧による宇宙帆船も提案している。これもSFでは有名で、フォワードも「ロシュワールド」で使ったりしていますが、別に新しいもんじゃない。70年前のアイデアなんです。
 他にも宇宙植民島−−これはツィオルコフスキーも言っているんですが−−も提案している。彼の言う具体的な宇宙植民島は直径16キロメートルぐらいで球殻の厚みが400メートルとしているんです。それ以後のオニールとかとの違いは、こいつは回転してないんですね。だから重力はないんです。
 球殻の表面は透明になっていて、太陽光を受けて、中に葉緑素みたいなものを含んだ液体を循環させて光合成して炭化水素を合成する、なんてことを言っているし、あるいはその下には太陽電池で太陽光発電をする。当時は太陽電池はなかったと思うんだけど、そういう想像をしている。
 小惑星や月を材料にして作ると言ってます。これは筆が滑ったんでしょうが、土星の輪を使うなんて言うんだけど、これは不可能ですね。土星の輪を取りにいったら二度ともどってこれません。ポテンシャルの底ですから。
 心配なのは隕石がぶつかってくることですが、その時は弾丸を打ち出して壊してしまえとか植民島自体にロケットをつけて動かしてもいいとか言っている。地球の場合は引力があるからいん石を引き付けるけど植民島は引き付けないからあまり問題にはならないだろうと。
 回転していないというのは一つの特徴なんですが、これは大問題だと思います。回転していない植民島の中に人間が住むと重力がないから骨からカルシウムが流れだしてしまって、ここに住んでいる人は地球にもどってこれません。彼は行き来できると書いているけど、さすがにミールの実験結果までは予測できなかった。
 感覚器官(当時は光学望遠鏡しかないけど、]線望遠鏡や電波望遠鏡もつけるだろう)と運動器官(ロケット)を持ち、人口は2,3万人くらいで、政府はない。
 こういうものがだんだん数が増えてくると、太陽系を脱出するようなものも出てくるかもしれない。こういうことをバナールは言っています。
 そこで宇宙に進出することの必然性ということに対する私の意見を述べさせてもらえば、「宇宙は最後のフロンティアである」という−−これは映画のセリフだけど、まさにそうなんですね。
 全て成功したものは、フロンティア−−“外”に出て行ったものなんです。たとえば陸上生物というのは海の中にいた魚みたいなものが陸へあがってきた。彼らにしてみれば海の中が安住の楽園だったはずなのに、あえて陸へ出ていくという危険、愚を冒した。その者の中から現在の陸上生物がある。フロンティアに行った動物が世界を制覇しているわけです。
 動物の中でも人間の祖先は猿みたいなもので、たとえばジャングルにいたんでしょう。ジャングルは危険なように見えますが、実はそうではなくてむしろ安全なところです。むしろサバンナや草原にいくとライオンなんかがいて危険です。でもあえて危険なところに出ていった猿みたいなものの中から人間が進化した。食料の豊富な安全な場所から食料の少ない危険な場所に出ていったものが栄えた。これが猿のフロンティアですね。現在の人類について考えてみても、現在の社会は西欧文明が支配しておる。これの原因の一つは西欧世界というのがフロンティアに出ていった−−アメリカ・インディアンとかにとっては迷惑な話ですが−−スペイン人とかがアメリカ大陸に出ていったわけですね。
 しかバナールが考えた、これから私が主張したいことは、別のフロンティアがあるということです。それが内なるフロンティアです。バナールのいう、「肉体」です。
 バナールは理性というか合理主義の権化のような人ですが、彼が主張するのは、要するに人間にとって何が一番重要なのかというと、頭脳である。精神である。頭脳が主人であって手足とか内臓は主人を養う召し使いである。ところがこの召し使いがエネルギーを大量に消費している。しかも人間が死ぬ時は多くは内臓の疾患とかで死ぬ。心臓なんて考えてみればポンプにすぎない。ところがポンプが破裂すると死んでしまう。脳内出血で死ぬ時だって脳が死ぬんじやなくて回りの血管が破裂して死ぬ。召し使いが死ぬと主人が死ぬ。こんな不合理なことはない、とバナールは言うわけです。
 しかし、当然のことながら脳だけを取り出しておいて、仮に生かし続けることができたとしても、これはちょっと大変なんです。つまり、外界との接触(感覚器官)が必要です。もしこれがないと、脳はただただ瞑想するわけです。これに耐えられるのはバラモンの哲人ぐらいなもんであって、凡人には無理です。電気信号を脳に送り込む必要がある。
 インプットというのは五感ですから、我々には目とか耳とか触覚とか味覚とか嗅覚とかの感覚がある。五感を与えてあげないといけない。
 これのいいところは、五感以外にも赤外線・紫外線や]線を直接見ることも可能である。電波望遠鏡をつければ電波を見ることも可能になる。超音波を検知する耳もできますから、我々はコウモリにもなれる。温度、電位、電流、化学物質のセンサーもつけられる。アウトプットとしては当然ながらスピーカーをつけてやればいい。
 こうなると人間の可能性というのは非常に広がるわけです。
 具体的にはどんなものかは後で話をしますが、無限の可能性が出てくるだろうと思います。赤外線が見えるようになれば、こういう連中の芸術は我々とは違ったものになります。我々の場合、絵画というものは可視光線の範囲に限られている。音楽は可聴周波数、50から20000ヘルツぐらいにかぎられておるわけですが、この人間にとっては赤外線の芸術、超音波の芸術、電波の芸術という可能性がありますから芸術の可能性も無限になる。
 この人間が具体的にはどのように生活するのかというと、人工生殖工場で生まれて、120年、普通の人間として生活する。こういうことは同じ頃にホールデンという人も本に書いています。ちなみにこのバナールの本というのは、1920年頃にイギリスのケガン・ポール社とかいう会社から出た「今日と明日」シリーズの一冊なんです。今20世紀の終わりに「21世紀問題群ブックス」が出ていることに対応するシリーズなんじやないかと思います。
 生殖工場でできた人間は、60年から120年を生きて、その間に踊り、詩を作り恋愛をし生殖をし…と普通の生活をする。これが幼虫時代に相当します。なぜバナールがこういうことを言っているのかというと、だいたい、こういう話−−つまり私が今言っているような、人間の脳を取り出して円筒にいれるというような話−−をすると嫌悪感を覚える人間が当然いるんです。バナールはこれを「人間主義者(ヒューマニスト)」と呼んでいます。
 私はバナールの本を読む前からこういう話は考えていたので、20年か30年か前に秘書にそういうことを言ったことがあります。そしたら秘書は「そんなんいやです」と言う。「なんで?」と聞いたら「恋愛できないから」。まあ彼女にとっては恋愛が人生の全てのようなんですがね。しかし、確かにこの女性に限った詣ではなくて、「人間にとって重要なものはなんなのか」と問われた時、私やバナールは精神であり理性であり科学であり芸術であると言うんだけど、一方では人間主義者がいて、食べて踊って恋愛して生殖するのが人間だと強く主張する。そんなものは動物だってします。
 まあみなさん方は私たちの側、こっち側に賛成してくれると思うんだけど。円筒人間になりたいと思われると思うんですが、多くの人はそうじやない。だからそれに対する言い訳としてこういうことを言っているわけです。みなさん反対もありましょうが、100年間は人間として生きていただけます。人間主義者はそこで死んでもらいましょう。でももっと先に行きたい人には道がありますよ、ということです。あなた(先に行きたい人)は繭になります。
 具体的にはですね、新繊維物質−−そのころ炭素繊維はなかったと思うんだけど、バナールは想像しているんですね−−で円筒を作り、その中に脳を安置する。その周りには脳を養うべき血管とかが当然あって、ある種の液体の中に浮いているんでしょうね。当然それだけじゃ話にならんから感覚器官もつけなくてはいけない。この円筒自身は動かす必要はないんだからどっかに安置しておけばいいんだけど、キャタピラ程度のものは持っていてもいい。この円筒自体に感覚器官は当然ついているわけで、あたりは見れるわけです。この円筒をつぶしにこようとするルパン3世みたいな奴が来たら防ぐ必要があるからね。だけど本当に重要なのは移動式の感覚器官です。バナールはテレビジョンと言っています。1929年にテレビジョンがどの程度あったのかぼくは知らないけれど商用のものはなかったでしょうね。とにかくこのテレビジョンで外を見ればよい。カメラを外に派遣して、円筒は安全なところ、金庫の中に入れておけばいいんです。
 未来では、我々は円筒に入って大脳を大脳信託銀行に預けておきます。利子はつきません。金は払わないといかんです。移動式感覚器官は全員に共有されます。複数の脳円筒が有線無線で通信するわけです。
 この脳が生物的な有機的な脳であるかぎりは寿命があります。300年からよくて1000年までだろう。しかしながら、脳の共同体−−バナールは多重脳と呼ぶわけですが−−は全体としては不死である。脳が死ぬと、その記憶は共通のストックに移される。こうなると安心して死ねますよね。自分の自我なり個性なりがどこかに残されるとなれば、安心して死ねます。こうなると無我(エクスタシー)の状態になる、とバナールは主張するわけです。
 バナールは複合脳の時代と言っています。元の英語がどうなっているのかぽくはわからないんだけど、多重脳、複合脳、群体脳とか、いろんな言い方をしてますね。群体脳と言う時は、たくさんの脳を線でつないでいる状態ですが、この脳がそれぞれ全部対等の立場にいる場合です。これが脳が役割分担するようになったら複合脳と呼ぶべきであろうと。
 こういうふうになった脳の集合体を、一つの社会あるいは一つの生物と考えるならば巨人軍みたいに不滅になるんですね。
 さらにすごいことは時間感覚が変化する。地質的時間、造山運動とかも検知できるようになる。つまり寿命が長くなるということですね。我々の寿命は100年以下ですから、我々に検知できる時間は100年以下。短い方に関しても我々は1秒より短い、あるいは0.1秒より短い変化は検知できませんが、素粒子論的な時間、10のマイナス何乗秒なんて時間でも検知できるようになるでしょう。センサーを地球内部や星の内部に送りこむことで、宇宙中を見ることもできます。
 さらにバナールは進んで、こういう生物的な脳を人工のものに取り替えてもよかろう、と言っています。1929年にはコンピューターはないわけですが、これはまさにコンピューターの予感だと思います。
 さらに最終的にはどうなるかというと、「意識そのものがエーテル化して光に解消する」とか言っているんですが、これはどういうことかというと、要するにその群体脳がさらに進んで、お互いの間をエーテルで−−エーテルってのは英語でEther(イーサー)というんですが−−イーサーネットで結ぼうということなんです。
 バナールはすごい人で、イーサーネットの特許を取っておけば今頃もう−−まあもう亡くなってますけど。
 私はこういう考え方を敷衍したいというわけなんですが、まあこれ以上言うことはないんですよ。でもね、生物というものの、例えば「人類から超人類へ」という進化を見た場合にですね、人間というこういう肉体が変化するというのは時間がかかりすぎる。100万年ではちょっとむりで、1000万年ぐらいかかるんですね。小松左京さんの昔の小説で、新人類とか言って電気を検知できる電気人間とか−−そんなんぼくはナンセンスだと思うんですね。新人類という言葉もあったけど今はなくなってしまった。
 それよりはですね。人間の集まりってのは一つの生命のように見えると思いません?
 こういう考え方を社会の有機体説というんですが。例えば国家というものを考えた時、国家を構成している人間がいる。これはあたかも人間を構成している細胞である。国民一人一人が細胞であると考えます。もちろん人間を構成している細胞の方がずっと多い。これは確かなんですが。この細胞は役割分担しておるわけですね。皮膚は表面だし、血管だとか心臓とか。人間社会でいえば、政府というのは脳に対応する。郵便局とかTVとかラジオとかは神経に対応する。警察とか自衛隊とかは免疫に対応する。そういう例えというのはいくらでもできますね。しかもです、個々人の意思はあるわけですが、国家全体の意思というのも漠然とあるわけですね。独裁国家においては漠然とではなくて、ヒットラーの頭の中だとか、ファラオの頭の中とかにあるわけだけど。日本みたいな民主主義国家では、国会だとかそこらの政界にぼや〜んとただよったアイデアみたいなもんがあるんですね。それを人間の意思と思ってもいいわけです。
 たとえばこの手の細胞は意思は持っておらんかもしれないし、人間の頭の中には意思はあるけれども、これだって個々の脳細胞が意思を持っているわけじやなくて、脳細胞の集まりである脳の中にぼや〜んとただよった意思とか意識みたいなものがあるわけですね。
 そういう意味で考えるなら、国家の意思とか人類の意思とかいうものとそう変わりがないような気がするわけです。だから私が超人類とか言った時には、人間の身体が進化して電気人間になる、というようなものじやなくて、人間の集団を一つの生命と考える。さらに人間がこういう肉体を持っている必要はなくて、先程の脳を円筒に入れたものの集合でもいいし、あるいはコンピューターでもいい。ただし重要なのは要するに我々の歴史とか意識とかいうものを引き継いでくれるものであることです。我々人間を殺してとってかわるようなターミネーター的機械人間だと困るんですが、それはディストピアであって、私の言うユートピアというのは我々が意識的に機械人間とか複合脳とかを我々の後継者として作り上げていく。こうすれば人類としては不滅であろう。
 最近ティプラーという相対論学者がわけのわからんこと言っていまして。宇宙がビッグバンから始まって、最終的につぶれるとすれば−−つぶれるとは限りませんよ−−普通はそこで宇宙が終わると思うんですけど、彼に言わせるとここでスーパーコンピューターがあって、人類の意識とか全て再生して−−とわけのわからんことを言うてます。
 例えばダイソンという人は、宇宙が無限に膨張していく時でも、宇宙が膨張していけば宇宙の温度はどんどん下がっていきますから、そのエネルギー差というものがあれば熱機関が動かせる。それを利用していけば人類は永遠に生き続けることができる、とダイソンもわけのわからんことを言っています。
 こういう人類の夢−−温度が10のマイナス100乗度という宇宙が明るいのか暗いのかわかりませんが、まあ人類は巨人軍同様不滅だということです。
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