CONTACT Japan

Proceedings of CONTACT Japan 1 Vol.3
ゲストからのメッセージ1

知的生命時期尚早仮説   橋元 淳一郎

 ひと昔前には,宇宙には知的生命が充ち溢れていると信じられていた。その根拠は「コペルニクス原理」とでもいおうか,人間は,地球は,太陽は,宇宙において決して特別な存在ではない,という信念であった。それが最近ではパラダイム・シフト(とはちと大袈裟だが)が起こったようで,人間は宇宙で孤独な存在である,という勢力の方が強くなってしまった。その根拠は「人間原理」と言えるだろう。人間は特別なんだ,と威張り出したわけである。 かしいくら威張っても,宇宙に人間しかいなければ,対戦相手のいないリングで啖呵を切っているようなもので,滑稽でもあり哀れでもある。
 本当のところはどうなのか。E.T.が出現するか,恒星間飛行が実現して銀河をくまなく探索してみるまではわからないわけだが,雰囲気に負けやすい意志薄弱派としては,やっぱりいないんだろうな,と昨今は落胆の日々を送っている次第である。
 さて,この宇宙に人間以外の知的生命が今現在いないとやむなく仮定して,なぜいないのか。前号で谷甲州さんも触れておられる「技術文明の寿命」が大きな要素であるというのが,一応の定説なのだが,果たしてそれだけなのであろうか。
 地球上における生命の誕生と人類の出現を必然性と偶然性という観点から考えてみよう。生命は現に地球上に誕生したのだから,それはある意味では必然であった。しかし,生命現象の驚くべき精緻さには,根本的に重元素の存在が大きな役割を果たしているという事実がある。つまりは,地球のような惑星の誕生の前には,充分な量の超新星爆発が必要だったのであり,そのためには,充分な時間が必要だったということだ(それを量的に提出できないところが,この仮説の弱み。えいやっと,ビッグバンから百億年としてしまおう(^^;)) 。つぎに生命の誕生から人類の出現までの進化をたどってみると,他天体の衝突による恐竜の絶滅を端的な例として,ほとんどまぐれ当たりである。だから人類は宇宙で唯一の偶然の産物だという意見もあるわけだが,それはけっきょく確率の問題であり,宝クジも永久に買いつづければいつかは当たるのと同じで,人類の誕生も確率的事象としての必然だったのである。けっきょく,ポイントは何かといえば,知的生命が出現するには時間がかかるという点なのではないか。ビッグバンから有数十億年もたっているとはいえ,宇宙に知的生命が溢れるには未だ期が熟していないのであろう。人類はたまたまくじ運が良かった(悪かった?)のか,一番乗りだったのである。あと十億年もすれば,宇宙は知的生命ラッシュに見舞われることになるだろう。もっとも,文明の寿命が短ければコンタクトのチャンスは小さいわけだが,未来のE.T.は地球を訪れて人類の遺跡を発見できるだけ,我々よりも恵まれているといわねばなるまい。
 以上のようなことを,以前宇宙論の権威の方にちらと話したことがあるのだが,一笑に付されてしまった。つまりは,ここに紹介した「知的生命時期尚早仮説」には,何の学問的根拠もない,ということを申し添えておく。悪しからず。

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