CONTACT Japan

Proceedings of CONTACT Japan 1 Vol.1
日本におけるCONTACT

 日本のCONTACTはまだ始まったばかりで歴史と言えるものはまだないがCONTACT Japan 1開催までに何度かFCS(Fast Contact Simuletion)の企画は行われている。

始まり
 1990年に大迫公成氏がすでにアメリカで行われていたCONTACTに出会い、ぜひ日本にも紹介したいと思った。なんとこの時に、大迫氏は日本におけるCONTACT Japan(CONTACT Japanという組織の名称であって,コンベンションとしてのCONTACT Japan 1ではない)の設立と代表者として契約を交わしているらしい。しかしなんでアメリカ人ってのはこういった細かいことにこだわるのか好きなんだろうか。

SF大会でのFCS企画
 日本でのFCSは、主にSF大会の中の企画として行われて来た。CONTACTとそのものがSFファンが好みそうな題材であり、またSFに親しんでいれば多くを説明しなくてもその趣旨を理解してもらえる (むろん誤解をうむ場合も多いけど)からである。

 
1991年にi-CON(金沢)で日本で最初にFCS企画が行われた。このときは企画の主催者側も大迫氏を除いてFCSに参加したこともVTR以外では見たことすらなく、はたしてFCSのような企画 ができるのか、どのようにして進めればいいのかがわかっていなかった。 (企画を始めてしまうとたいして心配する必要がなかったことはすぐにわかったが)このときは3時間と短い企画時間の間にすべての設定を決め、コンタクトまでやってしまおうという事だったため時間の制約が大きかった。そのためコンタ クトに必要な設定を決めるだけで精一杯で細かく設定を追求する暇がなかった。このとき感じられたのは、ヴィジュアル面の重要さである。設定中に話しがまとまらない場合でも誰かが措いたイラストがあると、意見はそれに添った線にまとまっていった。また異星人側では異星人の科学技術レベルを不当に低く見積もり易い(これは何度か行われたFCSすべてで見られた)といった反省点もある。
 
この時の設定:異星人は、ε-エリダニを回る木星型惑星の衛星に住む,四脚、四手のトカゲ形で、手の動きでもコミュニケーションする。地球人の宇宙船は,なんと帰還方法なし。行ったきりのため、宇宙船は“桜花”と名付けられた。

 
1992年のHAMACON(横浜)で2回目のFCS企画が行われた。この大会は3日間あり、そのうちの1日間をまるまるかけてFCSを行った。この時は時間も長く参加者も多かったため地球人、異星人側それぞれを複数の分科会にわけ途中何度か全体で設定をまとめる方法が取られた。あまり多くの人数で話し合うと意見がまとまらずまた限られた時間で多くの項目を話し合うには分科会に分けるのは有効な手段である。ただ全体の設定は互いに関連しあうため、各分科会相互の調整を取るのが非常に難しかった。
 
この時の設定:異星人はタウ・ケチの回りを楕円軌道を措く惑星に住む。楕円軌道であるため、冬が長く、この惑星の生物は夏と冬で大きく生活形態が変わる。異星人が地球人に送る通信として「タウ・ケチ 系内で発見された,太古の字宙船の映像」が使われた。「この宇宙船はあなたたちのものか?」という質問の意味だったのだが、もちろん地球人にはよくわからなかったようである。地球人は宇宙ラムジェットを使ってタウ・ケチへ向かったが、このラムジェットの設定は秀逸だった。ラムジェットは低速では働かない。そこで着陸用の宇宙船を分離した後、ラムジェット部分は大きく円を措いて一周し、再びタウ・ケチにきた時に着陸用宇宙船が再ランデプーを果たす、という計画で運用されたのである。

 
1993年のDAICON6(大阪)は2日間だったので、1日全部使うわけにはいかず、2時間の即席版となった。(i-CONの経験から数時間の企画では時間が足りなすぎることがわかっていたため) 即席版のため、地球人はスタッフで用意し、異星人側も真面目に設定をする余裕がなかったが、FCSの楽しさを伝える役にはたったかと思う。
 
この時の設定:惑星軌道上にうちすてられたスペースコロニーという、非常に不思議な環境上で進化した異星人であった。体長30センチほどでウェルズの火星人の形をし、回転が止まって無重力になったコロニーの大気の中をジェット推進で飛び回って生活している。光によるコミュニケーションを行い、地球人とのコンタクトでは『未知との遭遇』よろしく,集団で光のパターンを作るという形でコミュニーケションを行っていた。

通信でのFCS企画
 CONTACTで異星人地球人の設定を決めるのは時間のかかるためSF大会内での企画で行うと細かい設定まで踏み込むことができず、楽しいが不満も残ってしまう。その点通信では時間の制約が取り払われじっくりと意見を煮詰めることができるため, COTIを行うには向いている。ただ誰もが通信に参加しているとは言いがたい状況ではまだ一般的な方法になりにくいかもしれない。

 
Nifty-ServeのSFファンタジーフォーラムにおいて一個の会議室を使って1993年2月から約半年かけてFCS企画が行われた。その年の世界SF大会で日本とアメリカで設定した異星人がコンタクトを行うという企画だったが、双方の設定が完成しなかったために互いの設定を披露するのみになった。時間が充分にあるため多くの点について意見を交挽できるのは良かったが、通信で行うと意志の疎通、統一に手間がかかってしまうといった欠点もあった。
 この時の設定:異星人はε-インディを巡る木星型惑星の衛星に住み、6本の足、尻からクレーン状に伸びた手のような二本の尻尾、背中に“荷台”を持つ「ピックアップ熊」 。時間があった分、この惑星の進化史や異星人の文化についてもいろいろと考える事ができた。

CONTACT Japan 1
 1994年10月に日本で初めてのCONTACT専用のコンベンションが開かれる。このコンベンションが成功すれば当然来年以降もコンベンションやその他のCONTACTに関連した企画が行われることになるだろう。

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