CONTACT Japan

Proceedings of CONTACT Japan 1 Vol.3
ゲストからのメッセージ1

外野席からひとこと   柴野 拓美

 UFOの話をさせていただく。
 こともあろうにFCSの場でUFOなどと言うと、例の「宇宙人会見記」のことを思い出して眉をひそめる向きがおありかと思うが、ああいう想像力欠乏症の物語が事実であるはずはないというのがわたしの持論なので、どうかご安心いただきたい。いずれ異星人とのファースト・コンタクトが実現するとき(してほしい!)、それはおそらくあらゆるSFの設定に肩すかしをくわせる奇想天外な様相を呈するはずだ。
 いまのところわたしは身も心もSF畑の人間だが、四十年あまり前には、短期間だったがUFOに入れ込んだことがある。当時はすべてが未分化な草創期で、UFOやSFに興味を持つような人間は、十把ひとからげに「一風変わった好事家」というレッテルを貼られ、それでこと足りていた。「宇宙塵」を発刊したときも、星新一氏や斎藤守弘氏など第一期の会員の多くは、「日本空飛ぶ円盤研究会」の例会で知り合った人たちだった。
 ただしその後、UFOとSFのあいだには、なんとなくたがいに敬遠し合う風潮が生まれていったようである。まあ考えてみればそれが当然のなりゆきかもしれない。SFファンとしては、「自分たちはあくまでフィクションを楽しんでいるのだからあんな円盤信者たちといっしょにしないでほしい」と言いたいわけだし、一方UFO研究者は、「われわれが求めているのは事態の真相であってSFのようなつくりごとに用はない」と主張したいだろう。現実には、UFOの理論的研究なるものの多くがSFからのアイデア借用だったり、SF映画に出てくる異星人の宇宙船の大部分が円盤形だったり、そういったもたれ合いが随所に見うけられるのだが……。
 さらに言うなら、UFOの探求者がどれほど本気だろうと、その活動の基盤にはまともなSFの設定以上の飛躍がある。その理由のひとつは、UFO飛来の数学的確率の問題だ。銀河系内にどれだけ多数の進んだ文明が誕生し存続しているにせよ、そこからこの太陽系のような辺境まで観光や調査の船がやってくる可能性はあまりにも小さい、という論理である。これがつい半世紀前なら、太陽系内にそ れを求めることも絶対に不可能とは言いきれなかったのだが、いまではもうそんなアイデアをむし返すのは時代遅れの「会見記」信者くらいのものだろう。超光速を前提とすれば時間の問題だけはなんとかなりそうだが、その場合も相対性理論がどう効いてくるかは未知数だし、太陽系が辺境にあるという事実に変わりはない。
 というのが現在の良識ある人々の共通理解だと思うが、 実はこのきめつけにはとんでもない見落としがある。どうしてUFOの故郷ないし発進地を惑星に求めなければならないのだろうか?  例えば,ジェラルド・オニール提唱の「スペースコロニー」を考えてほしい。その後、宇宙放射線などの問題が意外に深刻であることがわかったりして、以前ほどの魅力は失われたものの、基本的な発想までが否定されたわけではない。とすると、充分に進歩した文明の担い手たちは、すでにその人口の多くが故郷の惑星を離れ、やがて主星のエネルギーの利用からも解放されて、宇宙空間そのものに住み着いていると考えるほうがむしろ自然なのではあるまいか。そうなったらもはや結果は明白だ。われわれ人類がこの地球上にどれだけ蔓延しているか、これが絶好の見本である。太陽の強力な重力圏をちょっと出はずれた「平坦」な宇宙空間にはもう、クラークの「ラーマ」のような、推進機関を備えたスペースコロニーがうようよしているのではないだろうか? その可能性は意外に大きいような気がする。してみると、ごく初期のころよく唱えられた「宇宙人は地球上の核爆発を見て調査にきたのだ」といいう主張も、あながち噴飯ものとは言えないことになりそうだ。
 門外漢の差し出口で恐縮だが、 FCSの世界でも、惑星訪問だけではなくそういう出会いをも視野に入れてほしい気がする。惑星の諸元からそこに住む生物を設計する作業はFCSのみならずSFでも現実の科学の演習でもすでにおなじみだが、逆に、宇宙空間に住む異星人の体形や習性から彼らが発生した故郷の諸元を考えるという試みもあってよさそうだ。
 もしまだ事例がないようなら、ぜひ世界にさきがけて日本で先鞭をつけていただきたいものである。

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