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CONTACT Japan 2 分科会1

「現用技術で無人恒星探査船を」分科会

(分科会レポートは各分科会のリーダーおよび書記によって書かれています。)
 『1996年現在の技術で太陽系から4.3光年離れたαケンタウリに無人恒星探査機を送るというにはどうすれば良いか?』この企画の趣旨はこれだけです。しかし、これだけでは余りにも漠然としているため、幾つかの前提条件を加味しました。それらは、
1.資金面での制約は考えない
2.地上からの打ち上げ施設・手段は現存するものを使う
3.人的資源の制約は無いものとする
4.国際宇宙ステーションは使用可能

 あと企画の進行に従い、
5.宇宙法などの制約も考えない
と言う項目が追加されました。
 これらの条件に補足説明を加えますとこうなります。
 まず1については無限の資金が使えると言う訳ではなく、プロジェクトを実現するに当たって、経済的な要素は制限要因にならないと言う事です。
 条件の2と3は、相互に関係するものです。現存する打ち上げ施設と手段については、企画趣旨の現存技術に関わるものです。人的資瀕はそれらの施設の運用に当たって、人的資源もまた稼働率の制限要因にならないと言う事を意味します。
 条件の4は、現用技術の幅を広げる要素です。目的は打ち上げられたモジュールを組立てて、一つの大きな探査機を建造する事が出来ることを意味します。単純に地上からロケットから打ち上げられる探査機だけでは、ペイロード重量に制限があり、可能な選択肢の幅は著しく狭められるでしょう。
 企画を進めるにあたり、『現用技術』については我々スタッフ側で想定させていただきました。これは色々な意見も有り得る−エネルギーはどうする? 中国の宇宙基地は? など−と思いますが、次のように想定しています。『使用するロケットブースターは、国際宇宙ステーションの軌道に、スペースシャトルのカーゴペイに搭載可能な大きさでかつ25トン以内の物体を打ち上げることが出来る。そして世界にこれらを打ち上げる施設は5ヶ所で、各施設年6回の打ち上げが可能』
 これで何を言いたいかといいますと、まず無人探査機の部品の最大限の大きさは質量25トン以下で、シャトルのカーゴベイに収まる形態であることが要求されます。次にこれが年間30基ですから、1年間に低軌道に打ち上げられる最大質量は25トン×30=750トンとなります。
 ここで問題となったのは、プロジェクトのタイムスパンです。1年間に750トンの機材を打ち上げられます。2年で1,500トン、10年で7,500トン、50年で37,500トンと、時間を掛ければかけるほど探査機の設計条件は楽になります。
 しかし、技術は進歩しますから、これでは『現用技術』と言う条件が満たせません。10年前のパソコンの記憶容量を考えただけでも、時間的スケールの重要さがおわかりいただけるでしょう。こうした事から、現状技術で開発を始め、打ち上げは1年間と言う条件が話し合いの中で決まりました。泣いても笑っても、この750トンで恒星間無人探査機を建造する事になるわけです。
 企画全体の進行は、まず最初に恒星間に送られる探査機本体の能力の仕様を特定し、次にそうして決まった仕様に従い推進システムを決定すると言う流れです。
 恒星間無人探査機の仕様を考える上で、全般的に問題となったのは、長期間宇宙空間の過酷な環境に曝される事による機器類の劣化でした。はっきり申しまして、宇宙空間での半導体などの材料劣化の問題がすべての義論の足枷となりました。
 これは推進システムとも関連する問題ですが、現用技術で恒星間探査機を送り出す場合とてつもない時間がかかります。現用技術で考えられる推進システムといえば、化学推進、電気推進、ソーラーセイル、核分裂反応を利用したシステムくらいしかありません。
 これも幾つかはスタッフの側で(主に物理学者の前野氏の協力により)企画を進めるためにあらかじめ試算してみました。
 ソーラーセイルは常に地球近傍並の光の圧力があり十分に軽量化できたなら、100年程度で隣の恒星まで行く事は可能です。しかし、光の圧力は距離の二乗に反比例して弱くなりますから、実際には外惑星領域より遠ければほとんど有効な加速は行われません。もしも50年後にこの企画を行っていれば、月面からのレーザー光線照射と言う選択肢も考えられたでしょうが。
 ボイジャーが行ったように、巨大惑星によるスイングバイも計算してみましたが、嘘のように条件の良い惑星配置が起きたとしても、せいぜい秒速100キロ前後に止まりそうで、これも現実的な方法ではないことがわかりました。
 要するに現用技術では、数百年は最低でも機能する無人探査機を考えねばならないわけです。
 探査機の個々のモジュールはセンサー・通信装置・制御系および推進装置となります。まずセンサーの決定から始まりました。
 ゲストの寿岳先生によれば2020年くらいには、この太陽系でも近傍恒星の惑星の存在などを特定する事は必ずしも不可能ではないというサゼッションがありました。これを下敷きに検討を加えた結果、機器の信頼性の問題などからセンサーは可視光域の光学センサーに限定し(X線などは装置が大きくなりすぎる)、これを複数装備することでシステム全体の信頼性を得る方針が決まりました。結果から言えば、この無人探査機の設計方針は、『いかに高性能にするか?』ではなく、『いかに生き延びるか?』が中心になされたことになります。
 企画参加者の皆さんの多くが現役の技術者であることもあり、信頼性向上については多くの工学的な指摘がなされたのが印象的でした。
 センサーを光学センサーに絞ることにも幾つか異論もありました。しかし、『長期間宇宙を移動する装置で信頼性が確保できるか?』と言う観点がやはり優先されました。同時に例え光学センサーのデータだけであっても、受信する地球側の処理により、多くの観測結果が解析されるであろう事とも関係しています。
 例えば機能を停止する光学センサーの頻度と部位を長期間モニターすることで、恒星間宇宙における(太陽の磁場の影響を受けない)宇宙線の性質を知る事もあながち不可能では無いでしょう。また一般相対性理論によれば電磁波のビームに重力源に対する高度差(重力ポテンシャルの差)があれば、それぞれの電舷波のビームにエネルギーの差が生じる(これは波長のずれで観測できる)と言いますから、こうした形で恒星間宇宙における重力の影響について観測することも(理屈では)不可能とも言い切れません。
 こうした義論を行いながら、総質量は制御CPU込みで2.5トンと想定。なおこのコンピュータは、地球からボイジャーのようにプログラムの更新が可能なようになっています。速度が速度ですから、かなり長期間にわたりプログラムの更新によりシステムの寿命を延ばすことができるはず。
 余談ですが若田さんが回収したSFUのICでは、MILスペックのクラスBアップグレード(クラスBの部品の中からセレクトして使う)が使用されているそうです。とはいえあれだって半年程度なんですよね。
 次に問題となったのは観測したデータを如何に地球に送信するか。これには現用技術ではアンテナの大きさを稼ぐ事で解決する手段が講じられました。これは同時に受信する地球側では、すでに宇宙に進出しているだろうから、微弱な電波を受信できるだろうと言う前提に基づいています。
 およそ直径551キロでカプトンにアルミを蒸着させた素材を使用する事で、5組のモジュールを備え14トンの重量が見積られました。しかし、これは皆さんご存知の通り、司会者の計算ミスで(ゲストの金子隆一先生ありがとうございます)、実際はこの通りに作りますと桁違いに重くなります。これに関しては全体発表の際に、金子隆一先生から超伝導物質によるメッシュ構造のアンテナが望ましいだろうと言う意見をいただきました。
 さて、アンテナの次は送信装置です。使用するマグネトロン・導波管は出力1kwで1組50kgを100個、総質量は5トン。じつは一番心配なのがこのマグネトロンでした。本当に数百年も持つのだろうかと言う疑問は払拭できません。
 ゲストの寿岳先生によれば、打ち上げた人達は隣の恒星の姿を見ることは出来ないだろうが、オールト雲やカイパーベルトなどの彗星の巣に関する豊富な情報を見ることは出来るだろうとの意見を伺うことができました。確かに現用技術の探査機を成功させる点では、これらの観測は不可避でしょう。
 さて、いままでの議論は探査機の本体に関するもの。最大の難問はやはり推進システム。幾つかの義論から動力は原子力−このため宇宙法が制約とならない−、推進システムはイオン推進となりました。
 動力としては、フォールトトレランスを考慮し、必要電力2kwを得るために、出力20wの原子力電池100個で対応する事になりました。総質量は1トン。これにイオン推進の姿勢制御込みで1.5トンを追加し、探査機本体の質量は25トンになりました。
 25トンはロケットのモジュール一つにおさまります。これに推進系のエンジンと動力を考慮する必要があります。推進機構については幾つかのシステムが考慮され、イオン推進が現状では最適と判断されました。スイングパイを併用し、原子炉2基、エンジン1基、他は推進剤として、ほぼ質量比は10。この場合の航行時間は200年弱の計算となります。
 もっともこの計算はかなり甘いことをお断りしておきます。インターネット経由で専門の研究者にうかがったところでは、イオン推進装置の寿命とは電極の寿命だそうです。実験によるイオン推進の寿命は約10,000時間といいますから、416日は確実となりますが、恒星間となればこれもまた予備が必要となるでしょう。
 なお探査機の名前は有志の提案により『蓬莱1号』となりました。
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